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ハンス・コーノン・フォン・デア・ガーベレンツ
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[[File:Gabelentz Hans Conon.jpg|thumb|ハンス・コーノン・フォン・デア・ガーベレンツ]]
'''ハンス・コーノン・フォン・デア・ガーベレンツ'''(Hans Conon von der Gabelentz、[[1807年]][[10月13日]] - [[1874年]][[9月3日]])は、[[ドイツ]]の政治家、[[言語学者]]。
1848年から1849年にかけて[[ザクセン=アルテンブルク公国]]の首相をつとめた。言語学者としてはさまざまな言語を研究したが、とくに[[満州語]]の研究がよく知られる。
有名な言語学者・[[中国学者]]の[[ゲオルク・フォン・デア・ガーベレンツ|ゲオルク]]は息子。
== 略歴 ==
ガーベレンツは[[ザクセン=ゴータ=アルテンブルク]]公国の[[アルテンブルク]]に生まれた。父のハンス・カール・レーオポルトは政府の宰相で枢密顧問官だった<ref name="adb">ADB</ref><ref name="britannica">ブリタニカ百科事典第11版</ref>。なお、ザクセン=ゴータ=アルテンブルク公国は1825年に再構成され、アルテンブルクは新しい[[ザクセン=アルテンブルク公国]]の首都になった。
1825年から1828年にかけて[[ライプツィヒ大学]]と[[ゲッティンゲン大学]]で法学と官房学を学んだ<ref name="adb"/>。1830年からアルテンブルクの国政にたずさわったが、急速に昇進して1847年には[[ザクセン=ヴァイマル=アイゼナハ大公国|ヴァイマル大公国]]議長([[:de:Landmarschall|Landmarschall]])に選ばれた<ref name="adb"/><ref name="britannica"/>。1848年には予備会議([[フランクフルト国民議会]]選挙準備のための議会)のテューリンゲン代表、およびアルテンブルクの首相に就任した<ref name="ndb">NDB</ref>。
翌1849年には言語学研究に専念するために首相を辞職したが、その後もアルテンブルク議会の議員であり続け、1870年までしばしば議長をつとめた<ref name="adb"/><ref name="ndb"/>。その後はすべての公務から退き、1874年にで没した<ref name="adb"/>。
ガーベレンツは『東洋学報』(Zeitschrift für die Kunde des Morgenlandes, 1837-1850)の共同編集者のひとりであり、1847年からは『[[ドイツ東洋学会|ドイツ東洋学会報]]』に寄稿した<ref name="britannica"/>。
== 主な著書 ==
ガーベレンツは言語学を専門に学んだことはなかったが、80前後の言語を研究し、その多くについては最初の研究者であった<ref name="ndb"/>。ガーベレンツはできるかぎり文法書ではなく、実際の会話から言語を習得しようとした<ref name="adb"/>。[[ヴィルヘルム・フォン・フンボルト]]の方向を継承し、当時の研究の主流だった[[インド・ヨーロッパ語族]]や[[セム語族]]からは構造的に遠く離れた[[モンゴル語]]、[[ウラル語族]]、[[オーストロネシア語族]]、[[スワヒリ語]]、アメリカ大陸の[[ダコタ語]]や[[チェロキー語]]などの文法を発表している<ref name="adb"/>。しかし当時の言語学の潮流とことなっていたために同時代からはほとんど無視された<ref name="ndb"/>。
1860年には受動態に関する論文を公刊したが、そこでは209の言語が対照されている<ref name="ndb"/>。
*
最初に研究したのは[[満州語]]だった。
* (フランス語で書いた満州語文法)
* (満州語の[[四書]]、[[書経]]、[[詩経]]本文と満州語・ドイツ語辞典)
[[ゴート語]]を研究し、[[ウルフィラ]]聖書の校訂本を出版した。
* (ウルフィラ聖書、Julius Löbe と共著)
* ([[ゴート語]]辞典)
* ([[ゴート語]]文法)
ほかにさまざまな言語の文法書を残している。
* ([[モルドヴィン諸語|モルドヴィン語]]文法試論)
* [https://ift.tt/2Dsa6pt #1] [https://ift.tt/2RI3g2a #2] (メラネシア諸語の文法構造と、メラネシア語相互および他の[[マレー・ポリネシア語派|マライ・ポリネシア諸語]]との関係)
* ([[コミ語]]文法概要)
* ([[ダヤク族|ダヤク語]]文法)
* ([[ダコタ語]]文法)
* (キリリ語([[:en:Kariri languages|英語版]])文法)
== 脚注 ==
== 参考文献 ==
*
*
*
[[Category:ドイツの政治家]]
[[Category:ドイツの言語学者]]
[[Category:ドイツの中国研究者]]
[[Category:辞典編纂者]]
[[Category:テューリンゲン州出身の人物]]
[[Category:1807年生]]
[[Category:1874年没]]
'''ハンス・コーノン・フォン・デア・ガーベレンツ'''(Hans Conon von der Gabelentz、[[1807年]][[10月13日]] - [[1874年]][[9月3日]])は、[[ドイツ]]の政治家、[[言語学者]]。
1848年から1849年にかけて[[ザクセン=アルテンブルク公国]]の首相をつとめた。言語学者としてはさまざまな言語を研究したが、とくに[[満州語]]の研究がよく知られる。
有名な言語学者・[[中国学者]]の[[ゲオルク・フォン・デア・ガーベレンツ|ゲオルク]]は息子。
== 略歴 ==
ガーベレンツは[[ザクセン=ゴータ=アルテンブルク]]公国の[[アルテンブルク]]に生まれた。父のハンス・カール・レーオポルトは政府の宰相で枢密顧問官だった<ref name="adb">ADB</ref><ref name="britannica">ブリタニカ百科事典第11版</ref>。なお、ザクセン=ゴータ=アルテンブルク公国は1825年に再構成され、アルテンブルクは新しい[[ザクセン=アルテンブルク公国]]の首都になった。
1825年から1828年にかけて[[ライプツィヒ大学]]と[[ゲッティンゲン大学]]で法学と官房学を学んだ<ref name="adb"/>。1830年からアルテンブルクの国政にたずさわったが、急速に昇進して1847年には[[ザクセン=ヴァイマル=アイゼナハ大公国|ヴァイマル大公国]]議長([[:de:Landmarschall|Landmarschall]])に選ばれた<ref name="adb"/><ref name="britannica"/>。1848年には予備会議([[フランクフルト国民議会]]選挙準備のための議会)のテューリンゲン代表、およびアルテンブルクの首相に就任した<ref name="ndb">NDB</ref>。
翌1849年には言語学研究に専念するために首相を辞職したが、その後もアルテンブルク議会の議員であり続け、1870年までしばしば議長をつとめた<ref name="adb"/><ref name="ndb"/>。その後はすべての公務から退き、1874年にで没した<ref name="adb"/>。
ガーベレンツは『東洋学報』(Zeitschrift für die Kunde des Morgenlandes, 1837-1850)の共同編集者のひとりであり、1847年からは『[[ドイツ東洋学会|ドイツ東洋学会報]]』に寄稿した<ref name="britannica"/>。
== 主な著書 ==
ガーベレンツは言語学を専門に学んだことはなかったが、80前後の言語を研究し、その多くについては最初の研究者であった<ref name="ndb"/>。ガーベレンツはできるかぎり文法書ではなく、実際の会話から言語を習得しようとした<ref name="adb"/>。[[ヴィルヘルム・フォン・フンボルト]]の方向を継承し、当時の研究の主流だった[[インド・ヨーロッパ語族]]や[[セム語族]]からは構造的に遠く離れた[[モンゴル語]]、[[ウラル語族]]、[[オーストロネシア語族]]、[[スワヒリ語]]、アメリカ大陸の[[ダコタ語]]や[[チェロキー語]]などの文法を発表している<ref name="adb"/>。しかし当時の言語学の潮流とことなっていたために同時代からはほとんど無視された<ref name="ndb"/>。
1860年には受動態に関する論文を公刊したが、そこでは209の言語が対照されている<ref name="ndb"/>。
*
最初に研究したのは[[満州語]]だった。
* (フランス語で書いた満州語文法)
* (満州語の[[四書]]、[[書経]]、[[詩経]]本文と満州語・ドイツ語辞典)
[[ゴート語]]を研究し、[[ウルフィラ]]聖書の校訂本を出版した。
* (ウルフィラ聖書、Julius Löbe と共著)
* ([[ゴート語]]辞典)
* ([[ゴート語]]文法)
ほかにさまざまな言語の文法書を残している。
* ([[モルドヴィン諸語|モルドヴィン語]]文法試論)
* [https://ift.tt/2Dsa6pt #1] [https://ift.tt/2RI3g2a #2] (メラネシア諸語の文法構造と、メラネシア語相互および他の[[マレー・ポリネシア語派|マライ・ポリネシア諸語]]との関係)
* ([[コミ語]]文法概要)
* ([[ダヤク族|ダヤク語]]文法)
* ([[ダコタ語]]文法)
* (キリリ語([[:en:Kariri languages|英語版]])文法)
== 脚注 ==
== 参考文献 ==
*
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[[Category:ドイツの政治家]]
[[Category:ドイツの言語学者]]
[[Category:ドイツの中国研究者]]
[[Category:辞典編纂者]]
[[Category:テューリンゲン州出身の人物]]
[[Category:1807年生]]
[[Category:1874年没]]
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