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Équipe de Belgique de hockey sur gazon masculin aux Jeux olympiques d'été de 2020
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意味調べるオーベルステンフェルト
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【外部リンク】
オーベルステンフェルト
K-iczn: /* top */
! 紋章
! 地図<br />(郡の位置)
|- style="background: #ffffff; text-align: center;"
| style="width: 145px;" | [[File:Wappen Oberstenfeld.svg|140px]]
| style="width: 145px;" | [[File:Locator map LB in Germany.svg|140px]]
|-
! colspan="2" | 基本情報
|- style="background: #ffffff;"
| [[連邦州]]: || [[バーデン=ヴュルテンベルク州]]
|- style="background: #ffffff;"
| 行政管区: || [[シュトゥットガルト行政管区]]
|- style="background: #ffffff;"
| 郡: || [[ルートヴィヒスブルク郡]]
|- style="background: #ffffff;"
| [[緯度]][[経度]]: ||
|- style="background: #ffffff;"
| 標高: || 海抜 246 m
|- style="background: #ffffff;"
| 面積: || 21.10 km<sup>2</sup><ref name="Fläche"></ref>
|- style="background: #ffffff;"
| 人口: || <ref name="Pop"></ref>
|- style="background: #ffffff;"
| 人口密度: || /21.10 round 0}}}} 人/km<sup>2</sup>
|- style="background: #ffffff;"
| 郵便番号: || 71720
|- style="background: #ffffff;"
| 市外局番: || 07062, 07194
|- style="background: #ffffff;"
| ナンバープレート: || LB, VAI
|- style="background: #ffffff;"
| 自治体コード: || 08 1 18 060
|- style="background: #ffffff;"
| 行政庁舎の住所: || Großbottwarer Straße 20 <br /> 71720 Oberstenfeld
|- style="background: #ffffff;"
| ウェブサイト: || [https://ift.tt/1khm3kc www.oberstenfeld.de]
|- style="background: #ffffff;"
| 首長: || マルクス・クレーマン (Markus Kleemann)
|-
! colspan="2" | 郡内の位置
|- style="background: #ffffff;"
| align="center" colspan="2" | [[File:Oberstenfeld im Landkreis Ludwigsburg.png|300px]]
|-
! colspan="2" | 地図
|- style="background: #ffffff;"
| align="center" colspan="2" |
|}
'''オーベルステンフェルト''' (, ) は[[ドイツ連邦共和国]][[バーデン=ヴュルテンベルク州]][[ルートヴィヒスブルク郡]]に属す町村(以下、本項では便宜上「町」と記述する)である。[[シュトゥットガルト]]の北 40 km にあたる。この町は(1992年まではミットレラー・ネッカー地域)および周縁地域に位置する。
== 地理 ==
=== 位置 ===
オーベルステンフェルトは、ルートヴィヒスブルク郡北東部のボットヴァールタール上流域に位置し、自然地域区分のシュヴェービッシュ=フレンキシェ・ヴァルトベルゲおよびネッカー盆地の一部を含む<ref></ref>。北と東はレーベンシュタイナー山地に接し、西はブドウ畑に覆われたフォルストベルクやヴンネンシュタインといった高台がそびえている。プレーフォルスト小地区は、レーベンシュタイナー山地の森の中にある飛び地で、[[ハイルブロン郡]]および[[レムス=ムル郡]]の4つの市町村に囲まれている。
=== 隣接する市町村 ===
オーベルステンフェルトは、北は[[バイルシュタイン (ハイルブロン郡)|バイルシュタイン]]、東は[[シュピーゲルベルク]]、南東は[[アスパハ (レムス=ムル郡)|アスパハ]]、南西は[[グロースボットヴァール]]と境を接している。
=== 自治体の構成 ===
オーベルステンフェルトは、3つの小地区(居住区)からなる。グローナウ(居住区 II)、プレーフォルスト(居住区 III)、オーベルステンフェルト(居住区 I)である。公式な名称は、町名の後ろにハイフンをつけて小地区名を綴る。3つの小地区 (Ortsteil) はそれぞれが、バーデン=ヴュルテンベルク州自治体法が定める居住区 (Wohnbezirk) を形成しており、グローナウとプレーフォルストは両小地区を併せて、バーデン=ヴュルテンベルク州自治体法が定める地区 (Ortschaft) を形成しており、地区議会 (Ortschaftsrat) と、議長として地区長 (Ortsvorsteher) を有している。<!-- 一文省略 -->グローナウとプレーフォルストは、1971年12月31日まで独立した町村グローナウを形成していた。グローナウ小地区にはグローナウ村が属している。プレーフォルスト小地区にはプレーフォルスト小集落が属す。オーベルステンフェルト小地区には、オーベルステンフェルト村、リヒテンベルク城とその集落、ノイヴィルとハウス住宅地および離れた小地区グラスハウゼン、クラッツハイム、シュマレネック、ツーム・ハークが属す<ref></ref><ref></ref>。
グローナウは、オーベルステンフェルトの北東に接して位置している。一方、プレーフォルストはオーベルステンフェルトから北東に約 5 km 離れたレーベンシュタイナー山地内にある。プレーフォルストは町域の他の部分から分離されており、[[ハイルブロン]]とレムス=ムル郡との間の飛び地となっている。その[[海抜]] 483 m の地点はルートヴィヒスブルク郡の最高地点である。
=== 土地利用 ===
{| class="wikitable"
|-
! 土地用途別面積 !! 面積 (km<sup>2</sup>) !! 占有率
|-
| 住宅地および空き地 || style="text-align:right" | 1.33 || style="text-align:right" | 6.3 %
|-
| 産業用地 || style="text-align:right" | 0.36 || style="text-align:right" | 1.7 %
|-
| レジャー用地 || style="text-align:right" | 0.14 || style="text-align:right" | 0.7 %
|-
| 交通用地 || style="text-align:right" | 1.33 || style="text-align:right" | 6.3 %
|-
| 農業用地 || style="text-align:right" | 8.79 || style="text-align:right" | 41.6 %
|-
| 森林 || style="text-align:right" | 8.65 || style="text-align:right" | 41.0 %
|-
| 水域 || style="text-align:right" | 0.15 || style="text-align:right" | 0.7 %
|-
| その他の用地 || style="text-align:right" | 0.35 ||style="text-align:right" | 1.7 %
|-
| '''合計''' || style="text-align:right" | 21.10 ||
|}
州統計局の2018年12月31日現在のデータによる<ref name="Fläche" />。
== 歴史 ==
=== オーベルステンフェルトの歴史 ===
オーベルステンフェルトは、[[7世紀]]または[[8世紀]]に成立した。それ以前から存在してたボーテブロン(現在のグロースボットヴァール)では定住がなされていた。[[1357年]]に[[ヴュルテンベルク|ヴュルテンベルク伯]]が守護権を獲得した。しかし、[[1540年]]に[[宗教改革]]を受け容れた修道院が[[1803年]]まで一部の帝国直轄権を護っており、この後にヴュルテンベルクが統合を果たした。
[[File:Oberstenfeld, Andreas Kieser.png|right|220px|thumb|1686年頃に描かれたオーベルステンフェルトの絵図]]
[[三十年戦争]]でこの集落は、周囲のあらゆる村と同様に、甚大な被害を受けた。[[1693年]]夏、[[プファルツ継承戦争]]でオーベルステンフェルトは、隣接する[[バイルシュタイン (ハイルブロン郡)|バイルシュタイン]]と同じようにフランス軍によって焼き討ちされ、町役場を含む村の 1/3 が焼失した。
新たに建国された[[ヴュルテンベルク王国]]の新しい行政組織により、オーベルステンフェルトは[[1807年]]にオーバーアムト・マールバッハに編入された。[[1832年]]、この村には約1,200人が住んでいた。工業化が始まって当初は、工業系企業の進出がなかったため、ほとんど発展は見られなかった。ボットヴァールタール鉄道の建設により、1900年頃に重要な経済的契機を得たが、[[第二次世界大戦]]後になるまで、その発展は微々たるものであった。[[国家社会主義ドイツ労働者党|ナチ]]時代のヴュルテンベルクの行政改革により、オーベルステンフェルトは[[1938年]]にルートヴィヒスブルク郡に属した。
[[1945年]]にこの街はの一部となり、新設されたに属した。この州から[[1952年]]に[[バーデン=ヴュルテンベルク州]]が発足した。1953年のオーベルステンフェルトの人口は1,780人であった。住宅地や工業用地の土地利用指定が、工業系企業や住民の定住をもたらした。[[ゲトラグ]]の工場やヴェルツァリート社が最も重要な工業系企業に数えられる。このほかに地域の手工業から工業系企業に成長した例もある。1968年に人口は約3,000人となった。[[1970年代]]以降何度も行われた再開発により、街の中心部は現在の姿となった。[[1972年]]にグローナウとプレーフォルストが合併し、町の人口は7,000人を超えた。
=== その他の地区の歴史 ===
プレーフォルスト地区およびリヒテンベルク城も、[[1357年]]にリヒテンベルク領主家からヴュルテンベルク伯領となった。グローナウは、その数年前の[[1350年]]にすでにが獲得していた。プレーフォルストはその後グローナウに属した。
この3つの村はいずれも、[[1810年]]からオーバーアムト・マールバッハに属した。1938年にオーベルステンフェルトはルートヴィヒスブルク郡に、プレーフォルストを含むグローナウはハイルブロン郡に属すこととなった。しかし、プレーフォルストを含むグローナウは、郡所属の変更により、1972年1月1日にオーベルステンフェルトに合併した。
プレーフォルストは、が「プレーフォルストの[[霊視|霊視者]]」と記述した女性フリーデリケ・ハウフェ(旧姓ヴァナー、1801年 - 1829年)で知られている。
== 住民 ==
=== 宗教 ===
1534年に[[ウルリヒ (ヴュルテンベルク公)|ウルリヒ公]]に命じられた[[宗教改革]]以降、オーベルステンフェルトの町には[[福音主義]]が根付いている。町にはそれぞれ教会堂を持つ教会が3つある。キリアクス教会はグローナウに、洗礼者聖ヨハネ修道院教会はオーベルステンフェルトに、1905年に初めて設けられた福音主義教会がプレーフォルストにある。これら3つの教会は、福音主義ヴュルテンベルク地方教会のマールバッハ教会管区に属している。
[[第二次世界大戦]]後、[[カトリック教会]]も設立され、1962年に聖ヘルツ・イェズ教会が建設された。この教会はルートヴィヒスブルク主任司祭区のボットヴァールタール司牧会に属している。
この他にオーベルステンフェルトにと[[モスク]]がある。
=== 人口推移 ===
以下に示す人口は、各時点の町域における数値である。数値は人口調査結果 (*) またはバーデン=ヴュルテンベルク州統計局の公的な研究結果で、この町を主たる居住地とする人口である<ref-6>。
{|
| valign="top" |
{| class="wikitable" style="text-align:right"
! 時期
! 人口(人)
|-
| 1871年12月1日* || 2,101
|-
| 1880年12月1日* || 2,212
|-
| 1890年12月1日* || 2,097
|-
| 1900年12月1日* || 2,043
|-
| 1910年12月1日* || 2,027
|-
| 1925年6月16日* || 2,071
|-
| 1933年6月16日* || 2,091
|-
| 1939年5月17日* || 2,110
|-
| 1950年9月13日* || 2,834
|-
|}
| valign="top" |
{| class="wikitable" style="text-align:right"
! 時期
! 人口(人)
|-
| 1961年6月6日* || 3,175
|-
| 1970年5月27日* || 4,835
|-
| 1980年12月31日0 || 6,814
|-
| 1987年5月25日* || 7235
|-
| 1990年12月31日0 || 7666
|-
| 1995年12月31日0 || 8044
|-
| 2000年12月31日0 || 7933
|-
| 2005年12月31日0 || 8049
|-
| 2010年12月31日0 || 7897
|-
| 2015年12月31日0 || 7928
|-
|}
|}
== 行政 ==
[[File:Rathaus Oberstenfeld.jpg|right|160px|thumb|オーベルステンフェルト]]
=== 議会 ===
オーベルステンフェルトでは、町議会は「ウンエヒテ・タイルオルツヴァール」と呼ばれる選挙方法<ref group="訳注">。バーデン=ヴュルテンベルク州の市町村レベルの選挙で採用されている特殊な選挙方法。候補者は地区別の選挙人名簿に登録されるが、地区を超えて全住民が投票できる。</ref>で選出される。この方法では、超過議席の数は変動する。2019年5月26日の選挙後の議席数は19議席<ref></ref>(この改選以前は18議席)である。町議会は、選出された名誉職の町議会議員と、議長としての町長で構成されている。町長は町議会で投票権を有する。
=== 首長 ===
2015年5月、マルクス・クレーマンが2回目の投票で町長に選出された。彼は、24年間町長を務めたラインハルト・ロスナーの後継者となった。ロスナーの前任者は、マンフレート・レプレで、38年間町長職にあった<ref>Liquid error: wrong number of arguments (given 1, expected 2)</ref>。
=== 紋章と旗 ===
紋章の図柄: [[アージェント (紋章学)|銀地]]。[[ヴァート (紋章学)|緑]]の大地をさっそうと歩む銀の縁取りの[[セーブル (紋章学)|黒い]]馬。馬には、[[ギュールズ|赤い]]羽根飾りをつけ、銀の刀をもった黒い装束の[[騎士]](司令官 = Oberst)がまたがっている。この紋章は、1681年から印章に用いられている。これは町の名前に由来する紋章である<ref></ref>。
町の旗の色は、緑 - 白で、1935年以前から用いられている。
<!-- グローナウの紋章については省略 -->
=== 姉妹自治体 ===
* [[ヴェルビカーロ]]([[イタリア]]、[[カラブリア州]])2005年<ref></ref>
** オーベルステンフェルトのイタリア系住民の多くが、人口 3,000人ほどのこの小都市をルーツとしている。町の入り口に、この姉妹自治体関係を示す標識が立っている。
== 文化と見所 ==
オーベルステンフェルトは、多くの名所を結ぶヴュルテンベルク・ワイン街道沿いに位置している<ref></ref>。
=== 建築 ===
[[File:BurgLichtenberg Oberstenfeld v Lembach.JPG|right|220px|thumb|リヒテンベルク城]]
リヒテンベルク城は、牧歌的なブドウ畑の山の上からオーベルステンフェルトを俯瞰している。
町の中心から約 1 km 北の尾根に建つ内陣塔を持つ[[ロマネスク建築|ロマネスク様式]]のペータース教会は、現存しない先行教会の遺構である。この教会は11世紀半ばに建設された。13世紀に[[内陣]]の[[ヴォールト]]が設けられ、[[フレスコ]]が描かれて完成した。フレスコの一部は現在も遺っている。この教会はほとんど忘れ去られ、長らく使われなかった。1973年から1976年に修復され、福音主義の礼拝に利用されており、時には[[カトリック教会|カトリック]]の礼拝にも用いられる。
この町の2番目に古い教会であるキリアクス教会はグローナウ小地区にある。内陣塔は13世紀から14世紀に建設された。1599年に増改築がなされた。内部には美しい[[講壇|説教壇]]がある。
<gallery width=140px height=140px>
File:OberstenfeldPeterskirche.jpg|ペータース教会
File:OberstenfeldPeterskircheFresken.jpg|ペータース教会のフレスコ
File:OberstenfeldCyriakuskirche.jpg|グローナウののキリアクス教会
</gallery>
[[File:Oberstenfeld - Ortskern mit Stiftskirche, Dorfkirche und Fachwerkhaus.jpg|right|220px|thumb|オーベルステンフェルトの中心部。右端が「村の教会」。中央奥に洗礼者聖ヨハネ教会の塔が見える。]]
町の中心部にあるプロテスタントの教区教会である洗礼者聖ヨハネ教会は、この地方で最も重要なロマネスク教会の1つである。本堂は1220年頃、内陣塔は1230年頃に建設された。この教会は5月から10月の日曜日の11時から13時まで開放されている。有料のツアーが用意されている。すぐ近くのドルフキルヒェ(村の教会)は9世紀にガルス礼拝堂として建設された。その後、隣に建つ貴族信者のための教区教会に対して、町人の祈祷所となった。1693年に酷く損傷したため、1738年に新たに建設された。北の入り口は、石造の町の紋章が掲げられているが、騎乗した司令官と軍旗も描かれている。
オーベルステンフェルトの最も新しい教会がプレーフォルストの福音主義教会で、1905年に[[ゴシック・リヴァイヴァル建築|ネオゴシック様式]]で建設された。
<gallery width=140px height=140px>
File:OberstenfeldStJohannesChorturm.jpg|洗礼者聖ヨハネ教会の内陣塔
File:Dorfkirche Oberstenfeld-3.JPG|村の教会
File:Oberstenfeld - Prevorst - Evangelische Kirche - Ansicht von WSW.jpg|プレーフォルストの福音主義教会
</gallery>
[[File:Oberstenfeld - Großbottwarer Straße - Rathaus und Nachbargebäude mit Weihnachtsbeleuchtung.jpg|right|220px|thumb|グロースボットヴァール通り、町役場周辺の町並み]]
町の中心部には、一連の見事に修復された[[バロック建築|バロック様式]]の木組み建築が遺されている。
* 町役場、1698年に初めは平屋建てで建設され、1840年に2階分が増築された。
* グロースボットヴァーラー通り14番地、町役場の向かいの角、マルクト広場に面している。1700年建造。
* パン工房、1702年に建設された旧「プフリュントハウス」。民主主義者ヨハネス・ネフレンの生家である。元は、教会女性会員の住居であった。
* ベルクガッセ2番地のワイン醸造業者の家、1737年建造。
* キューファーガッセ15番地の1726年に建設されたキューファーハウス(樽造りの家)
<gallery width=140px height=140px>
File:OberstenfeldBaeckerei.jpg|プフリュントハウス
File:Oberstenfeld - Dorfkern - Winzerhaus Berggasse 2.jpg|ベルクガッセ2番地のワイン醸造業者の家
</gallery>
[[File:OberstenfeldAlterBahnhof.jpg|right|220px|thumb|オーベルステンフェルトの旧駅舎]]
古い町の中心部から南に徒歩数分の場所にボットヴァールタール鉄道の旧駅舎がある。[[王立ヴュルテンベルク邦有鉄道]]は、タイプ IIa のこの駅舎を1893年に建設した<ref></ref>。
第一次世界大戦の戦没者記念碑は、ニュルンベルクの彫刻家ヴィルヘルム・クラウスが制作したもので、1923年に完成した。
=== スポーツ ===
* スポーツ・文化クラブ SKV オーベルステンフェルトは、[[ハンドボール]]、[[柔道]]、[[合気道]]、心臓病体操グループ、器械体操、脊柱体操、健康体操、[[バレーボール]]、[[バドミントン]]の部門がある。
* テニスクラブ・オーベルステンフェルトは、会員用に10面の屋外コートと3面の屋内コートを有している。
* DLRG オーベレス・ボットヴァールタールは、ミネラル屋外プール・オーベレス・ボットヴァールタールやバイルシュタイン屋内プールで水泳・水難救助泳法の教育を行っている。
* TSV グローナウは、ハンドボール、射撃、山岳スポーツ部門がある。
* FV オーベルステンフェルトは生粋のサッカークラブで、クライスリーガ A に参加している。
=== 年中行事 ===
SKV オーベルステンフェルトの[[聖霊降臨祭]]大会は、近隣および外国クラブのハンドボール選手が出場する。
毎年開催されるボットヴァールタール=マラソンのコースは、オーベルステンフェルトを通る。2012年からハーフマラソンはグローナウをスタート地点としている。
オーベルステンフェルトのフレッケンフェストは毎年6月の最終週末に地元のクラブによって開催される。
=== 映画 ===
監督の映画「Das Verlangen」の撮影が2001年秋にプレーフォルスト地区で行われた。
== 経済と社会資本 ==
オーベルステンフェルトは、ヴュルテンベルク・ワイン生産地区のヴュルテンベルク・ウンターラント地区グロースラーゲ・ヴンネンシュタインに属すワイン生産地である。グローナウ地区には、財務サービスコンツェルン「ヴュステンロート&ヴュルテンベルギシェ」の W&W セミナーセンターやカンファレンスセンターがある。
=== 交通 ===
近くを通る[[アウトバーン]] [[アウトバーン 81|A81号線]][[シュトゥットガルト]] - [[ヴュルツブルク]]があらゆる方面への自動車交通に大きな利点となっている。オーベルステンフェルトは、シュトゥットガルト交通連盟 (VVS) の地域内にあり、[[マールバッハ・アム・ネッカー]]へのバスによる公共交通の便が良い。マールバッハで[[シュトゥットガルトSバーン]]に接続することができる。
1894年から1968年までオーベルステンフェルトは、マールバッハ・アム・ネッカーからハイルブロン南に至る[[狭軌]]鉄道ボットヴァールタール鉄道で鉄道網に接続していた。線路が撤去された後、その軌道跡は、アルプ=ネッカー自転車道の一部として利用されている。
=== 地元企業 ===
オーベルステンフェルトには、いくつかの中規模企業と、ヴェザリッツ<ref></ref>やヘルビガーといった大企業がある。2010年から医療器具製造業者ノヴァルング GmbH がオーベルステンフェルトで製造を行っている。ルートヴィヒスブルク郡立貯蓄銀行は、マールバッハ支店に属すオーベルンフェルト営業所を有している。
[[File:MineralfreibadOberesBottwartal.JPG|right|220px|thumb|ミネラル屋外プール・オーベレス・ボットヴァールタール]]
=== 公共施設 ===
郡立クレーブラット養護施設の老人・養護ホームがある<ref></ref>。
ミネラル屋外プール・オーベレス・ボットヴァールタールは、近隣のバイルシュタインと共同で運営されており、5月初めから9月半ばまで営業している<ref></ref>。ここには1000台分以上の駐車場がある。
=== 教育 ===
オーベルステンフェルトのリヒテンベルクシューレは、ヴェルクレアルシューレ課程を有する基礎課程・本課程学校である。幼稚園は6園ある。
=== ライフライン ===
町内の電力網<ref>BDEW(編): ''Karte der Stromnetzbetreiber 2012.'' Frankfurt 2012.</ref>や天然ガス網<ref>BDEW(編): Karte der Gasnetzbetreiber 2012. Frankfurt 2012.</ref>は、Süwag Energie AG の子会社である Syna GmbH が運営している。
上水道は、オーベルステンフェルトの西部はランデスヴァッサーフェアゾルグングにより他所からの水が、東部は地元の水と他所の水との混合水が供給されている。グローナウとプレーフォルストは地元の水が供給されている<ref>Wasserversorgung der Gemeinde Oberstenfeld: Versorgungsbereiche. Oberstenfeld 2009.</ref>。
塵芥処理は、ルートヴィヒスブルク郡の 100 % 子会社であるルートヴィヒスブルク郡塵芥処理会社 (AVL) が担っている。AVL は、ルートヴィヒスブルク郡の委託により、廃棄物の削減、回収、廃棄業務を行っている<ref></ref>。
== 人物 ==
=== 出身者 ===
* ヨナタン・フリードリヒ・バーンマイアー(1774年 - 1841年)福音主義神学者、賛美歌の作詞者
== 関連図書 ==
*
*
*
*
<small>これらの文献は、翻訳元であるドイツ語版の参考文献として挙げられていたものであり、日本語版作成に際し直接参照してはおりません。</small>
== 訳注 ==
== 出典 ==
<references responsive />
== 外部リンク ==
* [https://ift.tt/1khm3kc オーベルステンフェルトのウェブサイト]
[[Category:バーデン=ヴュルテンベルク州の行政区画]]
[[Category:ルートヴィヒスブルク郡]]
https://ift.tt/37Qqtai
Lost Love in Times
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【外部リンク】
Lost Love in Times
https://ift.tt/3bYpf00
Величко, Михаил Андреевич
新規更新されました。 February 22, 2020 at 12:51PM
【外部リンク】
Величко, Михаил Андреевич
https://ift.tt/38RZix1
Австралийский военный контингент в Афганистане
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【外部リンク】
Австралийский военный контингент в Афганистане
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Egon Hanfstaengl
新規更新されました。 February 22, 2020 at 10:35AM
【外部リンク】
Egon Hanfstaengl
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الانتخابات الإسبانية العامة 1936
新規更新されました。 February 22, 2020 at 10:17AM
【外部リンク】
الانتخابات الإسبانية العامة 1936
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意味調べる袋屋美術館
新規更新February 22, 2020 at 10:23AM
【外部リンク】
袋屋美術館
黒崎一男:
'''袋屋美術館'''(ふくろやびじゅつかん)は[[長野県]][[中野市]]にある[[美術館]]。俳人[[小林一茶]]が晩年逗留した袋屋清左衛門邸に、一茶ゆかりの品や歴史ある[[美術品]]が展示されている<ref>[https://ift.tt/3bU2Ukd 袋屋美術館(信州なかの産業・観光公社)]</ref>。
== 概要 ==
小林一茶は1822年(文政5年)頃から、しばしば信州中野の袋屋を訪れた。一茶の最晩年の頃、漢詩をつくる蘭腸は俳句にも情熱をかたむけ、善光寺俳壇の戸谷猿左が主宰する「俳譜発句帖」に梅堂の俳号で作品を発表した。六代袋屋清左衛門こと梅堂とその息子七代目梅塵は一茶と急速に親しくなり、一茶の袋屋への出入りも頻繁になった。一茶が眺めたといわれる庭園は、今もゆったりとした雰囲気が残っている。今は、「袋屋清左衛門邸」と「清左衛門醸造」として受け継がれている。<ref>[https://ift.tt/2uguPcS ふくろや]</ref>
== 袋屋清左衛門邸 ==
小林一茶が袋屋清左衛門邸を訪れたのは、文化文政期。門人たちが集まり、歌仙が行われた。歌仙は三、四人で行うが、俳句が三十六できると終わりとなる。本来即興でつくるが、なかなかすぐに出ないのであらかじめ用意した自分の秀作を出すならわしだった。一茶は晩年、しだいに袋屋に寝泊まりして、長逗留することが多くなった。<ref>[https://ift.tt/2uguPcS ふくろや]</ref>
== 清左衛門醸造 ==
「陣屋みそ」を製造。江戸時代、信州中野は上州草津方面から善光寺へ、あるいは越後方面への交通の要所であった。北信濃の政治・経済の中心地として栄えた町だった。屋号を「袋屋」といい、味噌・醤油の醸造などを営む商家。<ref>[https://ift.tt/2uguPcS ふくろや]</ref>
== 小林一茶 ==
一茶(1763年~1827年)が故郷柏原(現信濃町)に帰り、居を構えたのは、1813年(文化九年)の暮れも押し迫った12月、一茶52歳の時だった。 一茶にとって流浪に等しい江戸での生活と違って、故郷での暮らしはそれなりに充実していた。すでに晩年を迎えている一茶は、江戸仕込みの俳諧師として有名で、北信濃の俳壇に歓迎され、しだいに多くの人々との交流が盛んになっていた。小布施・六川の梅松寺住職知洞や陣屋の椎谷藩士大綾、湯田中(山ノ内町)の門人湯本希杖・其秋父子、夜間瀬(山ノ内町)の四人衆、坂口楚江、中島雲里、柳沢貞淳、小林邑雪らがその頃の一茶の交友たちで、一茶は谷街道や草津街道を行き来して、小布施や湯田中で盛んに句会を催していた。<ref>[https://ift.tt/2uguPcS ふくろや]</ref>
== 信州中野 ==
当時の信州中野では漢詩創作活動が盛んで袋屋の当主蘭腸を中心に、晩晴吟社を結成し、中野草堂というサロンで、漂白の詩人柏木如亭の指導を得て、蘭腸をはじめ畔上聖誕、山田松斉、鎮目潮生、木舗百年らが盛んに詩壇活動を行った。晩晴吟社の活動が江戸に知られるようになると、頼山陽をはじめたくさんの名士が中野を訪れた。<ref>[https://ift.tt/2uguPcS ふくろや]</ref>
== 陣屋みそ ==
陣屋とは天領に置かれた代官所。中野陣屋が置かれていたこの地には江戸時代、文化・文政年間に天領文化と呼ばれた創造性に富んだ文化が開花。清左衛門醸造の味噌もこの文化を背景にして生まれた。「清左衛門醸造」として受け継がれた味は、何時の頃からか「陣屋みそ」の名で人々に親しまれ、「信州みそ」の特色をよく伝えてきた。土用前後の信州は昼夜の温度差が大きく、味噌の成熟には願ってもない風土に恵まれている。「陣屋みそ」はこの熟成させる(寝かせる)前の段階、つぶした大豆と麹をあわせる工程を機械によらず、あえて手作業で行っている。これは塩のばらつきを生じさせるためで、こうすることにより熟成中に多くの乳酸が出て、いわゆる"塩のカド"をとり、まろやかな味わいとなる。伝統を守り、素朴な手造り生産のため量産は不可能だが、蔵出しのほんものの味噌で逸品である。<ref>[https://ift.tt/2uguPcS ふくろや]</ref>
== 一茶の年譜 ==
{| class="wikitable"
|<center>西暦</center>
|<center>和暦</center>
|<center>数え歳</center>
|<center>主 な 出 来 事</center>
|-
|<center>1763</center>
|<center>宝暦13</center>
|<center>1</center>
|一茶、信州長野の柏原村で百姓の長男として生まれる。 名は弥太郎。
|-
|<center>1765</center>
|<center>明和2</center>
|<center>3</center>
|母くにが死ぬ。
|-
|<center>1777</center>
|<center>安永6</center>
|<center>15</center>
|一茶、江戸へ出る。出郷後の消息は20歳ごろまで全く不明。
|-
|<center>1782</center>
|<center>天明2</center>
|<center>19</center>
|この頃、下総馬橋の俳人大川立砂(油屋)に奉公していた という伝承がある。
|-
|<center>1792</center>
|<center>寛政4</center>
|<center>30</center>
|江戸を出て、西国へ行く。
|-
|<center>1792~1796</center>
|<center>寛政4</center>
|<center>30</center>
|一茶が江戸の俳人・二六庵竹阿について俳句を学んだ時、共に弟子だった専念寺の住職性誉和尚(俳号五梅)の縁で四国の香川県、観音寺市にある専念寺に滞在。
|-
|<center>1801</center>
|<center>亨和1</center>
|<center>39</center>
|一茶の父弥五兵衛(69歳)が死ぬ。遺産相続をめぐり、 継母・弟専六との対立がはげしくなる。
|-
|<center>1803</center>
|<center>亨和3</center>
|<center>41</center>
|この頃は江戸に住み、房総方面への行脚が しきりとなる。流山の秋元双樹と知り合い、いくたびも双樹のもとを訪れる。「享和句帖」を記す。
|-
|<center>1804</center>
|<center>亨和4(文化1)</center>
|<center>42</center>
|「文化句帖」を記す。
|-
|<center>1808</center>
|<center>文化5</center>
|<center>46</center>
|弟専六と亡父の遺産を折半する約束する。
|}
{| class="wikitable"
|<center>1812</center>
|<center>文化9</center>
|<center>50</center>
|双樹が死ぬ。その葬儀に参列。故郷柏原へ帰り、居を構える。
|-
|<center>1814</center>
|<center>文化11</center>
|<center>52</center>
|常田久右衛門の娘きく(28歳)と結婚する。
|-
|<center>1816</center>
|<center>文化13</center>
|<center>54</center>
|長男千太郎が誕生するが、まもなく死亡。
|-
|<center>1818</center>
|<center>文政1</center>
|<center>56</center>
|長女さと生まれる。
|-
|<center>1819</center>
|<center>文政2</center>
|<center>57</center>
|句日記「おらが春」成る。
|-
|<center>1820</center>
|<center>文政3</center>
|<center>58</center>
|二男が生まれ、石太郎と名づける。 一茶雪道でころび、ひょうしに中風がおこる。
|-
|<center>1821</center>
|<center>文政4</center>
|<center>59</center>
|石太郎が母の背中で窒息死する。
|-
|<center>1822</center>
|<center>文政5</center>
|<center>60</center>
|三男金三郎生まれる。この頃から、袋屋へ訪れるようになる。
|-
|<center>1823</center>
|<center>文政6</center>
|<center>61</center>
|きくが死亡(37歳)。金三郎も死亡する。
|-
|<center>1824</center>
|<center>文政7</center>
|<center>62</center>
|ゆき(38歳)と結婚するが、ほどなく離縁する。 中風が再発して言語不自由になる。
|-
|<center>1826</center>
|<center>文政9</center>
|<center>64</center>
|宮下やを(32歳)と結婚する。
|-
|<center>1827</center>
|<center>文政10</center>
|<center>65</center>
|柏原に大火があり、一茶の家も類焼する。 一茶、土蔵の仮住まいで死ぬ。
|-
|<center>1828</center>
|<center>文政11</center>
|<center>…</center>
|一茶未亡人やをに、やたが生まれる。
|}
<ref>[https://ift.tt/2uguPcS ふくろや]</ref>
[[ファイル:袋屋美術館展示室(2020-2-21).jpg|サムネイル|304x304ピクセル]]
== 営業時間 ==
:: 午前10時~午後5時 (4時30分までに入館)
== 定休日(現在は冬季休館中-詳しくは袋屋美術館に問い合わせ) ==
:: 毎週月曜日休館 祭日の翌日は休館 (翌日が土・日の場合は開館)
== 入館料 ==
:: 一般 400円、学生 300円 小学生以下は無料(父兄同伴) 団体割引あります。<ref>[https://ift.tt/2uguPcS ふくろや]</ref>
== 交通アクセス ==
: [[上信越自動車道]][[信州中野インターチェンジ|信州中野IC]]から車で約15分
: [[長野電鉄]][[信州中野駅]]から徒歩約15分
== 脚注 ==
[[Category:中野市の建築物]]
[[Category:美術館]]
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Patriziato (Monaco di Baviera)
新規更新されました。 February 22, 2020 at 08:04AM
【外部リンク】
Patriziato (Monaco di Baviera)
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Маяк гавани Нью-Лондона
新規更新されました。 February 22, 2020 at 07:52AM
【外部リンク】
Маяк гавани Нью-Лондона
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Alfredo Barraza
新規更新されました。 February 22, 2020 at 07:52AM
【外部リンク】
Alfredo Barraza
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意味調べるAlana collection
新規更新February 22, 2020 at 07:48AM
【外部リンク】
Alana collection
DilletantiAnonymous: /* Bibliography */
The '''Alana collection''' is a private collection of paintings, owned by the Chilean economist [[Álvaro Saieh]] and his wife Ana Guzmán and kept at their residence in [[Newark, Delaware]].
==History==
The couple have been collecting since the late 1990s, starting with Italian 'primitives' and Renaissance paintings and later broadening to Baroque art<ref name=bilan></ref>.
<!---
According to Carole Blumenfeld in ''[[la Gazette de l'Hôtel Drouot]]'', le couple serait en outre, par l'entremise du [[marchand d'art]] italien , l'acquéreur de ''[[La Dérision du Christ]]'' (dit aussi ''Le Christ moqué''), panneau du [[Diptyque de dévotion (Cimabue)|diptyque de dévotion]] de [[Cimabue]] adjugé d'euros le à l'hôtel des ventes de [[Senlis (Oise)|Senlis]]<ref name=gazette>Liquid error: wrong number of arguments (given 1, expected 2).</ref>. Álvaro Saieh avait effectivement démissionné, peu avant la vente, du conseil d'administration du [[Metropolitan Museum of Art]] de [[New York]] afin d'enchérir librement<ref name=tribune></ref>. Si le certificat d'exportation était accordé par l'État français, l'œuvre pourrait rejoindre la collection Alana<ref name=cda>Liquid error: wrong number of arguments (given 1, expected 2).</ref>. Or le tableau est classé [[Trésor national (France)|trésor national]] le par le [[Ministère de la Culture (France)|ministère de la culture]]<ref name=culture></ref>, classement interdisant pendant trente mois sa sortie du territoire français et laissant au [[musée du Louvre]] le temps de rassembler les fonds nécessaires à son acquisition<ref name="tribune23décembre"></ref>.
--->
== Works in the collection ==
The collection is descibred in three volumes ''The Alana collection: Italian paintings from the 13th to 15th century'' (2009), ''Italian paintings and sculptures from the fourteenth to sixteenth century'' (2011) and ''Italian paintings from the 14th to 16th century'' (2014).
Other than [[El Greco]]'s ''The Entombment'' (exhibited at the [[Grand Palais]] in Paris in 2019-2020), the following works formed part of a 2019-2020 exhibition of the collection at the [[musée Jacquemart-André]]:
<!---
{| class="wikitable sortable"
! class="unsortable"| Illustration !! Artist !! Title !! Date !! Technique !! Dimensions !! Acquisition date !! Notes
|-
|[[Fichier:Peintre bolonais du XIIIe siècle Crucifiion avec la Vierge, saint Jean l'Evangéliste et deux anges.jpg|150px]]
|}}
|
|vers 1280
|tempera et or sur bois
|
|2011
|
|-
|[[Fichier:Scènes de la vie du Christ 01.jpg|150px]]
|}}
|
|troisième quart du
|tempera et or sur bois
|
|2002
|vue d'ensemble, [[#Peintre romain|voir les détails]]
|-
|[[Fichier:Fra Angelico St Sixte.jpg|150px]]
|
|
|vers 1453-1455
|tempera et or sur bois
|
|2018
|
|-
|[[Fichier:Amico Aspertini Ville en flammes avec figures dans le paysage (recadré).jpg|150px]]
|
|
|vers 1530
|huile sur papier marouflé sur toile
|
|2016
|
|-
|[[Fichier:Fra Bartolomeo Saint Jérôme.jpg|150px]]
|
|
|vers 1495
|huile sur bois
|
|2012
|
|-
|[[Fichier:La Correction du moine possédé (recadrée).jpg|150px]]
|[[Bartolomeo di Giovanni]]
|
|vers 1485
|tempera sur bois
|
|2002
|scène de la vie de [[Benoît de Nursie|saint Benoît]]
|-
|[[Fichier:Defaut.svg|150px]]
|[[Bartolomeo di Giovanni]]
|
|vers 1485
|tempera sur bois
|
|2002
|scène de la vie de [[Benoît de Nursie|saint Benoît]]
|-
|[[Fichier:L'Adoration des bergers, Jacopo da Ponte dit Bassano (recadrée).jpg|150px]]
|
|
|vers 1562-1563
|huile sur toile
|
|2014
|
|-
|[[Fichier:Giovanni Bellini - Les Larrons Dismas et Gestas.jpg|150px]]
|
|
|vers 1475
|tempera sur toile appliquée sur bois
|
|2003
|
|-
|[[Fichier:Bronzino - Cosme Ier de Médicis.jpg|alt=|150x150px]]
|
| de Médicis''}}
|vers 1560
|huile sur bois
|
|2015
|
|-
|[[Fichier:Bronzino St Côme.jpg|150px]]
|
|
|vers 1543-1545
|huile sur bois
|
|2011
|les douanes françaises ont confisqué le tableau, à la clôture de l'exposition au musée Jacquemart-André, car le tableau pourrait être un faux<ref name=theartnewspaper/>
|-
|[[Fichier:Polidoro Caldara da Caravaggio - Vierge à l'Enfant.jpg|150px]]
|
|
|vers 1525
|huile sur bois
|
|2006
|
|-
|[[Fichier:Vittore Carpaccio - Le Christ mort soutenu par deux anges.jpg|150px]]
|
|
|vers 1490
|technique mixte sur bois
|
|2010
|
|-
|[[Fichier:Annibale Carracci - L'Annonciation.jpg|150px]]
|
|
|vers 1582-1588
|huile sur toile
|
|2013
|
|-
|[[Fichier:Crivelli Un saint apôtre.jpg|150px]]
|
|
|vers 1472-1476
|tempera et or sur bois
|
|2011
|
|-
|[[Fichier:Bernardo Daddi Vierge à l'Enfant en majesté avec saint François d'Assise, sainte Marie-Madeleine et une donatrice.jpg |150px]]
|
|
|vers 1335
|tempera et or sur bois
|
|2011
|
|-
|[[Fichier:Daddi Crucifixion.jpg|150px]]
|
|
|vers 1335-1340
|tempera et or sur bois
|
|2011
|
|-
|[[Fichier:Dalmasio Vierge à l'Enfant en majesté avec des anges.jpg|150px]]
|
|
|vers 1340
|tempera et or sur bois
|
|2012
|
|-
|[[Fichier:Carlo Dolci - Sainte Agathe.jpg|alt=|150x150px]]
|
|
|vers 1664-1665
|huile sur toile marouflée sur bois
|
|2018
|
|-
|[[Fichier:Dosso Dossi Paysage avec des joueurs de cartes.jpg|150px]]
|
|
|vers 1518-1522
|huile sur toile
|
|2014
|fragment d'une frise
|-
|[[Fichier:Raiboldini saint François.jpg|150px]]
|
|
|vers 1490 ou 1494
|tempera et huile sur bois
|
|2004
|
|-
|[[Fichier:Gentile da Fabriano apotre 3.jpg|73px]] [[Fichier:Gentile da Fabriano apotre 1.jpg|73px]]
|[[Gentile da Fabriano]]
|
|vers 1405
|tempera et or sur bois
|
|2009
|saint Jacques
|-
|[[Fichier:Gentile da Fabriano Saint Barthélémy.jpg|75px]] [[Fichier:Gentile da Fabriano Saint Pierre.jpg|71px]]
|[[Gentile da Fabriano]]
|
|vers 1405
|tempera et or sur bois
|
|2009
|saint Pierre
|-
|[[Fichier:Gentile de Fabriano Saint Jude Thaddée.jpg|73px]] [[Fichier:Gentile de Fabriano Saint Matthieu.jpg|73px]]
|[[Gentile da Fabriano]]
|
|vers 1405
|tempera et or sur bois
|
|2009
|saint Matthieu
|-
|[[Fichier:Defaut.svg|150px]]
|Francesco di Cristofano Guiducci dit [[Franciabigio]]
|
|vers 1510
|huile sur parchemin marouflé sur bois,
| panneau central; panneaux latéraux
|2006
|autel portable, avec reliques,peint sur les deux faces avec scène de la vie de la Vierge et du Christ,
|
|-
|[[Fichier:Orazio Gentileschi - L'Annonciation.jpg|150px]]
|
|
|vers 1600-1605
|huile sur albâtre
|
|2016
|
|-
|[[Fichier:Orazio Gentileschi - La Vierge et l'Enfant.jpg|150px]]
|
|
|vers 1610-1612
|huile sur bois
|
|2007
|
|-
|[[Fichier:Niccolò di Pietro Gerini Christ aux outrages.jpg|150px]]
|
|
|vers 1395
|tempera et or sur toile
|
|2012
|
|-
|[[Fichier:Di Pietro Gerini Trinité etc.jpg|150px]]
|
|
|vers 1380-1385
|tempera et or sur bois
|
|1999
|
|-
|[[Fichier:Giambono Saint Ambroise.jpg|150px]]
|
|
|Vers 1447
|tempera et or sur bois
|
|2007
|
|-
|[[Fichier:Giovanni di Paolo Ange de l'Annonciation et Vierge de l'Annonciation.jpg|150px]]
|
|
|vers 1455-1460
|tempera et or sur bois
|
|2010
|la dimension indiquée est celle du panneau de l'Ange ; la dimension du panneau de la Vierge est de
|-
|[[Fichier:Francesco Granacci - Lamentation sur le corps du Christ avec saint Jean-Baptiste.jpg|150px]]
|
|
|vers 1517-1520
|huile sur bois
|
|2012
|
|-
|[[Fichier:Mise au tombeau Greco Alana.jpg|150px]]
|
|
|vers 1570-1575
|huile sur bois
|
|Inconnue<ref name=selection></ref>
|exposée au [[Grand Palais (Paris)|Grand Palais]]
|-
|[[Fichier:Châsse Grifo di Tancredi.jpg|150px]]
|[[Grifo di Tancredi]]
|
|vers 1285 ou 1307
|tempera et or sur bois d'une châsse
|
|2011
|dimensions de la [[châsse]]
|-
|[[Fichier:Guariento di Arpo Crucifixion etc.jpg|150px]]
|
|
|vers 1360
|tempera et or sur bois d'un triptyque
|
|2011
|
|-
|[[Fichier:Jacopo del Casentino Sainte Catherine d'Alexandrie avec un prophète.jpg|74px]] [[Fichier:Jacopo del Casentino Saint Jean l'évangéliste avec un prophète.jpg|71px]]
|[[Jacopo di Casentino|Jacopo del Casentino]]
|
|vers 1330-1335
|tempera et or sur bois
|
|2001
|deux panneaux, la dimension indiquée est celle de chaque panneau
|-
|[[Fichier:Jacopo del Sellaio - Vierge d'humilité avec l'Enfant Jésus, saint Jean-Baptiste et deux anges.jpg|150px]]
|[[Jacopo del Sellaio]]
|
|vers 1490
|tempera et or sur bois
|
|2000
| de diamètre
|-
|[[Fichier:Filippino Lippi - Saint Ubald et saint Frediano.jpg|150px]]
|
|
|vers 1496
|tempera sur bois
|
|2016
|
|-
|[[Fichier:Fra Filippo Lippi - Saint Jean l'Évangéliste.jpg|150px]]
|
|
|vers 1432-1434
|tempera et or sur bois
|
|2007
|
|-
|[[Fichier:Lorenzetti Crucifixion entre la Verge pleurant et saint Jean l'Évangéliste, avec saint Catherine d'Alexandrie.jpg|150px]]
|
|
|vers 1315-1320
|tempera et or sur bois
|
|2012
|
|-
|[[Fichier:Luca della Robbia Vierge à l'Enfant.jpg|150px]]
|[[Luca della Robbia]]
|
|vers 1440
|Terre cuite et bois peints et dorés
|
|2007
| de diamètre<ref>Le ''[[tondo]]'' Alana, contrairement à la Madone de type « » présentée dans la colonne « commentaires », a été débarrassé de sa polychromie d'origine.</ref> [[Fichier:Luca della robbia, madonna col bambino, 1440-50 ca. (fi, coll. priv.).jpg|150px]] Autre Madone de type « » de Luca della Robbia
|-
|[[Fichier:Luca di Tommè - St. Michael.jpg|150px]]
|
|
|vers 1358
|tempera et or sur bois
|
|2009
|
|-
|[[Fichier:Maître de l'Annonciation Spinola Nativité.jpg|150px]]
|Maître de l'Annonciation Spinola
|
|vers 1309-1310
|tempera et or sur bois
|
|2011
|
|-
|[[Fichier:Maître de la Madeleine - Vierge à l'Enfant sur un trône avec deux personnages auréolés.jpg|150px]]
|[[Maître de la Madeleine]] (Filippo di Jacopo ?)
|
|vers 1285-1290
|tempera et or sur bois
|
|2012
|
|-
|[[Fichier:Maestro di Pratovecchio, trittico con Maestà, Santa Brigida e san Michele.jpg|150px]]
|[[Maître de Pratovecchio]]
|
|vers 1450
|tempera et or sur bois
|
|2011
|triptyque, la dimension est celle du panneau central, celle des panneaux latéraux est de
|-
|[[Fichier:Christ en croix adoré par des saints.jpg|150px]]
|Maître des bâtiments gothiques (collatorateur de [[Sandro Botticelli|Botticelli]])
|
|vers 1490
|tempera sur bois
|
|2003
|« [[INRI]] » sur la plaque rouge
|-
|[[Fichier:Diptyque scènes de la Vierge.jpg|150px]]
|Maître des ''dossali'' vénitiens
|
|vers 1335-1345
|tempera et or sur bois
|
|2009
|
|-
|[[Fichier:Bartolomeo Manfredi - Scène de taverne avec un joueur de luth.jpg|150px]]
|
|
|vers 1619-1620
|huile sur toile
|
|2019
|
|-
|[[Fichier:Annonciation Lorenzo Monaco.jpg|150px]]
|
|
|vers 1423-1424
|tempera et or sur bois
|
|2010
|
|-
|[[Fichier:Annonciation Nardo di Cione.jpg|150px]]
|[[Nardo di Cione]]
|
|vers 1350-1355
|tempera et or sur bois
|
|2010
|deux panneaux, l'un figurant la Vierge, l'autre l'Archange, la dimension indiquée est celle de chacun
|-
|[[Fichier:Alvaro Pirez Vierge d'humilité.jpg|150px]]
|
|
|vers 1425-1430
|tempera et or sur bois
|
|2010
|
|-
|[[Fichier:Pontormo - Portrait d'un joueur de luth.jpg|alt=|150px]]
|
|
|vers 1529-1530
|huile sur bois
|
|2017
|
|-
|[[Fichier:Guido Reni - Le Martyre de sainte Apolline.jpg|150px]]
|
|
|vers 1614
|huile sur cuivre
|
|2015
|
|-
|[[Fichier:Romanino, cristo portacroce.jpg|150px]]
|
|
|vers 1542-1543
|huile sur toile
|
|2012
|
|-
|[[Fichier:Christ depicted as The Man of Sorrows by Cosimo Rosselli.jpg|150px]]
|
|
|vers 1490
|tempera et or sur bois
|
|2015
|
|-
|[[Fichier:Savoldo, crocifissione.jpg|150px]]
|
|
|vers 1510-1515
|huile sur bois
|
|2012
|
|-
|[[Fichier:Lo Scheggia - L'Histoire de Coriolan (détail).jpg|150px]]
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|vers 1460-1465
|tempera et or sur bois
|
|2010
|détail : [[#panorama coriolan|voir le panorama infra]]
|-
|[[Fichier:Luca Signorelli L'Agonie au Jardin des Oliviers (recadré).jpg|150px]]
|
|
|vers 1512
|huile sur bois
|
|2014
|
|-
|[[Fichier:Francesco Squarcione Vierge à l'Enfant.jpg |150px]]
|
|
|vers 1445-1450
|tempera et or sur bois
|
|2007
|
|-
|[[Fichier:Gherardo di Jacopo di Neri (Samina) La Présentation de Jésus.jpg|150px]]
|
|
|vers 1494-1405 ou vers 1408
|tempera et or sur bois
|
|2019
|
|-
|[[Fichier:Defaut.svg|150px]]
|
|
|vers 1325-1330
|marbre
|
|2003
|inscription sur le [[phylactère]] : « A.D.Q.P.M. », lecture possible : ''[[Agnus Dei|Agnus Dei Qui (tollis) Peccáta Mundi]]''
|-
|[[Fichier:Tintoret - Épisodes d'une bataille.jpg|150x150px]]
|
|
|vers 1575-1580
|huile sur toile
|
|2016
|
|-
|[[Fichier:Francesco Traini Sainte Catherine d'Alexandrie.jpg|150px]]
|
|
|vers 1330
|tempera et or sur bois
|
|2011
|
|-
|[[Fichier:Bacchiacca - Déposition de croix.jpg|150px]]
|
|
|vers 1520
|huile sur bois
|
|2006
|
|-
|[[Fichier:Paolo uccello, madonna alana, 1433-34 ca.jpg|150px]]
|
|
|vers 1433-1434
|tempera et or sur bois
|
|2011
|
|-
|[[Fichier:Salvator Mundi Vasari.jpg|150px]]
|
|
|vers 1561
|huile sur bois
|
|2018
|
|-
|[[Fichier:Vasari Allégorie des fruits d'automne.jpg|150px]]
|
|
|vers 1570-1574
|huile sur bois
|
|2018
|
|-
|[[Fichier:Veneziano Ste Cath et St Sigismond.jpg|150px]]
|
|
|vers 1368
|tempera sur bois
|
|2015
|la dimension indiquée est celle du panneau de sainte Catherine ; celle du panneau de saint Sigismond est de
|-
|[[Fichier:Entourage Del Verrocchio Vierge à l'enfant.jpg|150px]]
|
|
|vers 1470
|tempera sur bois
|
|2010
|
|-
|[[Fichier:Véronèse - Les Symboles des quatre évangélistes.jpg|alt=|150x150px]]
|
|
|vers 1575
|huile sur toile
|
|2001
|
|-
|[[Fichier:Véronèse Saint Pierre saint Paul.jpg|150px]]
|
|
|vers 1585-1588
|huile sur toile
|
|2011
|la dimension indiquée est celle de chacun des deux tableaux
|-
|[[Fichier:Antonio Vivarini Saint Pierre exorcisant un démon ayant pris les traits d'une Vierge à l'Enfant.jpg|150px]]
|
|
|vers 1450
|tempera et or sur bois
|
|2012
|
|-
|[[Fichier:Defaut.svg|150px]]
|
|
|vers 1450
|tempera et or sur bois
|
|2014
|
|}
<gallery mode="packed" heights="150px" caption="Peintre romain du troisième quart du , ''Huit scènes de la vie du Christ''">
Scènes de la vie du Christ.jpg|Dimension de chaque scène, ([[#Vue d'ensemble|voir la vue d'ensemble]]).
Annonciation XIIIe siècle.jpg|''L'Annonciation''
Nativité XIIIe siècle.jpg|''La Nativité et l'Adoration des Mages''
Présentation XIIIe siècle.jpg|''La Présentation au Temple''
Baptême du Christ XIIIe siècle.jpg|''Le Baptême du Christ''
Cène XIIIe siècle.jpg|''La Cène''
Agonie XIIIe siècle.jpg|''La Prière au Jardin des oliviers''
Baiser de Judas XIIIe siècle.jpg|''L'Arrestation''<ref>La huitième scène, ''La Flagellation'', est ici absente.</ref>
</gallery>
[[Fichier:Lo Scheggia - L'Histoire de Coriolan.jpg|thumb|center|upright=5|Giovanni di Ser Giovanni Guidi, dit [[Le Scheggia|Lo Scheggia]], ''L'Histoire de Coriolan'', [[#détails coriolan|voir détails supra]].]]
== Expositions ==
En 2019, 75 pièces de la collection, citées supra, sont prêtées, à titre exceptionnel, et uniquement parce qu'il s'agit du musée d'un autre couple de collectionneurs<ref name=mja></ref>, au [[musée Jacquemart-André]] à [[Paris]] pour y être exposées ensemble pour la première fois au monde en dehors de la résidence des propriétaires et, selon Carlo Falciani, peut-être l'ultime<ref>Àlvaro Saieh ayant exprimé auprès de Carlo Falciani sa désolation de voir sa maison « vidée », le conservateur précise qu'il sera nécessaire d'être invité à titre privé dans la résidence du collectionneur pour revoir ces œuvres.</ref>, du au <ref name=lançon>Liquid error: wrong number of arguments (given 1, expected 2)</ref>.
À la même période, ''la Mise du tombeau du Christ'' du [[Le Greco|Greco]] est prêtée au [[Grand Palais (Paris)|Grand Palais]] pour la rétrospective du peintre espagnol et exposée du au <ref></ref><ref name=selection/>.
== Doubts on authenticity of ''Saint Cosmas'' ==
<!---
À la clôture de l'exposition au [[musée Jacquemart-André]], les [[Office central de lutte contre le trafic des biens culturels|autorités françaises]] saisissent le ''Saint Côme'' de [[Bronzino]] sur ordonnance de la juge [[Aude Buresi]]<ref name=theartnewspaper>|date=21 janvier 2020 màj 22}}</ref> chargée de l'instruction dans l'affaire des faux tableaux d'art ancien inondant le [[marché de l'art]] international depuis plusieurs années<ref name=marianne>Liquid error: wrong number of arguments (given 1, expected 2)</ref>. Le tableau pourrait être un [[Faux (art)|faux]] mis en circulation par contre lequel un [[mandat d'arrêt européen]] est émis en mai 2019. Un autre mandat est lancé contre son fils, Mathieu, et le peintre [[Lino Frongia]] est interpellé en septembre 2019<ref name=cdesa>Liquid error: wrong number of arguments (given 1, expected 2)</ref>.
Entré dans la collection Alana en 2011, le tableau est exposé pour la première fois en 2010 lors la rétrospective Bronzino au [[palais Strozzi]] à Florence organisée par [[Carlo Falciani]] et [[Philippe Costamagna]]. Interrogé par les enquêteurs, Philippe Costamagna, spécialiste de l'[[école florentine]] et conservateur du [[musée Fesch]] d'[[Ajaccio]], indique que le tableau lui avait été présenté dans l'appartement de Giuliano Ruffini [[rue Saint-Honoré]] où il a authentifié le ''Saint-Côme'' l'attribuant à Bronzino en raison de ses nombreux ''[[Repentir (peinture)|pentimenti]]''<ref name=theartnewspaper/> avant de le présenter à l'exposition de Florence et de le publier à deux reprises avec Carlo Falciani. Le conservateur précise que le tableau semblait appartenir à des [[Marchand d'art|marchands d'art]] [[Espagne|espagnols]] présents lors de la rencontre chez Giuliano Ruffini. Cependant, le nom de Giuliani Ruffini, qui affirme être le découvreur de l'œuvre perdue depuis longtemps, n'apparaît pas dans le catalogue de l'exposition de la collection Alana au musée Jacquemart-André<ref name=theartnewspaper/> : seules sont mentionnées les provenances Juan Lamella à Londres et H. Wirth à Zurich en 2009 avant l'acquisition par la collection Alana en 2011. Les représentants de la collection Alana ont par la suite précisé que l'achat en 2011 a été réalisé auprès de la [[Derek Johns gallery (Londres)]]<ref name=theartnewspaper/>.
[[Didier Rykner]] de ''[[La Tribune de l'art]]'' apporte des précisions après s'être entretenu avec Vincent Noce de '''', celui-ci lui ayant déclaré : <ref name=tda>Liquid error: wrong number of arguments (given 1, expected 2)</ref>.
Le journaliste de la ''Tribune de l'art'' ajoute que [[Philippe Costamagna]], spécialiste de l'[[école florentine]] du , et notamment de [[Pontormo]] et [[Bronzino]] a rencontré chez les propriétaires espagnols du ''Saint Côme'', tableau alors anonyme qu'il a identifié comme l'une des parties d'un ensemble dont ''La Déposition'' conservée au [[musée des Beaux-Arts et d'Archéologie de Besançon]] est la pièce maîtresse et que pour lui <ref name=tda/>.
Didier Rykner s'interroge sur Le risque d'être confronté à une telle procédure n'incitera pas à ses yeux les [[Collectionneur d'œuvres d'art|collectionneurs privés]] étrangers à prêter leurs œuvres aux musées français<ref name=tda/>.
--->
==References==
<references/>
== Bibliography ==
*
* .
* .
* - published for the [[musée Jacquemart-André]] exhibition (13 September 2019-20 January 2020)
==External links==
*
[[category:Private collections]]
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Chronoampérométrie
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【外部リンク】
Chronoampérométrie
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1947–48 USM Blida season
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【外部リンク】
1947–48 USM Blida season
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Beato Amadeu da Silva
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Alexandru Paleologu
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Marie-Elizabeth de Lotbinière-Harwood (1859–1951)
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Marie-Elizabeth de Lotbinière-Harwood (1859–1951)
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Neobisium henroti
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Neobisium henroti
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意味調べる市川仁
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【外部リンク】
市川仁
Forourinfo: ←新しいページ: 「'''市川 仁'''(いちかわ ひとし、1952年 - )は、日本の英文学者。中央学院大学教授。専門はイギリス…」
第14代[[中央学院大学]][[学長]]<ref></ref>。
== 来歴 ==
[[1952年]][[静岡県]]生まれ。[[1976年]]駒澤大学[[文学部]][[英米文学科]]卒業。[[1978年]]同[[大学院]][[修士課程]]修了。[[1981年]]同[[大学院]][[博士課程]]単位取得[[満期退学]]。[[1994年]]中央学院大学[[法学部]]法学科[[准教授]]を経て、のち教授<ref></ref>
<ref></ref>
。
[[2018年]][[7月1日]]、学長に就任<ref></ref>。
== 著書 ==
=== 共編著 ===
* 『ロンドン・パブ物語』[[石原孝哉]]共著 [[丸善]]ライブラリー 1997.12
* 『ミステリーの都ロンドン ゴースト・ツアーへの誘い』石原孝哉,[[内田武彦]]共著 丸善ライブラリー 1999
* 『イギリス大聖堂・歴史の旅』石原孝哉,内田武彦共著 丸善ブックス 2005
* 『英語で楽しむ秘録・イングランド史外伝』石原孝哉, [[依田里花]], [[狩野晃一]] 共編 [[南雲堂]] 2008.3
* 『イギリス検定 あなたが知っている、知らないイギリスの四択・百問』[[川成洋]], 石原孝哉 共編著 南雲堂フェニックス 2011.5
* 『イギリスの四季 ケンブリッジの暮らしと想い出』石原孝哉, [[伊澤東一]], [[宇野毅]] 共編著 [[彩流社]] 2012
* 『北米文化事典』[[高山信雄]], [[田中保]], [[福島昇]], [[江田治郎]] 監修 [[日本英語文化学会]] 2012
* 『田園のイングランド = THE BEAUTIFUL ENGLISH COUNTRYSIDE : 歴史と文学でめぐる四八景』石原孝哉,伊澤東一,宇野毅 編著 彩流社 2018
* 『イギリス文学を旅する60章』石原孝哉 編著 [[明石書店]] 2018
=== 翻訳 ===
* 『王冠』[[D.H.ロレンス]] [[文化書房博文社]] 1986.7
* 『シェイクスピア喜劇とロマンスの発展』[[ノースロップ・フライ]] 石原孝哉 共訳 [[三修社]] 1987.2
* 『シェイクスピア喜劇の世界』ノースロップ・フライ 石原孝哉共訳 三修社 シェイクスピア・ブックス 2001
* 『ノースロップ・フライのシェイクスピア講義』[[ロバート・サンドラー]]編 石原孝哉,[[林明人]] 共訳 三修社 2001
=== 論文 ===
* [https://ift.tt/2wtNmTN CiNii>市川 仁]
「[https://ift.tt/37NDP7h 国立国会図書館サーチ]」を参照
== 出典 ==
<references/> <!-- <ref></ref> -->
== 外部リンク ==
* [https://ift.tt/2VaWx5Z 学長挨拶 | 中央学院大学]
* [https://ift.tt/32glwpQ researchmap]
[[Category:日本の文学研究者]]
[[Category:イギリス文学者]]
[[Category:日本の大学学長]]
[[Category:中央学院大学の教員]]
[[Category:駒澤大学出身の人物]]
[[Category:静岡県出身の人物]]
[[Category:1952年生]]
[[Category:存命人物]]
https://ift.tt/32dUtLU
意味調べるГаубольд, Христиан-Готлиб
新規更新February 22, 2020 at 01:17AM
【外部リンク】
Гаубольд, Христиан-Готлиб
Арсенич: ← Новая страница: « '''Христиан-Готлиб Гаубольд''' (4 ноября 1766, Дрезден...»
'''Христиан-Готлиб Гаубольд''' ([[4 ноября]] [[1766]], [[Дрезден]] — [[14 марта]] [[1824]], [[Лейпциг]]) — [[Германия|немецкий]] , , , профессор [[Римское право|римского]] и [[Англосаксонская правовая семья|англосаксонского права]] в [[Лейпцигский университет|Лейпцигском университете]]. Один из первых представителей исторической школы правоведения.
== Биография ==
В 1786 году окончил [[Лейпцигский университет]]. В 1789 году стал адъюнкт-профессором правовых древностей, работал в Верховном суде (с 1791), был профессором [[Англосаксонская правовая семья|англосаксонского права]] в университете Лейпцига (с 1796), читал лекции на юридическом факультете (с 1802), с 1816 года — судья Высшего суда.
С 1790 года был членом [[Масонская ложа|масонской ложи]] «Минерва к трём пальмам» в [[Лейпциг]]е.
== Избранные сочинения ==
* «Historia juris Romani» ([[Лейпциг]], 1790);
* «Institutiones juris Romani litterariae» (1809);
* «Institutionum juris romani privati historico-dogmaticarum lineamenta» ([[Лейпциг]], 1814);
* «Anleitung zur genaueren Quellenkunde des Röm. Rechts» (1818);
* «Manuale Basilicorum» ([[Лейпциг]], 1819);
* «Heineccii Antiquitatum Romanarum syntagma» (Франкфурт, 1822).
* Opuscula academica ([[Лейпциг]], 1825-1829)
https://ift.tt/39078EI
意味調べるFriedrich August Pflugfelder
新規更新February 22, 2020 at 01:12AM
【外部リンク】
Friedrich August Pflugfelder
Tfjt: /* Literatur */ +1
== Leben ==
[[Datei:Christ tells the apostles that to be as humble as a child ma Wellcome V0034554.jpg|mini|''Quis Major in Regno Coelorum'', Kupferstich nach [[Friedrich Overbeck]], 1846]]
Pflugfelder, Sohn des Kupferstechers [[Johann Gottfried Pflugfelder]],<ref>[[Paul Clemen]] et al.: ''Karl Koetschau von seinen Freunden und Verehrern zum 60. Geburtstag am 27. März 1928. Beiträge zur Kunst-, Kultur- und Literaturgeschichte''. Kunstverein für die Rheinlande und Westfalen, Düsseldorf 1928, S. 131</ref> kam Ende der 1820er Jahre aus [[Hannover]] nach Düsseldorf, wo er bis 1849 – mit mehrjährigen Unterbrechungen – die Klassen für Kupferstichkunst besuchte, zunächst noch bei [[Ernst Carl Thelott]], dann bei [[Joseph von Keller|Joseph Keller]]. Ab 1847 gehörte er zur Meisterklasse Kellers.<ref>[https://ift.tt/32dgQkP ''Findbuch 212.01.04 Schülerlisten der Kunstakademie Düsseldorf''], Webseite im Portal ''archive.nrw.de'' ([[Landesarchiv Nordrhein-Westfalen]])</ref> Als reproduzierender Kupferstecher lebte Pflugfelder in Düsseldorf.
== Literatur ==
* [https://ift.tt/3c75eV4 ''Pflugfelder, Friedrich August'']. In: [[Friedrich von Boetticher (Kunsthistoriker)|Friedrich von Boetticher]]: ''Malerwerke des neunzehnten Jahrhunderts. Beitrag zur Kunstgeschichte''. Band II/1, Dresden 1896, S. 263.
*
== Weblinks ==
== Einzelnachweise ==
<references />
[[Kategorie:Kupferstecher (Deutschland)]]
[[Kategorie:Maler (Düsseldorfer Malerschule)]]
[[Kategorie:Bildender Künstler (Düsseldorf)]]
[[Kategorie:Deutscher]]
[[Kategorie:Geboren 1809]]
[[Kategorie:Gestorben im 19. Jahrhundert]]
[[Kategorie:Mann]]
https://ift.tt/2vX6XLK
Friedrich Wilhelm Klingelfuss
新規更新されました。 February 22, 2020 at 12:42AM
【外部リンク】
Friedrich Wilhelm Klingelfuss
https://ift.tt/2Vdyzqz
St. Johannes Evangelist (Oberbibrach)
新規更新されました。 February 21, 2020 at 10:10PM
【外部リンク】
St. Johannes Evangelist (Oberbibrach)
https://ift.tt/2T3PHfV
2020 WSBL season
新規更新されました。 February 21, 2020 at 10:10PM
【外部リンク】
2020 WSBL season
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(991) МакДональда
新規更新されました。 February 21, 2020 at 10:09PM
【外部リンク】
(991) МакДональда
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2020年2月21日金曜日
意味調べるLady Matilde Obarrio de Mallet
新規更新February 21, 2020 at 09:14PM
【外部リンク】
Lady Matilde Obarrio de Mallet
Vianburg: Página creada con «== Sus Orígenes. == Doña Matilde de Obarrio de Mallet, nació el viernes 13 de marzo de 1872 a las 6 am en Guayas Guayaquil, República de Ecuador; en un viaje vacacional…»
Doña Matilde de Obarrio de Mallet, nació el viernes 13 de marzo de 1872 a las 6 am en Guayas Guayaquil, República de Ecuador; en un viaje vacacional, en que se encontraban sus padres. Tenía como padres a Don Gabriel de Obarrio y Doña Rita de los Dolores Vallarino Jiménez, ambos de origen panameño. Como abuelos paternos a Don Pedro de Obarrio Guerrero y Doña Estefanía Pérez de Ochoa, como abuelos maternos a Don Ramón Nicanor Vallarino Jiménez y Doña Josefina Bráximo García de Paredes. Como bisabuelo paterno a Don Pedro de Obarrio de Aguilar y bisabuela paterna a Doña Clara María Guerrero de Hinojosa. Cabe destacar que abuelo materno de Doña Matilde, Don Ramón Nicanor Vallarino Jiménez fue prócer de la independencia de Panamá de España en 1821 (firmó el Acta de Independencia en 1821) y su abuelo paterno Don Pedro de Obarrio Guerrero fue Gobernador de la Provincia de Panamá en los tiempos de la unión a la República de la Gran Colombia de 1836 a 1840, cuya administración fue una de las mejores de ese entonces. Doña Matilde tuvo dos hermanas y dos hermanos; a Doña Fania de Obarrio Vallarino, Doña María de Obarrio Vallarino, Don Alberto Belisario de Obarrio Vallarino, Don Nicanor Arturo de Obarrio Vallarino (General y Prócer de la independencia 1903) y Pedro de Obarrio Vallarino. <ref>https://ift.tt/2T7Zl0W>
== Una formación íntegra y dedicada. ==
Hizo Doña Matilde estudios en el College Sacred Heart (Colegio del Sagrado Corazón) de Manhattan en la Ciudad de Nueva York en Estados Unidos y pasó luego al convento del Sagrado Corazón en París, Francia. Durante sus estudios, ya teniendo Doña Matilde dominio del idioma español, estudio inglés y francés.
De niña, era para ella un gran placer poder practicar el dominio de sus segundas lenguas con conversaciones de personas de mayor edad que ella. Le fascinaba los incidentes de sus vidas y muy especialmente, las reminiscencias de la vida colonial en Panamá.
De regreso en Panamá, durante su juventud a Doña Matilde le gustaba jugar al croquet y participar en los bailes de la sociedad panameña de ese entonces.
Posteriormente se casó en 1852<ref>https://ift.tt/2HL0wOQ> con Sir Claude Conventry Mallet, el cual era el enviado Extraordinario y Ministro Plenipotenciario de Inglaterra para Panamá y Costa Rica, a quien por sus servicios a la diplomacia británica le fue conferida la Orden de San Miguel y San Jorge por el rey Jorge V. Desde entonces fue conocido como Sir Claude y su consorte, como Lady Mallet.
Fruto de este matrimonio, tuvieron dos hijos, Doña Matilde "Dita" Mallet Obarrio y Don George Mallet Obarrio, quien con los años se recuperara de una grave enfermedad, los cuales residieron en Inglaterra y Portugal respectivamente.
Doña Matilde redactora amena con un culto refinado por todo la concerniente a la historia, en 1915 publica en inglés su libro ''Sketches of Spanish-Colonial Life in Panama<ref>https://ift.tt/37JRoEr> ("Bosquejo de la vida colonial de Panamá")'' <ref>https://ift.tt/2SLgIFS edición de mil ejemplares que se distribuye en la antigua Zona del Canal, Jamaica, Nueva York (Estados Unidos) y Londres (Inglaterra), de igual varias revistas y periódicos, entre los cuales la "Star and Herald" y la "Estrella de Panamá" dieron referencias elogiosas a su obra); viva demostración de su generosidad, donó los derechos de autor a la Cruz Roja Panameña, institución que ella posteriormente fundó.
De inteligencia preclara, con cultura poco común en esa época y la más refinada sensibilidad social, abarcó toda una gama de trabajos en favor de las clases más humildes y necesitadas de su país. Fue promotora de la lucha contra la tuberculosis y un sinfín de actividades.
En 1900, tras estallar la sangrienta batalla del Puente de Calidonia, en la denominada Guerra de los Mil Días, Sir Claude Mallet, ya cónsul del Reino Unido, había organizado una ambulancia para recoger a muertos y heridos, junto a su recién esposa Doña Matilde, en lo que, de acuerdo con el catedrático panameño en Ciencias Políticas Carlos Guevara Mann, pudo haber sido la primera actividad realizada en Panamá bajo el Emblema de la Cruz Roja.<ref>https://ift.tt/32leaBB>
== La Fundación de la Cruz Roja Panameña. ==
Para 1917, las ciudades de Panamá y Colón se encontraban en una situación decorosa de pobreza e insalubridad por las consecuencias de la denominada Batalla de los mil días, aunado a la gran cantidad de trabajadores antillanos que quedaron cesantes debido a la culminación de las obras de construcción del Canal de Panamá que muchos no quisieron, o no pudieron regresar a sus países de orígenes, hicieron que se hacinaran en los ya viejos caserones de madera de los campamentos construidos al iniciar la construcción del canal interoceánico. Esto trajo como consecuencias muchas enfermedades gastrointestinales, tuberculosis y pulmonía por un alto índice de insalubridad y varios damnificados por lo recurrente que se propagaban los incendios.
Consciente de las grandes limitaciones de salud que azotaban durante los primeros años de la independencia del país, inició una serie de gestiones con el Gobierno panameño, entidades privadas y personas generosas a fin de constituir en la nueva República una Institución que se encargara de atender a las familias afectadas por las situaciones antes señaladas.
Doña Matilde estaba enterada de la labor que realizaba la Cruz Roja Internacional en Europa, con motivo de la Primera Guerra Mundial. De allí que se le ocurrió celebrar una reunión en su casa en calle 6ta y Avenida A (detrás del antiguo edificio de la Compañía del Canal Francés del Casco viejo de la Ciudad de Panamá, hoy Casa Mallet) el 13 de Enero de 1917, en la que expresó a los asistentes, que contaban entre ellos al Teniente Coronel Deane C. Howard, Jefe del Departamento de Sanidad de la Zona del Canal; el Dr. Rafael Gutiérrez, Alcalde y Ministro Plenipotenciario de Cuba en Panamá; Misa Louise Brakemier, Jefe de Enfermeras del Hospital Santo Tomás; al Dr. Ciro Urriola, al Sr. Nicolás A. Solano y al Dr. Ricardo J. Alfaro entre otros, las tragedias que se desarrollaron en varias ciudades de Europa y la atención que la Cruz Roja Internacional les brindó a las mujeres y niños víctimas de la cruel contienda.
Los que la escucharon acogieron formalmente la causa que ella preconizaba, la cual consistía en organizar la Cruz Roja en Panamá y afiliarla a la prodigiosa obra que Henry Dunant quien la había fundado en Ginebra, Suiza. Por acuerdo general quedó establecido que la propia Doña Matilde se encargaría de informar al presidente de la República Dr. Ramón Maximiliano Valdés, de la obra que se pretendía realizar. Las gestiones tuvieron buenos resultados pues la idea entusiasmó al presidente, ya que Doña Matilde, por sus estrechas relaciones con las autoridades de la Cruz Roja en Ginebra, pudo proveer al presidente toda la información que se requería para llevar a cabo el proyecto y así el 1 de marzo de 1917, mediante la Ley No. 40 se creó la Cruz Roja Nacional de la República de Panamá, la cual Doña Matilde estableció siguiendo, hasta en los más mínimos detalles, las normas que rigen las Sociedades Nacionales mejor establecidas de cualquier parte del mundo.
A la Institución le prestó los más grandes beneficios justamente en su inicio, que siempre es el período más difícil. No le regateó su inteligencia, su tiempo y energías, su dinero y sobre todo sus dotes de buena organizadora. El 2 de junio de 1917 de conformidad con lo dispuesto en la Ley No. 40 de 1917 se nombra el Comité Ejecutivo Fundador de la Cruz Roja Nacional de Panamá constituido por Doña Matilde de Mallet, el Teniente Coronel Deane C. Howard, el Dr. Rafael Gutiérrez y el Dr. Ricardo J. Alfaro y también a Don Ramón Maximiliano Valdés (Presidente de la República de Panamá) y a Doña Diana Dutary de Valdés, (esposa del Sr. Presidente y por ende Primera Dama de la República de Panamá) como primeros Presidentes Honorarios de la Institución recién creada.
== Los resultados de un año de gestión y su despedida. ==
El 10 de julio de ese mismo año, Doña Matilde invita a una reunión general a todos los miembros fundadores, lo mismo que a las personas que manifestaban interés por la Cruz Roja para explicar los planes y programas que tenía para el futuro, entre los cuales estaban incluidos: la instalación de un dispensario para las mujeres embarazadas, ayuda a la campaña antituberculosa y protección a los ancianos.
Todas estas obras se lograron realizar con las aportaciones generosas de comerciantes a quienes Doña Matilde les solicitó ayuda. También instaló tres clínicas y una guardería donde se cuidaban a los niños cuyas madres no los podían cuidar por su trabajo. El 13 de Enero de 1918, al cumplirse el primer aniversario de la idea de nacimiento de la Cruz Roja Nacional, se celebró una reunión en la sede de la Cruz Roja (antiguo edificio donde hoy se encuentra la Gobernación de Panamá) en la que Doña Matilde presentó un informe de la labor realizada y da a conocer que tiene que retirarse de la obra porque su esposo había sido trasladado al servicio Consular en Uruguay.
''En el informe presentado de su primer año de gestión, Doña Matilde detalló los no pocos logros de la organización: 11 mil visitas de instrucción higiénica a domicilio; tratamiento médico a 654 niños; examen minucioso del estado de salud a 14 mil más; auxilio a 286 familias y visitas a domicilio a 690; la instalación de una clínica de tuberculosis, donde se examinaron 296 enfermos y medicaron 275.'' Posteriormente delegó en Eusebio A. Morales la continuidad de la dirección de la institución. <ref>https://ift.tt/32leaBB>
== Su legado una muestra de su arduo trabajo. ==
Doña Matilde no limitó su actividad al terruño. Establecida con su esposo posteriormente en Inglaterra todavía durante la Primera Guerra Mundial, trabajó con la Cruz Roja de ese país y costeo de su peculio un cuarto en el Star and Garter de Richmond que lleva el nombre de "Lady Mallet Panamá Room" e hizo realidad en el mismo hospital, el "Costa Rica Reading Room".
Doña Matilde también cooperó con obras en nuestra ciudad como el arreglo de la Iglesia Santa Ana, la Catedral Metropolitana, en la cual mandó a buscar conchas de nácar para adornar sus torres (que aún se conservan), así como el arreglo del Altar de las Iglesias de San Francisco y de Santo Domingo. También participó en la conservación del "Altar de Oro" en la Iglesia de San José (en donde se encuentra la imagen de Nuestra Señora de Gracia, patrona y propiedad de la familia de Obarrio) que en conjunto con el General Gorgas evitaron que lo dañara el comején, mandando le a poner con la ayuda de la comunidad hojas de oro de 20 quilates.
En 1930<ref>https://ift.tt/39WAzIb>, por medio de la Academia de Historia de Panamá, en su boletín, se edita al español su libro "Bosquejo de la Vida Colonial de Panamá"<ref>https://ift.tt/32hvaZj> traducido por el Lic. Agustín Perrari y editado por Don Juan Antonio Susto.
En Inglaterra, Doña Matilde estableció su residencia en Sidney House, Bath 2007, en Somerset.
== Condecoraciones obtenidas ==
Entre sus condecoraciones, Inglaterra la condecora con la Orden "Comander British Empire" o C.B.E. (Comandante del Imperio Británico) y con la Medalla de la Cruz Roja Británica por trabajos durante la Primera Guerra Mundial, Francia le otorgo la Orden de Reconocimiento del Gobierno Francés, Bélgica la Medalla de la Reina Elizabeth y Panamá, a quien quiso con entrañable amor como su país natal desde de donde estuviera radicada, la Medalla de la Orden Vasco Núñez de Balboa".
== Publicaciones ==
La "Revista Cultural Lotería", editada por la Lotería Nacional de Beneficencia de Panamá, en marzo de 1961, edición No.64 publica su libro "Bosquejo de la Vida Colonial de Panamá". De igual forma el Comité Central de la Cruz Roja Nacional de Panamá ordena una edición de este libro para su honra.
Esta revista ha publicado en varias de sus portadas a Doña Matilde, en alusión a su obra en Panamá, entre ellos la portada de la edición No.127 de junio de 1966 y la edición No. 531 de marzo/abril de 2017. También a publicado varios artículos en lo que cabe destacar la edición No.109 de diciembre de 1964 como Valores Femeninos panameños y la edición No.53 de octubre de 1945, le publica un articulo: El esclavo Juanillo el Gacho y su trono de Piedra.
Su vida se apagó un 16 de Octubre de 1964 en la ciudad de Somerset, Condado de Tauton, en Inglaterra a la edad 92 años.
El ecuatoriano Don Carlos Endara Andrade, artista, fotógrafo y pintor, retrató en un cuadro al óleo a Doña Matilde y su cámara fotográfica la retrató e inmortalizó varias veces mientras realizaba la dirección de la Cruz Roja panameña en 1917<ref>https://ift.tt/2uVGC0R>. Estas obras hoy en día reposan en la sede principal de la Cruz Roja Panameña.
La Correspondencia que mantuvieron los esposos Mallet a lo largo de su vida es muy extensa y mucha se conserva hoy en día.
Como homenaje póstumo a su memoria, el comité Central de la Cruz Roja Panameña creó la Medalla "13 de Marzo" y la Orden "Lady Matilde de Obarrio de Mallet".<ref>https://ift.tt/2PsVkDB>
La Avenida 3B Sur del Corregimiento de San Francisco, en el Distrito de Panamá lleva en honor su nombre.<ref>https://ift.tt/2T3eDnF>
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Adrián Herrera González
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Rudolf Pinker (Lepidopterologe)
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Rey del albor, Madrugada
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Tỷ lệ tử vong ca bệnh
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Lista de senadores pelo Rio Grande do Norte por legislatura
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National Intelligence Agency (Thailand)
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Eleição municipal de Guarapuava em 2020
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Nhân quyền tại Nhật Bản
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Dario de la Rosa (MayBe)
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Jugo de pepino
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Minino, Kubenskoye Rural Settlement, Vologodsky District, Vologda Oblast
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Whiskey irlandês
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Collège de Pamiers
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Ингибитор обратного захвата норэпинефрина
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Moneda de dos libras esterlinas
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Madonna col Bambino in trono (Antonio da Negroponte)
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تفجير أفجوي 2020
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Federico Ferdinando Costantino di Sassonia-Weimar-Eisenach
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Liste der Stolpersteine in Kirchberg (Hunsrück)
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نهائي كأس العرب 1985
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Фортуна возвращения
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Gaststubentheater Gößnitz
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2020年2月20日木曜日
Чемпионат мира по биатлону 2020 — гонка преследования (женщины)
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Agostino Oreggi
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Pons de Lauzières
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Grande Prémio Internacional de Torres Vedras-Troféu Joaquim Agostinho 2007
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Potash Charles Matathia
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Brauereigasthof Wengen (Nennslingen)
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Barbara Hawcroft
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Cuarteto de cuerda nº 1, op. 18-1 (Beethoven)
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Neobisium lulense
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Charles Abbot (2e baron Colchester)
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Thomas Peters (Freetown)
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John Pakington (1er baron Hampton)
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إجلاء الأطفال في ألمانيا خلال الحرب العالمية الثانية
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意味調べるJohn Pakington (1er baron Hampton)
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John Pakington (1er baron Hampton)
Authueil :
'''John Somerset Pakington, baron Hampton''', ( - ), connu sous le nom de Sir John Pakington, baronnet, de 1846 à 1874, est un politicien [[Parti conservateur (Royaume-Uni)|conservateur]] britannique.
== Jeunesse et éducation ==
Né John Somerset Russell, il est le fils de William Russell et Elizabeth Pakington, membre d'une éminente famille du [[Worcestershire]]. Elizabeth est la sœur et l'héritière de Sir John Pakington, le et dernier baronnet Pakington d'Ailesbury. John Somerset fait ses études au [[Collège d'Eton]] et à [[Oriel College|Oriel College, Oxford]] et prend en 1830 le nom de famille de Pakington au lieu de son patronyme en héritant des domaines de son oncle maternel. Il s'agit notamment de dans le Worcestershire et Pakington s'y installe avec sa première femme en 1832.
== Carrière politique ==
Il est élu à la quatrième tentative en tant que député conservateur de Droitwich en 1837, un siège qu'il occupe jusqu'en 1874. Il est nommé à un poste par Sir [[Robert Peel]] en 1841 et créé en 1846 premier baronnet Pakington de la deuxième création, de Westwood dans le comté de Worcester. Il sert ensuite sous [[Edward Smith-Stanley (14e comte de Derby)|Lord Derby]] comme [[secrétaire d'État à la Guerre et aux Colonies]] en 1852 et est admis au [[Conseil privé (Royaume-Uni)|Conseil privé]] la même année. Le gouvernement ne dure qu'un an et, dans l'opposition, il développe un intérêt pour la réforme de l'éducation, présentant en 1855 un projet de loi sur l'éducation infructueux qui préfigurait la loi de 1870.
Avec les Tories de retour au pouvoir, il occupe de nouveau un poste sous Lord Derby en tant que premier lord de l'amirauté de 1858 à 1859 et de 1866 à 1867. En tant que premier lord, il commande le premier navire de guerre blindé, le HMS ''Warrior'', lancé en 1860. Sous Derby et son successeur [[Benjamin Disraeli]], il est [[Secrétaire d'État à la Guerre (Royaume-Uni)|secrétaire d'État à la Guerre]] de 1867 à 1868. Il est nommé [[Ordre du Bain|GCB]] en 1859.
Il perd son siège aux Communes lors de l'élection de 1874 et est élevé à la pairie en tant que baron Hampton, de Hampton Lovett et de Westwood dans le comté de Worcester.
[[Fichier:John_Somerset_Pakington,_Vanity_Fair,_1870-02-12.jpg|gauche|vignette| Pakington caricaturé par "ATn" dans ''Vanity Fair'', 1870 ]]
Il est pendant de nombreuses années président du Worcestershire Quarter Sessions. Il est élu membre de la [[Royal Society]] en juin 1858 <ref></ref>. Il est également président de la [[Royal Statistical Society]] 1861-1863 et commissaire du [[Civil Service (Royaume-Uni)|service civil]] de 1875 jusqu'à sa mort.
== Famille ==
Lord Hampton épouse d'abord Mary, fille de Moreton Aglionby Slaney, le 14 août 1822. Après sa mort en 1843, il épouse Augusta, fille du très révérend [[George Murray (évêque de Rochester)|George Murray]], le 2 juin 1844. Après sa mort en 1848, il épouse en troisièmes noces Augusta Anne, fille de Thomas Champion de Crespigny et veuve de Thomas Davies, député, le 5 juin 1851. Lord Hampton est décédé à son domicile de Londres en avril 1880, à l'âge de 81 ans, et son fils de son premier mariage, John Slaney Pakington, lui a succédé <ref></ref>.
== Références ==
== Liens externes ==
*
*
[[Catégorie:Membre du Conseil privé du Royaume-Uni]]
[[Catégorie:Député du 20e Parlement du Royaume-Uni]]
[[Catégorie:Député du 19e Parlement du Royaume-Uni]]
[[Catégorie:Député du 18e Parlement du Royaume-Uni]]
[[Catégorie:Député du 17e Parlement du Royaume-Uni]]
[[Catégorie:Député du 16e Parlement du Royaume-Uni]]
[[Catégorie:Député du 15e Parlement du Royaume-Uni]]
[[Catégorie:Député du 14e Parlement du Royaume-Uni]]
[[Catégorie:Député du 13e Parlement du Royaume-Uni]]
[[Catégorie:Membre de la Royal Society]]
[[Catégorie:Président de la Royal Statistical Society]]
[[Catégorie:Chevalier grand-croix de l'ordre du Bain]]
[[Catégorie:Premier Lord de l'Amirauté]]
[[Catégorie:Baron de la pairie du Royaume-Uni]]
[[Catégorie:Étudiant de Oriel College]]
[[Catégorie:Élève du Eton College]]
[[Catégorie:Décès en avril 1880]]
[[Catégorie:Naissance en février 1799]]
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Ralf van Bühren
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Ralf van Bühren
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Athatcha Rahongthong
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Athatcha Rahongthong
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René Ducassou-Péhau
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René Ducassou-Péhau
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Кормилицы Диониса
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طرد التشيليين من بوليفيا والبيرو عام 1879
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طرد التشيليين من بوليفيا والبيرو عام 1879
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意味調べるثقافة غولاساكا
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ثقافة غولاساكا
Abdullah Arfa: This article was translated by I Believe in Science & Ideas beyond borders & Beit al Hikma 2.0
تنتشر الأدلة المادية للثقافة على مساحة واسعة تبلغ 20,000 كيلومتر مربع<ref name="Marinis">Raffaele de Marinis, ''Liguri e Celto-Liguri'' in ''Italia. Omniun terrarum alumna'', Garzanti-Scheiwiller, 1988.</ref> جنوب [[الألب|جبال الألب]]، بين أنهار بو وسريو وسيزيا، ويحدها من الشمال ممرات جبال الألب.
== السؤال الإثنوغرافي ==
في دراسة ما يسمى النقوش اللبونية، المكتوبة بأبجدية لوغانو التي استخدمها سكان غولاساكا في القرنين السادس والخامس قبل الميلاد، قادت ميشيل ليجون (1971) لتأسيس عضوية اللغة التي نقلتها هذه الكتابة إلى عائلة لغات سلتيك.<ref>''"La battaglia del Ticino tra Annibale e Scipione"'', 1824.</ref>
ثبت بعد ذلك وجود ثقافة ما قبل الغال السلتيكية في شمال غرب إيطاليا، قبل القرن الرابع قبل الميلاد، والذي يجب البحث عن أصلها قبل فترة طويلة من القرن السادس قبل الميلاد، وهو تاريخ غزو بيلوفيسوس، أي على الأقل في زمن ثقافة كانيغراتيه (القرن الثالث عشر قبل الميلاد)، والتي تقدّم في الآثار الفخارية والبرونزية العديد من النقاط المشتركة مع معظم المجموعات الغربية من ثقافة آرنفيلد (الراين -سويسرا- شرق فرنسا، القرن 13 - الثامن قبل الميلاد). أو ربما، هناك فرضية أكثر ترجيحًا، وهي إمكانية تتبع الوجود القديم [[لغة كلتية بدائية|للغة الكلتية البدائية]] الذي يرجع إلى بداية العصر البرونزي الأوسط (القرن السادس عشر -القرن الخامس عشر قبل الميلاد)، حين بدا شمال غرب إيطاليا مرتبطًا ارتباطًا وثيقًا بإنتاج القطع الأثرية البرونزية، بما في ذلك الحلي، إلى المجموعات الغربية من ثقافة توميلوس.<ref>[https://ift.tt/2vMQolN Maria Adelaide Binaghi, ''I cromlech del Monsorino'']</ref>
== المراجع ==
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Torre di Porto Corallo
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Torre di Porto Corallo
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Bombing of Bologna in World War II
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Bombing of Bologna in World War II
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Section Jeunesse de l'Inter Milan
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Section Jeunesse de l'Inter Milan
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Classmates (manga)
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Classmates (manga)
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1959年北海道議会議員選挙
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1959年北海道議会議員選挙
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Elezioni comunali a Rieti
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Elezioni comunali a Rieti
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Episodi di Doraemon (serie animata 1979) (sedicesima stagione)
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Episodi di Doraemon (serie animata 1979) (sedicesima stagione)
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Arnold Sjöstrand
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Arnold Sjöstrand
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Álbum Ilustrado de Minas Gerais
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SS Richard Bland
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Episodi di Doraemon (serie animata 1979) (quindicesima stagione)
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إجلاء المدنيين في اليابان خلال الحرب العالمية الثانية
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Hans Henric Cahman
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Hans Henric Cahman
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意味調べるSpecie di Poa
新規更新February 19, 2020 at 11:55PM
【外部リンク】
Specie di Poa
Enrico Blasutto:
'''Elenco delle specie di ''[[Poa]]''''':<ref></ref>
==A==
* ''[[Poa abbreviata]]'' <small>R.Br., 1823</small>
* ''[[Poa acicularifolia]]'' <small>Buchanan, 1890</small>
* ''[[Poa acinaciphylla]]'' <small>É.Desv., 1853</small>
* ''[[Poa acroleuca]]'' <small>Steud., 1854</small>
* ''[[Poa adusta]]'' <small>J.Presl, 1830</small>
* ''[[Poa aequalis]]'' <small>(Swallen & Tovar) Refulio, 2012</small>
* ''[[Poa aequatoriensis]]'' <small>Hack., 1902</small>
* ''[[Poa aequigluma]]'' <small>Tovar, 1965</small>
* ''[[Poa affinis]]'' <small>R.Br., 1810</small>
* ''[[Poa afghanica]]'' <small>Bor, 1954</small>
* ''[[Poa aitchisonii]]'' <small>Boiss., 1884</small>
* ''[[Poa ajanensis]]'' <small>Prob., 2006</small>
* ''[[Poa akmanii]]'' <small>Soreng, P.Hein & H.Scholz, 1997</small>
* ''[[Poa alberti]]'' <small>Regel, 1880</small>
* ''[[Poa albescens]]'' <small>Hitchc., 1913</small>
* ''[[Poa almasovii]]'' <small>Golub, 1936</small>
* ''[[Poa alopecurus]]'' <small>(Gaudich. ex Mirb.) Kunth, 1829</small>
* ''[[Poa alpigena]]'' <small>Lindm., 1918</small>
* ''[[Poa alpina]]'' <small>L., 1753</small>
* ''[[Poa alsodes]]'' <small>A.Gray, 1856</small>
* ''[[Poa alta]]'' <small>Hitchc., 1930</small>
* ''[[Poa amplexicaulis]]'' <small>C.M.Weiller & Stajsic, 2006</small>
* ''[[Poa amplivaginata]]'' <small>(Tovar) Refulio, 2012</small>
* ''[[Poa anae]]'' <small>Tovar, 1985</small>
* ''[[Poa anceps]]'' <small>G.Forst., 1786</small>
* ''[[Poa androgyna]]'' <small>Hack., 1908</small>
* ''[[Poa angustifolia]]'' <small>L., 1753</small>
* ''[[Poa ankaratrensis]]'' <small>A.Camus & H.Perrier, 1992</small>
* ''[[Poa annua]]'' <small>L., 1753</small>
* ''[[Poa antipoda]]'' <small>Petrie, 1909</small>
* ''[[Poa apiculata]]'' <small>Refulio, 2012</small>
* ''[[Poa arachnifera]]'' <small>Torr., 1853</small>
* ''[[Poa araratica]]'' <small>Trautv., 1873</small>
* ''[[Poa arctica]]'' <small>R.Br., 1823</small>
* ''[[Poa arechavaletae]]'' <small>Parodi, 1936</small>
* ''[[Poa arida]]'' <small>Vasey, 1893</small>
* ''[[Poa arnowiae]]'' <small>Soreng, 1998</small>
* ''[[Poa arzhanensis]]'' <small>Nosov</small>
* ''[[Poa asirensis]]'' <small>Cope, 2006</small>
* ''[[Poa asperifolia]]'' <small>Bor, 1952</small>
* ''[[Poa astonii]]'' <small>Petrie, 1906</small>
* ''[[Poa atropidiformis]]'' <small>Hack., 1900</small>
* ''[[Poa atropurpurea]]'' <small>Scribn., 1898</small>
* ''[[Poa attalica]]'' <small>(H.Scholz) Soreng, Cabi & L.J.Gillespie</small>
* ''[[Poa attenuata]]'' <small>Trin., 1835</small>
* ''[[Poa aucklandica]]'' <small>Petrie, 1909</small>
* ''[[Poa auriculata]]'' <small>Soreng & P.M.Peterson</small>
* ''[[Poa aurigae]]'' <small>Veldkamp, 1994</small>
* ''[[Poa × austrohercynica]]'' <small>Wein, 1909</small>
* ''[[Poa austrokurilensis]]'' <small>Prob. & Barkalov, 2015</small>
* ''[[Poa austrouralensis]]'' <small>Tzvelev, 2009</small>
* ''[[Poa autumnalis]]'' <small>Muhl. ex Elliott, 1816</small>
* ''[[Poa ayacuchensis]]'' <small>Tovar, 1974</small>
* ''[[Poa ayseniensis]]'' <small>Hack., 1911</small>
<gallery>
Immagine:Poa abbreviata-MW0158033-live.jpg|''Poa abbreviata''
Immagine:Grass Lane Cove River.JPG|''Poa affinis''
Immagine:Alpen-Rispengras (Poa alpina).jpg|''Poa alpina''
Immagine:Poa angustifolia1.JPG|''Poa angustifolia''
Immagine:Starr 080415-3993 Poa annua.jpg|''Poa annua''
Immagine:Poa araratica kz01.jpg|''Poa araratica''
Immagine:Poa arctica - panicle view (Matt Lavin).jpg|''Poa arctica''
Immagine:Poa arida (7516783866).jpg|''Poa arida''
Immagine:Poa astonii kz01.jpg|''Poa astonii'
Immagine:Poaatropurpurea.jpg|''Poa atropurpurea''
</gallery>
==B==
* ''[[Poa babiogorensis]]'' <small>Bernátová & Májovský & Obuch</small>
* ''[[Poa bactriana]]'' <small>Roshev., 1923</small>
* ''[[Poa badensis]]'' <small>Haenke ex Willd., 1797</small>
* ''[[Poa bajaensis]]'' <small>Soreng, 2002</small>
* ''[[Poa balbisii]]'' <small>Parl., 1850</small>
* ''[[Poa banffiana]]'' <small>(Soreng) Soreng & L.J.Gillespie</small>
* ''[[Poa bergii]]'' <small>Hieron., 1879</small>
* ''[[Poa beringiana]]'' <small>Prob., 1971</small>
* ''[[Poa bigelovii]]'' <small>Vasey ex Scribn., 1885</small>
* ''[[Poa binata]]'' <small>Nees, 1841</small>
* ''[[Poa binodis]]'' <small>Keng f. ex L.Liu, 2002</small>
* ''[[Poa bolanderi]]'' <small>Vasey, 1882</small>
* ''[[Poa boliviana]]'' <small>Refulio, 2012</small>
* ''[[Poa bomiensis]]'' <small>C.Ling, 1979</small>
* ''[[Poa bonariensis]]'' <small>(Lam.) Kunth, 1829</small>
* ''[[Poa borbonica]]'' <small>Poir., 1816</small>
* ''[[Poa boreorossica]]'' <small>Tzvelev</small>
* ''[[Poa borneensis]]'' <small>Jansen, 1953</small>
* ''[[Poa boxiana]]'' <small>Luces, 1953</small>
* ''[[Poa bradei]]'' <small>Pilg., 1935</small>
* ''[[Poa breviglumis]]'' <small>Hook.f., 1845</small>
* ''[[Poa brevis]]'' <small>Hitchc., 1927</small>
* ''[[Poa bromoides]]'' <small>Vahl, 1794</small>
* ''[[Poa buchananii]]'' <small>Zotov, 1943</small>
* ''[[Poa bucharica]]'' <small>Roshev., 1923</small>
* ''[[Poa bulbosa]]'' <small>L., 1753</small>
* ''[[Poa burmanica]]'' <small>Bor, 1948</small>
* ''[[Poa bussmannii]]'' <small>H.Scholz, 2010</small>
<gallery>
Immagine:Poa badensis 038.JPG|''Poa badensis''
Immagine:Poa buchananii kz01.jpg|''Poa buchananii''
Immagine:Poa bulbosa 2.jpg|''Poa bulbosa''
</gallery>
==C==
* ''[[Poa cabreriana]]'' <small>Anton & Ariza, 1980</small>
* ''[[Poa calchaquiensis]]'' <small>Hack., 1911</small>
* ''[[Poa calliopsis]]'' <small>Litv. ex Ovcz., 1933</small>
* ''[[Poa callosa]]'' <small>Stapf, 1899</small>
* ''[[Poa calycina]]'' <small>(J.Presl) Kunth, 1833</small>
* ''[[Poa candamoana]]'' <small>Pilg, 1906.</small>
* ''[[Poa carazensis]]'' <small>Pilg., 1906</small>
* ''[[Poa carpatica]]'' <small>(V.Jirásek) Chopik, 1976</small>
* ''[[Poa caucasica]]'' <small>Trin., 1831</small>
* ''[[Poa celebica]]'' <small>Veldkamp, 1994</small>
* ''[[Poa celsa]]'' <small>Edgar, 1986</small>
* ''[[Poa cenisia]]'' <small>All., 1789</small>
* ''[[Poa chaixii]]'' <small>Vill., 1786</small>
* ''[[Poa chamaeclinos]]'' <small>Pilg., 1906</small>
* ''[[Poa chambersii]]'' <small>Soreng, 1998</small>
* ''[[Poa chapmaniana]]'' <small>Scribn., 1894</small>
* ''[[Poa chathamica]]'' <small>Petrie, 1902</small>
* ''[[Poa cheelii]]'' <small>Vickery, 1970</small>
* ''[[Poa chirripoensis]]'' <small>R.W.Pohl, 1976</small>
* ''[[Poa chokensis]]'' <small>S.M.Phillips, 1989</small>
* ''[[Poa cita]]'' <small>Edgar, 1986</small>
* ''[[Poa clavigera]]'' <small>Veldkamp, 1994</small>
* ''[[Poa clelandii]]'' <small>Vickery, 1970</small>
* ''[[Poa clivicola]]'' <small>Vickery, 1970</small>
* ''[[Poa × coarctata]]'' <small>Haller f. ex Gaudin, 1808</small>
* ''[[Poa cockayneana]]'' <small>Petrie, 1913</small>
* ''[[Poa colensoi]]'' <small>Hook.f., 1864</small>
* ''[[Poa × complanata]]'' <small>Schur, 1866</small>
* ''[[Poa compressa]]'' <small>L., 1753</small>
* ''[[Poa confinis]]'' <small>Vasey, 1893</small>
* ''[[Poa congesta]]'' <small>Refulio, 2012</small>
* ''[[Poa cookii]]'' <small>(Hook.f.) Hook.f., 1879</small>
* ''[[Poa cooperi]]'' <small>Noltie, 2000</small>
* ''[[Poa costiniana]]'' <small>Vickery, 1970</small>
* ''[[Poa crassicaudex]]'' <small>Vickery, 1970</small>
* ''[[Poa crassicaulis]]'' <small>Pilg., 1929</small>
* ''[[Poa crassinervis]]'' <small>Honda, 1926</small>
* ''[[Poa cucullata]]'' <small>Hack., 1902</small>
* ''[[Poa cumingii]]'' <small>Trin., 1836</small>
* ''[[Poa curtifolia]]'' <small>Scribn., 1899</small>
* ''[[Poa cusickii]]'' <small>Vasey, 1893</small>
* ''[[Poa cuspidata]]'' <small>Nutt., 1818</small>
* ''[[Poa cyrenaica]]'' <small>E.A.Durand & Barratte, 1910</small>
* ''[[Poa czazhmensis]]'' <small>Prob., 2015 </small>
<gallery>
Immagine:20180606 GGIGardens RockAlpine Default DSCN0014.jpg|''Poa chaixii''
Immagine:Poa chathamica kz02.jpg|''Poa chathamica''
Immagine:Poa cita.jpg|''Poa cita''
Immagine:Poa colensoi 01.jpg|''Poa colensoi''
Immagine:Poa compressa (3987332407).jpg|''Poa compressa''
Immagine:Poaconfinis.jpg|''Poa confinis''
Immagine:Poa cookii at the Sub Antarctic Plant House, Royal Tasmanian Botanical Gardens 02.jpg|''Poa cookii''
Immagine:Poa fendleriana (6120321873).jpg|''Poa cusickii''
Immagine:Bluegrass (4526402057).jpg|''Poa cuspidata''
</gallery>
==D==
* ''[[Poa damavandica]]'' <small>Assadi & Kavousi, 2009</small>
* ''[[Poa darwiniana]]'' <small>Parodi, 1937</small>
* ''[[Poa davisii]]'' <small>Bor, 1972</small>
* ''[[Poa deminuta]]'' <small>Refulio, 2012</small>
* ''[[Poa densa]]'' <small>Troitsky, 1928</small>
* ''[[Poa denticulata]]'' <small>Hack., 1912</small>
* ''[[Poa dentigluma]]'' <small>Tovar, 1985</small>
* ''[[Poa denudata]]'' <small>Steud., 1854</small>
* ''[[Poa diaboli]]'' <small>Soreng & Keil, 2003</small>
* ''[[Poa diaphora]]'' <small>Trin., 1836</small>
* ''[[Poa × digena]]'' <small>Melderis, 1978</small>
* ''[[Poa dimorphantha]]'' <small>Murb., 1900</small>
* ''[[Poa dipsacea]]'' <small>Petrie, 1894</small>
* ''[[Poa disjecta]]'' <small>Ovcz., 1933</small>
* ''[[Poa dissanthelioides]]'' <small>Tovar, 1981</small>
* ''[[Poa diversifolia]]'' <small>(Boiss. & Balansa) Hack. ex Boiss., 1884</small>
* ''[[Poa dolichophylla]]'' <small>Hack., 1911</small>
* ''[[Poa dolosa]]'' <small>Boiss. & Heldr., 1859</small>
* ''[[Poa douglasii]]'' <small>Nees, 1838</small>
* ''[[Poa dozyi]]'' <small>Veldkamp, 1984</small>
* ''[[Poa drummondiana]]'' <small>Nees, 1843</small>
* ''[[Poa dudkinii]]'' <small>Prob., 2010</small>
* ''[[Poa durifolia]]'' <small>Giussani, Nicora & Roig, 2000</small>
* ''[[Poa dzongicola]]'' <small>Noltie, 2000</small>
<gallery>
Immagine:Poa douglasii.jpeg|''Poa douglasii''
Immagine:Poa drummondiana - Flickr - Kevin Thiele.jpg|''Poa drummondiana''
</gallery>
==E==
* ''[[Poa egorovae]]'' <small>Tzvelev, 2009</small>
* ''[[Poa eleanorae]]'' <small>Bor, 1948</small>
* ''[[Poa ensiformis]]'' <small>Vickery, 1970</small>
* ''[[Poa epileuca]]'' <small>(Stapf) Stapf, 1899</small>
* ''[[Poa erectifolia]]'' <small>Hitchc., 1936</small>
* ''[[Poa exigua]]'' <small>Hook.f., 1864</small>
==F==
* ''[[Poa faberi]]'' <small>Rendle, 1904</small>
* ''[[Poa falconeri]]'' <small>Hook.f., 1896</small>
* ''[[Poa fauriei]]'' <small>Hack., 1899</small>
* ''[[Poa fawcettiae]]'' <small>Vickery, 1970</small>
* ''[[Poa fax]]'' <small>J.H.Willis & Court, 1956</small>
* ''[[Poa fendleriana]]'' <small>(Steud.) Vasey, 1893</small>
* ''[[Poa ferreyrae]]'' <small>Tovar, 1965</small>
* ''[[Poa fibrifera]]'' <small>Pilg., 1906</small>
* ''[[Poa × figertii]]'' <small>Gerhardt, 1892</small>
* ''[[Poa filiculmis]]'' <small>Roshev., 1949</small>
* ''[[Poa fischeri]]'' <small>Prob., 2015</small>
* ''[[Poa flabellata]]'' <small>(Lam.) Raspail, 1829</small>
* ''[[Poa flaccidula]]'' <small>Boiss. & Reut., 1852</small>
* ''[[Poa flexuosa]]'' <small>Sm., 1800</small>
* ''[[Poa foliosa]]'' <small>(Hook.f.) Hook.f., 1864</small>
* ''[[Poa fordeana]]'' <small>F.Muell., 1873</small>
* ''[[Poa × fossae-rusticorum]]'' <small>Wein, 1913</small>
* ''[[Poa fragilis]]'' <small>Ovcz., 1957</small>
<gallery>
Immagine:Poa fendleriana (27779872424).jpg|''Poa fendleriana''
Immagine:Poa flabellata2.jpg|''Poa flabellata''
Immagine:FMIB 50718 Drooping Habit of the Tussock-Grass Poa foliosa.jpeg|''Poa foliosa''
</gallery>
==G==
* ''[[Poa gamblei]]'' <small>Bor, 1948</small>
* ''[[Poa gammieana]]'' <small>Hook.f., 1896</small>
* ''[[Poa × gandogeri]]'' <small>Fedde, 1910</small>
* ''[[Poa garhwalensis]]'' <small>D.C.Nautiyal & R.D.Gaur, 1999</small>
* ''[[Poa gaspensis]]'' <small>Fernald, 1929</small>
* ''[[Poa gayana]]'' <small>É.Desv., 1853</small>
* ''[[Poa gigantea]]'' <small>(Tovar) Refulio, 2012</small>
* ''[[Poa gilgiana]]'' <small>Pilg., 1906</small>
* ''[[Poa glaberrima]]'' <small>Tovar, 1965</small>
* ''[[Poa glauca]]'' <small>Vahl, 1790</small>
* ''[[Poa gnutikovii]]'' <small>Prob., 2015</small>
* ''[[Poa golestanensis]]'' <small>H.Scholz & Akhani, 1998</small>
* ''[[Poa grandis]]'' <small>Hand.-Mazz., 1936</small>
* ''[[Poa granitica]]'' <small>Braun-Blanq., 1929</small>
* ''[[Poa greuteri]]'' <small>Gabrieljan, 2006</small>
* ''[[Poa grisebachii]]'' <small>R.E.Fr., 1906</small>
* ''[[Poa gunnii]]'' <small>Vickery, 1970</small>
* ''[[Poa gymnantha]]'' <small>Pilg., 1920</small>
<gallery>
Immagine:Poa glauca kz01.jpg|''Poa glauca''
</gallery>
==H==
* ''[[Poa hachadoensis]]'' <small>Nicora, 1977</small>
* ''[[Poa hackelii]]'' <small>Post, 1897</small>
* ''[[Poa hakusanensis]]'' <small>Hack., 1899</small>
* ''[[Poa halmaturina]]'' <small>J.M.Black, 1943</small>
* ''[[Poa hartzii]]'' <small>Gand., 1920</small>
* ''[[Poa harveyi]]'' <small>Chrtek, 1996</small>
* ''[[Poa hedbergii]]'' <small>S.M.Phillips, 1989</small>
* ''[[Poa helenae]]'' <small>Veldkamp, 1994</small>
* ''[[Poa helmsii]]'' <small>Vickery, 1970</small>
* ''[[Poa hentyi]]'' <small>Veldkamp, 1994</small>
* ''[[Poa × herjedalica]]'' <small>Harry Sm., 1920</small>
* ''[[Poa hesperia]]'' <small>Edgar, 1986</small>
* ''[[Poa hideaki-ohbae]]'' <small>Rajbh.</small>
* ''[[Poa hiemata]]'' <small>Vickery, 1970</small>
* ''[[Poa hieronymi]]'' <small>Hack., 1902</small>
* ''[[Poa himalayana]]'' <small>Nees ex Steud., 1854</small>
* ''[[Poa hirtiglumis]]'' <small>Hook.f., 1896</small>
* ''[[Poa hisauchii]]'' <small>Honda, 1928</small>
* ''[[Poa hissarica]]'' <small>Roshev., 1993</small>
* ''[[Poa hitchcockiana]]'' <small>Soreng & P.M.Peterson</small>
* ''[[Poa holciformis]]'' <small>J.Presl, 1830</small>
* ''[[Poa homomalla]]'' <small>Nees, 1846</small>
* ''[[Poa hookeri]]'' <small>Vickery, 1970</small>
* ''[[Poa horridula]]'' <small>Pilg., 1906</small>
* ''[[Poa hothamensis]]'' <small>Vickery, 1970</small>
* ''[[Poa howellii]]'' <small>Vasey & Scribn., 1893</small>
* ''[[Poa huancavelicae]]'' <small>Tovar, 1965</small>
* ''[[Poa hubbardiana]]'' <small>Parodi, 1937</small>
* ''[[Poa huecu]]'' <small>Parodi, 1950</small>
* ''[[Poa humilis]]'' <small>Ehrh. ex Hoffm, 1800</small>.
* ''[[Poa humillima]]'' <small>Pilg., 1906</small>
* ''[[Poa hybrida]]'' <small>Gaudin, 1808</small>
* ''[[Poa hylobates]]'' <small>Bor, 1965</small>
* ''[[Poa hypsinephes]]'' <small>Veldkamp, 1994</small>
==I==
* ''[[Poa ibarii]]'' <small>Phil., 1896</small>
* ''[[Poa iberica]]'' <small>Fisch., C.A.Mey. & Avé-Lall., 1843</small>
* ''[[Poa iconia]]'' <small>Azn., 1919</small>
* ''[[Poa igoshinae]]'' <small>Tzvelev, 2009</small>
* ''[[Poa imbecilla]]'' <small>Biehler</small>
* ''[[Poa imperialis]]'' <small>Bor,1958</small>
* ''[[Poa inconspicua]]'' <small>Veldkamp, 1994</small>
* ''[[Poa induta]]'' <small>Vickery, 1970</small>
* ''[[Poa infirma]]'' <small>Kunth, 1816</small>
* ''[[Poa interior]]'' <small>Rydb., 1905</small>
* ''[[Poa × intricata]]'' <small>Wein, 1911</small>
* ''[[Poa intrusa]]'' <small>Edgar, 1986</small>
* ''[[Poa iridifolia]]'' <small>Hauman, 1917</small>
* ''[[Poa irkutica]]'' <small>Roshev., 1922</small>
* ''[[Poa × ivlievae]]'' <small>Prob., 2015</small>
<gallery>
Immagine:Poa interior (3817116023).jpg|''Poa interior''
</gallery>
==J==
* ''[[Poa janaensis]]'' <small>Prob., 2006</small>
* ''[[Poa jansenii]]'' <small>Veldkamp, 1994</small>
* ''[[Poa jaunsarensis]]'' <small>Bor, 1948</small>
* ''[[Poa × jemtlandica]]'' <small>(Almq.) K.Richt., 1890</small>
* ''[[Poa jeremiadis]]'' <small>Veldkamp, 1994</small>
* ''[[Poa jubata]]'' <small>A.Kern., 1873</small>
* ''[[Poa jugicola]]'' <small>D.I.Morris, 1990</small>
* ''[[Poa × jurassica]]'' <small>Chrtek & V.Jirásek, 1963</small>
==K==
* ''[[Poa kabalanica]]'' <small>Prob., 2017</small>
* ''[[Poa kamczatensis]]'' <small>Prob., 1973</small>
* ''[[Poa keckii]]'' <small>Soreng, 1991</small>
* ''[[Poa kelloggii]]'' <small>Vasey, 1893</small>
* ''[[Poa kenteica]]'' <small>N.R.Ivanov, 1938</small>
* ''[[Poa kerguelensis]]'' <small>(Hook.f.) Steud., 1854</small>
* ''[[Poa keysseri]]'' <small>Pilg., 1929</small>
* ''[[Poa khasiana]]'' <small>Stapf, 1896</small>
* ''[[Poa khokhrjakovii]]'' <small>Prob., 2013</small>
* ''[[Poa kilimanjarica]]'' <small>(Hedberg) Markgr.-Dann., 1969</small>
* ''[[Poa kirkii]]'' <small>Buchanan, 1880</small>
* ''[[Poa klokovii]]'' <small>Tzvelev, 2009</small>
* ''[[Poa koelzii]]'' <small>Bor, 1948</small>
* ''[[Poa koksuensis]]'' <small>Golosk., 1951</small>
* ''[[Poa kolymensis]]'' <small>Tzvelev, 1972</small>
* ''[[Poa korshinskyi]]'' <small>Tzvelev, 2009</small>
* ''[[Poa krasnoborovii]]'' <small>Stepanov, 1994</small>
* ''[[Poa kronokensis]]'' <small>Prob., 2006</small>
* ''[[Poa krylovii]]'' <small>Reverd., 1936</small>
* ''[[Poa kuborensis]]'' <small>Veldkamp, 1994</small>
* ''[[Poa kulikovii]]'' <small>Tzvelev, 2009</small>
* ''[[Poa kurdistanica]]'' <small>Chrtek & Hadac, 1970</small>
* ''[[Poa kurtzii]]'' <small>R.E.Fr., 1906</small>
* ''[[Poa kurynica]]'' <small>Prob., 2015</small>
==L==
* ''[[Poa labillardierei]]'' <small>Steud., 1854</small>
* ''[[Poa lachenensis]]'' <small>Noltie, 2000</small>
* ''[[Poa laegaardiana]]'' <small>Soreng & P.M.Peterson</small>
* ''[[Poa laetevirens]]'' <small>R.E.Fr., 1905</small>
* ''[[Poa lamii]]'' <small>Jansen, 1953</small>
* ''[[Poa lanata]]'' <small>Scribn. & Merr., 1910</small>
* ''[[Poa langtangensis]]'' <small>Melderis, 1978</small>
* ''[[Poa languidior]]'' <small>Hitchc., 1936</small>
* ''[[Poa lanigera]]'' <small>Nees, 1829</small>
* ''[[Poa lanuginosa]]'' <small>Poir., 1804</small>
* ''[[Poa lavrenkoi]]'' <small>Kuczerov, 2001</small>
* ''[[Poa laxa]]'' <small>Haenke, 1791</small>
* ''[[Poa laxiflora]]'' <small>Buckley, 1863</small>
* ''[[Poa legionensis]]'' <small>(Laínz) Fern.Casas & M.Laínz, 1982</small>
* ''[[Poa lehoueroui]]'' <small>Dobignard & Portal, 2010</small>
* ''[[Poa leibergii]]'' <small>Scribn., 1897</small>
* ''[[Poa leioclada]]'' <small>Hack., 1902</small>
* ''[[Poa lepidula]]'' <small>(Nees & Meyen) Soreng & L.J.Gillespie, 2007</small>
* ''[[Poa leptalea]]'' <small>Veldkamp, 1994</small>
* ''[[Poa leptoclada]]'' <small>Hochst. ex A.Rich., 1850</small>
* ''[[Poa leptocoma]]'' <small>Trin., 1831</small>
* ''[[Poa lettermanii]]'' <small>Vasey, 1893</small>
* ''[[Poa levitskyi]]'' <small>Nosov</small>
* ''[[Poa lhasaensis]]'' <small>Bor, 1965</small>
* ''[[Poa ligularis]]'' <small>Nees ex Steud., 1854</small>
* ''[[Poa ligulata]]'' <small>Boiss., 1844</small>
* ''[[Poa lilloi]]'' <small>Hack., 1911</small>
* ''[[Poa × limosa]]'' <small>Scribn. & T.A.Williams, 1899</small>
* ''[[Poa lindebergii]]'' <small>Tzvelev, 1974</small>
* ''[[Poa lindsayi]]'' <small>Hook.f., 1864</small>
* ''[[Poa linearifolia]]'' <small>Refulio, 2012</small>
* ''[[Poa lipskyi]]'' <small>Roshev., 1932</small>
* ''[[Poa litorosa]]'' <small>Cheeseman, 1906</small>
* ''[[Poa longifolia]]'' <small>Trin., 1836</small>
* ''[[Poa longii]]'' <small>Noltie, 2000</small>
* ''[[Poa longiramea]]'' <small>Hitchc., 1936</small>
* ''[[Poa × longriensis]]'' <small>Prob. & Barkalov, 2015</small>
* ''[[Poa lowanensis]]'' <small>N.G.Walsh, 1991</small>
* ''[[Poa lunata]]'' <small>Chase, 1943</small>
<gallery>
Immagine:Poa labillardierei plant3 (8365582385).jpg|''Poa labillardierei''
Immagine:Poa laxa a2.jpg|''Poa laxa''
Immagine:Poa leptocoma NRCS-1.jpg|''Poa leptocoma''
Immagine:Poa litorosa kz01.jpg|''Poa litorosa''
</gallery>
==M==
* ''[[Poa macrantha]]'' <small>Vasey, 1888</small>
* ''[[Poa macroanthera]]'' <small>D.F.Cui, 1987</small>
* ''[[Poa macrocalyx]]'' <small>Trautv. & C.A.Mey., 1856</small>
* ''[[Poa macusaniensis]]'' <small>(E.H.L.Krause) Refulio, 2012</small>
* ''[[Poa madecassa]]'' <small>A.Camus, 1955</small>
* ''[[Poa × magadanensis]]'' <small>Prob., 1984</small>
* ''[[Poa magadanica]]'' <small>Kuvaev, 1984</small>
* ''[[Poa maia]]'' <small>Edgar, 1986</small>
* ''[[Poa mairei]]'' <small>Hack., 1913</small>
* ''[[Poa maniototo]]'' <small>Petrie, 1890</small>
* ''[[Poa mannii]]'' <small>Munro ex Hillebr., 1888</small>
* ''[[Poa marcida]]'' <small>Hitchc., 1928</small>
* ''[[Poa margilicola]]'' <small>Bernátová & Májovský, 1997</small>
* ''[[Poa markgrafii]]'' <small>H.Hartmann, 1984</small>
* ''[[Poa maroccana]]'' <small>Nannf., 1938</small>
* ''[[Poa marshallii]]'' <small>Tovar, 1981</small>
* ''[[Poa masenderana]]'' <small>Freyn & Sint., 1902</small>
* ''[[Poa matris-occidentalis]]'' <small>P.M.Peterson & Soreng, 2006</small>
* ''[[Poa matsumurae]]'' <small>Hack., 1899</small>
* ''[[Poa matthewsii]]'' <small>Petrie, 1902</small>
* ''[[Poa megalantha]]'' <small>(Parodi) Herter, 1953</small>
* ''[[Poa meionectes]]'' <small>Vickery, 1972</small>
* ''[[Poa menachensis]]'' <small>Schweinf., 1894</small>
* ''[[Poa mendocina]]'' <small>Nicora & F.A.Roig, 1998</small>
* ''[[Poa millii]]'' <small>Soreng, Cabi & L.J.Gillespie</small>
* ''[[Poa minimiflora]]'' <small>Stapf, 1899</small>
* ''[[Poa minor]]'' <small>Gaudin, 1808</small>
* ''[[Poa mireniana]]'' <small>N.G.Walsh & K.L.McDougall</small>
* ''[[Poa moabitica]]'' <small>Bor, 1972</small>
* ''[[Poa molinerii]]'' <small>Balb., 1801</small>
* ''[[Poa mollis]]'' <small>Vickery, 1970</small>
* ''[[Poa morrisii]]'' <small>Vickery, 1970</small>
* ''[[Poa mucuchachensis]]'' <small>Luces, 1953</small>
* ''[[Poa muktinathensis]]'' <small>Rajbh.</small>
* ''[[Poa mulalensis]]'' <small>Kunth, 1816</small>
* ''[[Poa mulleri]]'' <small>Swallen, 1940</small>
* ''[[Poa multinodis]]'' <small>Chase, 1943</small>
* ''[[Poa × multnomae]]'' <small>Piper, 1905</small>
* ''[[Poa muricata]]'' <small>Veldkamp, 1994</small>
* ''[[Poa mustangensis]]'' <small>Rajbh., 1988</small>
* ''[[Poa myriantha]]'' <small>Hack., 1906</small>
<gallery>
Immagine:Poamacrantha.jpg|''Poa macrantha''
Immagine:Poa meionectes ERBG.jpg|''Poa meionectes''
</gallery>
==N==
* ''[[Poa nankoensis]]'' <small>Ohwi, 1933</small>
* ''[[Poa napensis]]'' <small>Beetle, 1946</small>
* ''[[Poa navashinii]]'' <small>Nosov</small>
* ''[[Poa × nematophylla]]'' <small>Rydb., 1905</small>
* ''[[Poa nemoraliformis]]'' <small>Roshev., 1949</small>
* ''[[Poa nemoralis]]'' <small>L., 1753</small>
* ''[[Poa neosachalinensis]]'' <small>Prob., 1995</small>
* ''[[Poa nepalensis]]'' <small>(Wall. ex Griseb.) Duthie, 1883</small>
* ''[[Poa nephelochloides]]'' <small>(Roshev.) Soreng, Cabi & L.J.Gillespie</small>
* ''[[Poa nervosa]]'' <small>(Hook.) Vasey, 1893</small>
* ''[[Poa nitidespiculata]]'' <small>Bor, 1948</small>
* ''[[Poa nivicola]]'' <small>Ridl., 1916</small>
* ''[[Poa × nobilis]]'' <small>Skalinska, 1955</small>
* ''[[Poa novae-zelandiae]]'' <small>Hack., 1903</small>
* ''[[Poa novarae]]'' <small>Reichardt, 1871</small>
* ''[[Poa nubensis]]'' <small>Giussani, Fern.Pepi & Morrone, 2008</small>
* ''[[Poa nubigena]]'' <small>Keng f. ex L.Liu, 2002</small>
* ''[[Poa nyaradyana]]'' <small>Nannf., 1935</small>
<gallery>
Immagine:Poa.nemoralis3.-.lindsey.jpg|''Poa nemoralis''
</gallery>
==O==
* ''[[Poa obvallata]]'' <small>Steud., 1854</small>
* ''[[Poa occidentalis]]'' <small>(Vasey) Vasey, 1893</small>
* ''[[Poa olajensis]]'' <small>Prob., 2013</small>
* ''[[Poa olonovae]]'' <small>Tzvelev</small>
* ''[[Poa opinata]]'' <small>Veldkamp</small>
* ''[[Poa orba]]'' <small>N.G.Walsh, 2006</small>
* ''[[Poa orizabensis]]'' <small>Hitchc., 1913</small>
* ''[[Poa orthoclada]]'' <small>N.G.Walsh, 2006</small>
==P==
* ''[[Poa paczoskii]]'' <small>Tzvelev, 2009</small>
* ''[[Poa pagophila]]'' <small>Bor, 1949</small>
* ''[[Poa palmeri]]'' <small>Soreng & P.M.Peterson</small>
* ''[[Poa paludigena]]'' <small>Fernald & Wiegand, 1918</small>
* ''[[Poa palustris]]'' <small>L., 1759</small>
* ''[[Poa pannonica]]'' <small>A.Kern., 1864</small>
* ''[[Poa paposana]]'' <small>Phil., 1860</small>
* ''[[Poa papuana]]'' <small>Stapf, 1899</small>
* ''[[Poa paramoensis]]'' <small>Laegaard, 1998</small>
* ''[[Poa parva]]'' <small>Veldkamp, 1994</small>
* ''[[Poa parvifolia]]'' <small>Refulio, 2012</small>
* ''[[Poa pattersonii]]'' <small>Vasey, 1893</small>
* ''[[Poa pauciflora]]'' <small>Roem. & Schult., 1817</small>
* ''[[Poa paucispicula]]'' <small>Scribn. & Merr., 1910</small>
* ''[[Poa × pawlowskii]]'' <small>V.Jirásek, 1963</small>
* ''[[Poa pearsonii]]'' <small>Reeder, 1951</small>
* ''[[Poa pedersenii]]'' <small>Nicora, 1995</small>
* ''[[Poa pentapolitana]]'' <small>H.Scholz, 1971</small>
* ''[[Poa perconcinna]]'' <small>J.R.Edm., 1978</small>
* ''[[Poa perennis]]'' <small>Keng ex Keng f., 1982</small>
* ''[[Poa perligulata]]'' <small>Pilg., 1933</small>
* ''[[Poa perrieri]]'' <small>A.Camus, 1922</small>
* ''[[Poa persica]]'' <small>Trin., 1831</small>
* ''[[Poa petrophila]]'' <small>Vickery, 1970</small>
* ''[[Poa pfisteri]]'' <small>Soreng, 2008</small>
* ''[[Poa phillipsiana]]'' <small>Vickery, 1970</small>
* ''[[Poa physoclina]]'' <small>N.G.Walsh, 2008</small>
* ''[[Poa pilata]]'' <small>Chase, 1943</small>
* ''[[Poa pilcomayensis]]'' <small>Hack., 1909</small>
* ''[[Poa pitardiana]]'' <small>H.Scholz, 1983</small>
* ''[[Poa planifolia]]'' <small>Kuntze, 1898</small>
* ''[[Poa platyantha]]'' <small>Kom., 1924</small>
* ''[[Poa plicata]]'' <small>Hack., 1902</small>
* ''[[Poa poiformis]]'' <small>(Labill.) Druce, 1917</small>
* ''[[Poa polycolea]]'' <small>Stapf, 1896</small>
* ''[[Poa polyneura]]'' <small>Bor, 1952</small>
* ''[[Poa × poppelwellii]]'' <small>Petrie, 1914</small>
* ''[[Poa populetorum]]'' <small>Prob., 2015</small>
* ''[[Poa porphyroclados]]'' <small>Nees, 1846</small>
* ''[[Poa pratensis]]'' <small>L., 1753</small>
* ''[[Poa prichardii]]'' <small>Rendle, 1904</small>
* ''[[Poa primae]]'' <small>Tzvelev, 1974</small>
* ''[[Poa pringlei]]'' <small>Scribn., 1883</small>
* ''[[Poa pseudamoena]]'' <small>Bor, 1953</small>
* ''[[Poa pseudoabbreviata]]'' <small>Roshev., 1922</small>
* ''[[Poa pseudoattenuata]]'' <small>Prob., 1971</small>
* ''[[Poa pseudobulbosa]]'' <small>Bor, 1972</small>
* ''[[Poa pseudoradula]]'' <small>Prob., 2017</small>
* ''[[Poa pseudoschimperiana]]'' <small>Chiov., 1908</small>
* ''[[Poa pseudotibetica]]'' <small>Noltie, 2000</small>
* ''[[Poa pulviniformis]]'' <small>(Veldkamp) Veldkamp, 1994</small>
* ''[[Poa pumila]]'' <small>Host, 1827</small>
* ''[[Poa pumilio]]'' <small>Hochst., 1855</small>
* ''[[Poa pusilla]]'' <small>Berggr., 1877</small>
* ''[[Poa pygmaea]]'' <small>Buchanan, 1880</small>
<gallery>
Immagine:Poa palustris (21707206755).jpg|''Poa palustris''
Immagine:Poa pattersonii (3927737302).jpg|''Poa pattersonii''
Immagine:20150611Poa pratensis2.jpg|''Poa pratensis''
</gallery>
==Q==
* ''[[Poa qinghaiensis]]'' <small>Soreng & G.H.Zhu, 2006</small>
* ''[[Poa quadrata]]'' <small>Veldkamp, 1994</small>
==R==
* ''[[Poa radula]]'' <small>Franch. & Sav., 1878</small>
* ''[[Poa raduliformis]]'' <small>Prob., 1971</small>
* ''[[Poa ragonesei]]'' <small>Nicora, 1995</small>
* ''[[Poa rajbhandarii]]'' <small>Noltie, 2000</small>
* ''[[Poa ramifera]]'' <small>Soreng & P.M.Peterson, 2010</small>
* ''[[Poa ramoniana]]'' <small>Soreng & Sylvester</small>
* ''[[Poa ramosissima]]'' <small>Hook.f., 1845</small>
* ''[[Poa rauhii]]'' <small>(Swallen & Tovar) Refulio, 2012</small>
* ''[[Poa reclinata]]'' <small>(Swallen) Soreng & P.M.Peterson</small>
* ''[[Poa reflexa]]'' <small>Vasey & Scribn., 1893</small>
* ''[[Poa rehmannii]]'' <small>(Asch. & Graebn.) K.Richt., 1890</small>
* ''[[Poa reitzii]]'' <small>Swallen, 1956</small>
* ''[[Poa remota]]'' <small>Forselles, 1807</small>
* ''[[Poa resinulosa]]'' <small>Nees ex Steud, 1854</small>.
* ''[[Poa rhadina]]'' <small>Bor, 1948</small>
* ''[[Poa rhizomata]]'' <small>Hitchc., 1912</small>
* ''[[Poa rigidula]]'' <small>Veldkamp, 1994</small>
* ''[[Poa riphaea]]'' <small>(Asch. & Graebn.) Fritsch, 1909</small>
* ''[[Poa rodwayi]]'' <small>Vickery, 1970</small>
* ''[[Poa royleana]]'' <small>Nees ex Steud, 1854</small>.
* ''[[Poa ruprechtii]]'' <small>Peyr., 1859</small>
* ''[[Poa ruwenzoriensis]]'' <small>Robyns & Tournay, 1955</small>
<gallery>
Immagine:Poa reflexa (28317663461).jpg|''Poa reflexa''
</gallery>
==S==
* ''[[Poa × sachalinensis]]'' <small>(Koidz.) Honda, 1927</small>
* ''[[Poa saksonovii]]'' <small>Tzvelev, 2009</small>
* ''[[Poa salinostepposa]]'' <small>Prob., 2017</small>
* ''[[Poa sallacustris]]'' <small>N.G.Walsh, 1991</small>
* ''[[Poa saltuensis]]'' <small>Fernald & Wiegand, 1918</small>
* ''[[Poa sanchez-vegae]]'' <small>Soreng & P.M.Peterson</small>
* ''[[Poa sandvicensis]]'' <small>(Reichardt) Hitchc., 1922</small>
* ''[[Poa × sanionis]]'' <small>Asch. & Graebn., 1900</small>
* ''[[Poa scaberula]]'' <small>Hook.f., 1846</small>
* ''[[Poa scabrivaginata]]'' <small>Tovar, 1965</small>
* ''[[Poa schimperiana]]'' <small>Hochst. ex A.Rich., 1850</small>
* ''[[Poa schistacea]]'' <small>Edgar & Connor, 1999</small>
* ''[[Poa schizantha]]'' <small>Parodi, 1940</small>
* ''[[Poa schmidtiana]]'' <small>Prob. & Barkalov, 2017</small>
* ''[[Poa schoenoides]]'' <small>Phil., 1896</small>
* ''[[Poa × sclerocalamos]]'' <small>Facchini ex Ambrosi, 1854</small>
* ''[[Poa secunda]]'' <small>J.Presl, 1830</small>
* ''[[Poa sejuncta]]'' <small>Bernátová & Májovský & Obuch, 1999</small>
* ''[[Poa seleri]]'' <small>Pilg., 1910</small>
* ''[[Poa sellovii]]'' <small>Nees, 1829</small>
* ''[[Poa senex]]'' <small>Edgar, 1986</small>
* ''[[Poa serpana]]'' <small>Refulio, 2012</small>
* ''[[Poa setulosa]]'' <small>Bor, 1948</small>
* ''[[Poa shumushuensis]]'' <small>Ohwi, 1935</small>
* ''[[Poa sibirica]]'' <small>Roshev., 1912</small>
* ''[[Poa sichotensis]]'' <small>Prob., 1973</small>
* ''[[Poa sieberiana]]'' <small>Spreng., 1827</small>
* ''[[Poa sierrae]]'' <small>J.T.Howell, 1980</small>
* ''[[Poa sikkimensis]]'' <small>(Stapf) Bor, 1952</small>
* ''[[Poa simensis]]'' <small>Hochst. ex A.Rich., 1850</small>
* ''[[Poa sinaica]]'' <small>Steud., 1854</small>
* ''[[Poa sintenisii]]'' <small>H.Lindb., 1942</small>
* ''[[Poa siphonoglossa]]'' <small>Hack., 1912</small>
* ''[[Poa skvortzovii]]'' <small>Prob., 1973</small>
* ''[[Poa smirnowii]]'' <small>Roshev., 1929</small>
* ''[[Poa soderstromii]]'' <small>Negritto & Anton, 2006</small>
* ''[[Poa spania]]'' <small>Edgar & Molloy, 1999</small>
* ''[[Poa speluncarum]]'' <small>J.R.Edm., 1985</small>
* ''[[Poa sphondylodes]]'' <small>Trin., 1835</small>
* ''[[Poa spiciformis]]'' <small>(Steud.) Hauman & Parodi, 1929</small>
* ''[[Poa spicigera]]'' <small>Tovar, 1965</small>
* ''[[Poa stapfiana]]'' <small>Bor, 1949</small>
* ''[[Poa stebbinsii]]'' <small>Soreng, 1991</small>
* ''[[Poa stellaris]]'' <small>Veldkamp, 1994</small>
* ''[[Poa stenantha]]'' <small>Trin., 1831</small>
* ''[[Poa sterilis]]'' <small>M.Bieb., 1808</small>
* ''[[Poa stewartiana]]'' <small>Bor, 1951</small>
* ''[[Poa stiriaca]]'' <small>Fritsch & Hayek, 1922</small>
* ''[[Poa strictiramea]]'' <small>Hitchc., 1913</small>
* ''[[Poa stuckertii]]'' <small>(Hack.) Parodi, 1932</small>
* ''[[Poa suavis]]'' <small>Veldkamp, 1994</small>
* ''[[Poa subinsignis]]'' <small>Prob., 2013</small>
* ''[[Poa sublanata]]'' <small>Reverd., 1934</small>
* ''[[Poa sublimis]]'' <small>Edgar, 1986</small>
* ''[[Poa subspicata]]'' <small>(J.Presl) Kunth, 1833</small>
* ''[[Poa subvestita]]'' <small>(Hack.) Edgar, 1986</small>
* ''[[Poa sudicola]]'' <small>Edgar, 1986</small>
* ''[[Poa sugawarae]]'' <small>Ohwi, 1935</small>
* ''[[Poa suksdorfii]]'' <small>(Beal) Piper, 1906</small>
* ''[[Poa sunbisinii]]'' <small>Soreng & G.H.Zhu, 2006</small>
* ''[[Poa superlanata]]'' <small>Prob., 2017</small>
* ''[[Poa supina]]'' <small>Schrad., 1806</small>
* ''[[Poa swallenii]]'' <small>Refulio, 2012</small>
* ''[[Poa sylvestris]]'' <small>A.Gray, 1848</small>
* ''[[Poa szechuensis]]'' <small>Rendle, 1904</small>
<gallery>
Immagine:Poa pratensis (3924615318).jpg|''Poa pratensis''
Immagine:Poa sieberiana flowerhead11 (8369214492).jpg|''Poa siberiana''
Immagine:Poa stiriaca kz05.jpg|''Poa stiriaca''
Immagine:Poa supina1.JPG|''Poa supina''
</gallery>
==T==
* ''[[Poa takasagomontana]]'' <small>Ohwi, 1934</small>
* ''[[Poa talamancae]]'' <small>R.W.Pohl, 1976</small>
* ''[[Poa talikensis]]'' <small>Prob. & Barkalov, 2015</small>
* ''[[Poa tanfiljewii]]'' <small>Roshev., 1934</small>
* ''[[Poa tangii]]'' <small>Hitchc., 1930</small>
* ''[[Poa × taurica]]'' <small>H.N.Pojark., 1965</small>
* ''[[Poa tayacajaensis]]'' <small>Soreng & Sylvester, 2016</small>
* ''[[Poa telata]]'' <small>Veldkamp, 1994</small>
* ''[[Poa tenera]]'' <small>F.Muell. ex Hook.f., 1858</small>
* ''[[Poa tenerrima]]'' <small>Scribn., 1899</small>
* ''[[Poa tenkensis]]'' <small>Prob., 2013</small>
* ''[[Poa tennantiana]]'' <small>Petrie, 1909</small>
* ''[[Poa tenuicula]]'' <small>Ohwi, 1934</small>
* ''[[Poa thessala]]'' <small>Boiss. & Orph., 1859</small>
* ''[[Poa thomasii]]'' <small>Refulio, 2012</small>
* ''[[Poa tianschanica]]'' <small>(Regel) Hack. ex O.Fedtsch., 1903</small>
* ''[[Poa timoleontis]]'' <small>Heldr. ex Boiss., 1884</small>
* ''[[Poa tolmatchewii]]'' <small>Roshev., 1932</small>
* ''[[Poa tonsa]]'' <small>Edgar, 1986</small>
* ''[[Poa tovarii]]'' <small>Soreng, 1998</small>
* ''[[Poa trachyantha]]'' <small>Hack., 1911</small>
* ''[[Poa trachyphylla]]'' <small>Pilg., 1897</small>
* ''[[Poa tracyi]]'' <small>Vasey, 1888</small>
* ''[[Poa trichophylla]]'' <small>Boiss., 1884</small>
* ''[[Poa tricolor]]'' <small>Nees ex Steud., 1854</small>
* ''[[Poa trinervis]]'' <small>(Hack.) C.Monod ex P.Royen, 1979</small>
* ''[[Poa triodioides]]'' <small>(Trin.) Zotov, 1943</small>
* ''[[Poa trivialiformis]]'' <small>Kom., 1924</small>
* ''[[Poa trivialis]]'' <small>L., 1753</small>
* ''[[Poa trollii]]'' <small>(Pilg.) Refulio, 2012</small>
* ''[[Poa tuberifera]]'' <small>Faurie ex Hack., 1902</small>
* ''[[Poa tucumana]]'' <small>Parodi, 1963</small>
* ''[[Poa tuonnachensis]]'' <small>Prob. & Barkalov, 2015</small>
* ''[[Poa tuvinensis]]'' <small>Prob., 2017</small>
* ''[[Poa tzvelevii]]'' <small>Prob., 1984</small>
* ''[[Poa × tzyrenovae]]'' <small>Prob., 2015</small>
<gallery>
Immagine:Barley Powdery Mildew - Blumeria graminis on Rough Bluegrass - Poa trivialis (42339057251).jpg|''Poa trivialis''
</gallery>
==U==
* ''[[Poa ullungdoensis]]'' <small> I.C.Chung, 1955</small>
* ''[[Poa umbricola]]'' <small> Vickery, 1970</small>
* ''[[Poa umbrosa]]'' <small> Trin., 1831</small>
* ''[[Poa unilateralis]]'' <small> Scribn. ex Vasey, 1893</small>
* ''[[Poa unispiculata]]'' <small> Davidse, Soreng & P.M.Peterson, 2010</small>
* ''[[Poa ursina]]'' <small> Velen., 1886</small>
* ''[[Poa urssulensis]]'' <small> Trin., 1835</small>
* ''[[Poa urubambensis]]'' <small> Sylvester & Soreng, 2016</small>
* ''[[Poa uruguayensis]]'' <small> Parodi, 1936</small>
* ''[[Poa ussuriensis]]'' <small> Roshev., 1934</small>
* ''[[Poa uzonica]]'' <small> Prob., 2006</small>
==V==
* ''[[Poa vaginata]]'' <small> Pamp., 1936</small>
* ''[[Poa verae]]'' <small> Prob., 2010</small>
* ''[[Poa veresczaginii]]'' <small> Tzvelev, 1974</small>
* ''[[Poa versicolor]]'' <small> Besser, 1821</small>
* ''[[Poa vorobievii]]'' <small> Prob., 1983</small>
* ''[[Poa vvedenskyi]]'' <small> Drobow, 1941</small>
==W==
* ''[[Poa wallowensis]]'' <small> Soreng</small>
* ''[[Poa wardiana]]'' <small> Bor, 1948</small>
* ''[[Poa wendtii]]'' <small> Soreng & P.M.Peterson</small>
* ''[[Poa wheeleri]]'' <small> Vasey, 1879</small>
* ''[[Poa wilhelminae]]'' <small> Veldkamp, 1979</small>
* ''[[Poa × wippraensis]]'' <small> Wein, 1908</small>
* ''[[Poa wisselii]]'' <small> Jansen, 1953</small>
* ''[[Poa wolfii]]'' <small> Scribn., 1894</small>
<gallery>
Immagine:Poa wheeleri (29099389682).jpg|''Poa wheeleri''
</gallery>
==X==
* ''[[Poa xenica]]'' <small> Edgar & Connor, 1999</small>
* ''[[Poa xingkaiensis]]'' <small> Y.X.Ma, 2002</small>
* ''[[Poa yaganica]]'' <small> Speg., 1896</small>
==Y==
* ''[[Poa yatsugatakensis]]'' <small> Honda, 1929</small>
==Z==
* ''[[Poa zhirmunskii]]'' <small>Prob., 1999</small>
* ''[[Poa zhongdianensis]]'' <small> L.Liu, 2002</small>
==Note==
<references/>
==Altri progetti==
[[Categoria:Poaceae|Poa]]
[[Categoria:Elenchi di specie botaniche|Poa]]
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