2019年2月21日木曜日

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南インドの映画


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'''南インドの映画'''(みなみインドのえいが、Cinema of South India)とは、[[インドの映画|インド]]で製作される映画のうち[[カンナダ語映画]]、、、、の5つの映画産業を指す。各映画産業はそれぞれ[[バンガロール]]、[[コーチ (インド)|コーチ]]、[[チェンナイ]]、[[ハイデラバード (インド)|ハイデラバード]]、[[マンガロール]]を拠点としている。

これらの映画産業はそれぞれ独立した産業として活動していたが、俳優やスタッフの人的交流、[[グローバリゼーション]]の促進により1つの映画産業としてのアイデンティティが形成されていった<ref></ref>。南インド映画はが管轄しており、テルグ語映画とタミル語映画が全体の収益の36%を占めている<ref name="deloitte"></ref>。

== 歴史 ==
=== 黎明期 ===
1897年、ヨーロッパ人興行師によって[[チェンナイ|マドラス]]ので初めて[[サイレント映画|サイレント短編映画]]が上映された<ref name="folklore"></ref>。上映された映画は日常風景を撮影した[[ノンフィクション]]が大半で、マドラスではサイレント映画を上映するためのエレクトリック・シアターが建設された<ref name="folklore"/>。この施設はマドラス在住のイギリス人の間で人気スポットになったものの、数年後に閉鎖された。施設は現在、(マウント・ロード)にある郵便局の一部として利用されている。劇場はこの他にもリリック・シアターが建設されており<ref name="folklore"/>、この劇場では英語の戯曲やクラシック音楽コンサート、社交ダンスなどのイベントが開催され、サイレント映画は付随的なイベントとして上映されていた。[[ティルチラーパッリ]]の南インド鉄道社員は映写機とサイレント映画のフィルムを購入し、映画興行師として事業を展開した<ref>[https://ift.tt/1MhZCH6 Pioneers In Indian Cinema - Swamikannu Vincent] Liquid error: wrong number of arguments (1 for 2). Indiaheritage.org. Retrieved on 2013-07-29.</ref>。彼は上映用のテントを建て、好評を得たヴィンセントはインド各地を巡業してサイレント映画を上映した<ref></ref>。後年、彼は[[コーヤンブットゥール]]に拠点を置き[[トーキー|トーキー映画]]の劇場を建設した<ref></ref>。

[[File:Raghupathi venkaiah naidu movie opening 1510120555 014.jpg|thumb|240px|「南インド映画(テルグ語映画)の父」ラグパティ・ヴェンカイアー・ナイドゥ]]
1909年、[[ジョージ5世 (イギリス王)|ウェールズ公ジョージ]]がインドを訪問した際、それを記念してマドラスで大規模な展覧会が開催された。展覧会の目玉となったのは音声を伴う短編映画の上映だった。これはイギリスの会社が購入した録音済みの音楽レコードとリンクした映写機クローネ・メガホンを使用して上映されたものだが、この時点では台詞はなかった。インド人写真家[[ラグパティ・ヴェンカイアー・ナイドゥ]]は展覧会終了後にクローネ・メガホンを買い取り、の近くにテント劇場を建設した<ref name="folklore"/>。彼は1912年にマウント・ロードに常設の映画劇場ゲイティ・トーキーズを建設した。マドラスでフルタイムの映画が上映されたのはゲイティ・トーキーズが初となったが、劇場は後に商業開発のために閉鎖された<ref>Liquid error: wrong number of arguments (1 for 2)</ref>。

コーヤンブットゥールに[[南インド]]で最初の映画館を建設したヴィンセントは、町や村の周辺の土地にテントを建て映画を上映する「テント・シネマ」の概念を生み出した。この「テント・シネマ」が初めて建てられたのは、マドラスの「エジソンズ・グランド・シネマメガホン」と呼ばれるテントであり、劇場では電気カーボンを使用した映写機が用いられていた<ref>Liquid error: wrong number of arguments (1 for 2)</ref>。本格的な映画館は[[セーラム (インド)|セーラム]]()、コーヤンブットゥール(、ネプトゥネ、パクシラージャ)に建設された。マドラスにはとという2つの映画スタジオが建設され、映画製作の拠点となった。当時の南インドは[[マドラス管区]]に内包されていたため、その首府であるマドラスは南インド映画の中心地として発展することになった。

=== 最初の南インド映画 ===
最初のマドラス映画(南インド映画)は、インディア・フィルム・カンパニーを設立したが監督した『[[:en:Keechaka Vadham|Keechaka Vadham]]』である<ref name=tcp></ref>。1920年代に入るとタミル語サイレント映画がマドラス周辺で撮影されるようになり、撮影されたフィルムは[[プネー]]や[[コルカタ|カルカッタ]]で技術的処理が行われた。後にプネーやカルカッタでもの作品が撮影されるようになった。1921年に[[ラグパティ・ヴェンカイアー・ナイドゥ]]とラグパティ・スーリヤ・プラカーシュ・ナイドゥ父子によって初のテルグ語サイレント映画『Bhisma Pratighna』が製作された<ref>Liquid error: wrong number of arguments (1 for 2)</ref>。ラグパティ父子はと共に数十本の映画を製作し、舞台俳優を主要キャストとして迎え入れた<ref>[https://ift.tt/1IAbfCV CineGoer.com - Articles - History Of Birth And Growth Of Telugu Cinema] Liquid error: wrong number of arguments (1 for 2)</ref>。彼らは宗教的テーマを扱った『Nandanar』『Gajendra Moksham』『Matsyavatar』を製作し、宗教を題材にした映画は後年の南インド映画における主要ジャンルとなった<ref>[https://ift.tt/2Tc11c8 Land Marks in Tamil Cinema] Liquid error: wrong number of arguments (1 for 2)</ref><ref>[https://ift.tt/2Tc13Ri 1916-1936] Liquid error: wrong number of arguments (1 for 2)</ref>。

[[File:Bhakta Prahlada 1932.jpg|thumb|240px|left|初のトーキー・テルグ語映画『[[:en:Bhakta Prahlada (1932 film)|Bhakta Prahlada]]』<ref>Liquid error: wrong number of arguments (1 for 2)</ref>]]
1918年に初のタミル語サイレント映画『Keechaka Vadham』が公開された<ref name=RANDOR>Liquid error: wrong number of arguments (1 for 2)</ref>。1931年に[[北インド]]で初のトーキー・インド映画『[[:en:Alam Ara|Alam Ara]]』が公開され、同年10月には南インドで初のトーキー・タミル語映画『[[:en:Kalidas (film)|Kalidas]]』が公開された<ref name="velayutham2"></ref>。トーキー映画は大衆の人気を集め、1934年公開の『Lava kusa』で初めて南インド映画は興行的な成功を収めた。が監督、が主演を務めた同作は記録的な観客動員数となり、勃興したばかりの映画産業を主流文化へと成長させた<ref name=autogenerated2>Liquid error: wrong number of arguments (1 for 2)</ref>。同時期に初のトーキー・カンナダ語映画『[[:en:Sati Sulochana|Sati Sulochana]]』が公開され<ref></ref>、続けて『Bhakta Dhruva』が公開された。両作は興行的な成功を収めたものの、[[カルナータカ州|カルナータカ]]では映画スタジオや技術スタッフ不足のため産業の成長が阻害されていた。『Sati Sulochana』は[[コールハープル]]のチャトラパティ・スタジオで撮影され、大半の撮影や録音、ポストプロダクションはマドラスで行われた。また映画製作の資金も容易に集まらなかったため、インド映画におけるトーキー勃興期に製作されたカンナダ語映画はほとんど存在しない。1938年には初のトーキー・マラヤーラム語映画『[[:en:Balan (film)|Balan]]』が公開された。マラヤーラム語映画は1947年にが[[ケーララ州|ケーララ]]・にを設立するまで、タミル人プロデューサーによって製作されていた。

=== 社会的影響とスター俳優 ===
[[File:Mala Pilla.jpg|thumb|240px|『Mala Pilla』]]
マドラス管区は[[アーンドラ・プラデーシュ州]]、[[ケーララ州]]、[[タミル・ナードゥ州]]に分割され、これにより南インド映画は新たな時代を迎え、映画は言語ごとに地域的・排他的に製作されるようになった。1936年までに大衆は映画が宗教的・神話的テーマから離れることを許容するようになり<ref name=autogenerated2 />、こうした中で1951年に家族の問題をテーマとした『[[:en:Jeevitha Nouka|Jeevitha Nouka]]』が製作され、これ以前に製作された社会派映画として『Prema Vijayam』『Vande Mataram』『[[:en:Mala Pilla|Mala Pilla]]』が挙げられる。テルグ語映画は禁忌やなどの社会問題をテーマとした映画を製作するようになり、1937年から1947年の間に製作された96作品中29作品が社会問題をテーマとしていた<ref>[https://ift.tt/1Pixulu CineGoer.com - Articles - History Of Birth And Growth Of Telugu Cinema] Liquid error: wrong number of arguments (1 for 2)</ref>。[[インド国民会議]]のタミル・ナードゥ支部指導者たちはタミル語映画のスター俳優を政治利用しようと試みたものの、農村部の人々にとって映画は馴染みの薄い媒体だったこともあり、この試みは限定的なものに留まった<ref name=arch/>。こうした映画の政治利用の動きは、1947年に[[インド・パキスタン分離独立|インド独立]]が実現した後に事実上停止された<ref name=Dickey>Sarah, Dickey (1993). "The Politics of Adulation: Cinema and the Production of Politicians in South India". The Journal of Asian Studies 52 (2): 340–372.</ref>。しかし、1950年代に農村部に電力が供給されると、は映画を主要な政治機関として活用するようになり<ref name=arch></ref>、[[ドラーヴィダ進歩党]]が最初に映画を政治的に活用した政党となった<ref name=arch/>。の思想に感化されたの俳優や脚本家は作品にや思想を取り入れるようになり<ref name=Hardgrave>Hardgrave, Jr, Robert L (March 1973). "Politics and the Film in Tamilnadu: The Stars and the DMK". Asian Survey (JSTOR) 13 (3): 288–305</ref>、映画では思想家たちが提唱するドラヴィダ人国家「」の独立に言及するだけでなく、映画の中で政党のシンボルを表示させることも多く見られた<ref name="arch"/>。また、ドラーヴィダ進歩党が映画を政治利用し始めたことでやのように映画での名声を背景に政界に進出する俳優が現れた。

映画が言語ごとに分割される一方、タミル語映画『』は全言語で人気を集めた。また、ラーマチャンドランはインドで最も記憶に残る俳優の一人となり、その名声を背景に[[全インド・アンナー・ドラーヴィダ進歩党]]を結成した。このころ、南インド映画はやの活躍によりマラヤーラム語映画の黄金時代を迎えていた。ナジールは1967年公開の『[[:en:Iruttinte Athmavu|Iruttinte Athmavu]]』でインド映画最高峰のスター俳優に挙げられるようになり、は『[[:en:Jeevana Chaitra|Jeevana Chaitra]]』『[[:en:Bangaarada Manushya|Bangaarada Manushya]]』など200作品以上の映画に出演するスター俳優として活動したが、彼は政界に進出せず映画俳優として生涯を終えた。2010年代に入ると『[[:en:Puli (2015 film)|Puli]]』『[[:en:K.G.F: Chapter 1|K.G.F: Chapter 1]]』『[[:en:Kotigobba 2|Kotigobba 2]]』『[[バーフバリ 伝説誕生]]』のように南インドだけではなくインド全土で興行的な成功を収める作品が登場した。これらのヒット作のうち、『[[バーフバリ 王の凱旋]]』は[[ハリウッド]]と同質のVFXを駆使して製作された最初の南インド映画となった。

== 出典 ==



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