2019年4月6日土曜日

意味調べる第8軍団 (ドイツ帝国陸軍)

新規更新April 06, 2019 at 01:03PM
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第8軍団 (ドイツ帝国陸軍)


ガセネタン教授: ページ「VIII Corps (German Empire)」の翻訳により作成



'''第8軍団''' () は19世紀から[[第一次世界大戦]]まで存在した[[プロイセン王国]]陸軍および[[ドイツ帝国]]陸軍の[[軍団]]。
[[Category:Articles containing German-language text]]
1815年6月21日に下ライン大公国総司令部が置かれたのが始まりで、1820年4月3日にプロイセン王国陸軍第8軍団となった。司令部は[[コブレンツ]]に置かれ、兵員はライン県と[[オルデンブルク大公国]]の[[ビルケンフェルト (ナーエ)|ビルケンフェルト]]侯国から徴募した<ref>アクセスされた[http://bit.ly/2mo5byi ドイツ連邦共和国の歴史] :2012年5月26日</ref>。

[[普墺戦争]]に参加し、[[普仏戦争]]では第1軍の隷下となった。

平時には第5軍総監部隷下となったが、[[第一次世界大戦]]が開戦すると第4軍に編入された<ref></ref>。終戦まで存続していた<ref></ref>が、敗戦に伴うドイツ軍の動員解除により解散した。

== 普墺戦争 ==
第8軍団は1866年の[[普墺戦争]]で[[ケーニヒグレーツの戦い]]に参加した。

== 普仏戦争 ==
第8軍は、[[普仏戦争]]では第1軍隷下で参戦した。[[普仏戦争#グラヴロットの戦い|グラヴロットの戦い]]とそれに続く[[メス攻囲戦]]に参加し、1870年10月にメスが陥落すると[[パリ]]北部でアリュの戦いおよび[[ペロンヌ (ソンム県)|ペロンヌ]]要塞攻囲戦と転戦し、アミアンの戦いとサン=カンタンの戦いまで戦った。

== 平時編制 ==
ドイツ帝国陸軍は平時には25[[軍団]] (近衛、第1-21、バイエルン第1-3) を擁し、各軍団は合理的に標準化された組織となっていた。 1個[[師団]]は2個歩兵旅団、1個野戦砲兵旅団および1個騎兵旅団からなり、各軍団は2個[[師団]]で構成されていた<ref></ref>。各旅団は通常2個連隊で構成されていたため、各軍団は8個歩兵連隊・4個野戦砲兵連隊・4個騎兵連隊を擁するのが標準だったが、いくつか例外もあった。

: 第5、6、7、9、14軍団は、5個歩兵旅団 (10個歩兵連隊) を擁していた。
: 第2、13、18、21軍団は9個歩兵旅団を擁していた。
: 第1、6、16軍団は3個騎兵旅団 (6個騎兵連隊) を擁していた。
: 近衛軍団は5個歩兵旅団 (11個歩兵連隊) と4個騎兵旅団 (8個騎兵連隊) を擁していた<ref>彼らは、ドイツ軍で唯一の平和時騎兵師団である、 [[Guards Cavalry Division (German Empire)|警備騎兵師団を]]編成しました。 </ref>。

各軍団には旅団に属さない直属部隊を擁しており、これには牽引砲兵連隊、[[猟兵]]大隊、[[工兵]]大隊、[[段列]]大隊などが含まれる。

:

{| class="wikitable collapsible collapsed" style="text-align:center; width:100%;"
|+ 平時編制<ref></ref>
! 軍団
! 師団
! 旅団
! 構成部隊
! 駐屯地
|-
| rowspan="27" | '''第8軍団'''
| rowspan="8" | 第15師団
| rowspan="2" | 第29歩兵旅団
| 第25 (ライン第1) 歩兵連隊「フォン・リュッツォウ」
| [[アーヘン]]
|-
| 第161 (ライン第10) 歩兵連隊
| デューレン、第2大隊は[[エシュヴァイラー]]、第3大隊はユーリッヒ
|-
| rowspan="2" | 第80歩兵旅団
| 第65歩兵連隊
| [[ケルン]]
|-
| 第160 (ライン第9) 歩兵連隊
| [[ボン]]、第1大隊は[[ディーツ (ドイツ)|ディーツ]]、第3大隊はオイスキルヒェン
|-
| rowspan="2" | 第15野戦砲兵旅団
| 第59(ベルク)野戦砲兵連隊
| [[ケルン]]
|-
| 第83 (ライン第3) 野戦砲兵連隊
| [[ボン]] 、 デュレン
|-
| rowspan="2" | 第15騎兵旅団
| 第8 (ライン) 胸甲騎兵連隊「カウント・ゲスラー」
| ドイツ
|-
| 第7 (ライン第1) 軽騎兵連隊「ヴィルヘルム1世」
| [[ボン]]
|-
| rowspan="8" | 第16師団
| rowspan="2" | 第30歩兵旅団
| 第28 (ライン第2) 歩兵連隊「フォン・ゲーベン」
| エーレンブライトシュタイン要塞、第2大隊は[[コブレンツ]]
|-
| 第68歩兵連隊
| [[コブレンツ]]
|-
| rowspan="2" | 第31歩兵旅団
| 第29 (ライン第3) 歩兵連隊「フォン・ホルン」
| [[トリーア]]
|-
| 第69歩兵連隊
| [[トリーア]]
|-
| rowspan="2" | 第16野戦砲兵旅団
| 第23 (ライン第2) 野戦砲兵連隊
| [[コブレンツ]]
|-
| 第44 (トリーア) 野戦砲兵連隊
| [[トリーア]]
|-
| rowspan="2" | 第16騎兵旅団
| 第7騎馬猟兵連隊
| [[トリーア]]
|-
| 第8騎馬猟兵連隊
| [[トリーア]]
|-
| rowspan="10" | 軍団直轄
| rowspan="10" |
| 第2機関銃大隊
| [[トリーア]]
|-
| 第7要塞機関銃大隊
| [[ケルン]]
|-
| 第9 (シュレースヴィヒ=ホルシュタイン) 牽引砲兵連隊
| エーレンブライトシュタイン要塞
|-
| 第8 (ライン第1) 工兵大隊
| [[コブレンツ]]
|-
| 第30 (ライン第3) 工兵大隊
| エーレンブライトシュタイン要塞
|-
| 第3電信大隊
| [[コブレンツ]]、[[ダルムシュタット]]
|-
| 第6要塞電話中隊
| [[ケルン]]
|-
| 第3飛行船大隊
| [[ケルン]]、[[デュッセルドルフ]]、[[ダルムシュタット]]
|-
| 第3飛行大隊
| [[ケルン]]、[[ハノーファー|ハノーバー]]、[[ダルムシュタット]]
|-
| 第8 (ライン第1) 段列大隊
| [[コブレンツ]]
|-
| ケルン防衛司令部<br />(義勇兵総監部麾下)
|
|
| [[ケルン]]
|}

== 第一次世界大戦 ==

=== 動員時点での組織 ===
1914年8月2日の動員により、第8軍団は再編成された。第16騎兵旅団は第3騎兵師団を編成するため引き抜かれ<ref></ref>、第15騎兵旅団は分割のうえ偵察部隊として各大隊に配置された。各師団には司令部直属の工兵部隊や支援部隊が分遣された。結局、第8軍団には24個歩兵大隊、8個機関銃中隊 (機関銃48丁) およびと8個騎兵中隊、24野戦砲兵小隊 (砲144門)の他、4個銃砲兵小隊 (砲16問) と3個工兵中隊および1k所航空分遣隊が置かれることになった。
{| class="wikitable collapsible collapsed" style="text-align:center; width:100%;"
|+ 開戦直後の体制<ref></ref>
! 軍団
! 分割
! 旅団
! 単位
|-
| rowspan="28" | '''第8軍団'''
| rowspan="11" | 第15師団
| rowspan="2" | 第29歩兵旅団
| 第25歩兵連隊
|-
| 第161歩兵連隊
|-
| rowspan="2" | 第80歩兵旅団
| 第65歩兵連隊
|-
| 第161歩兵連隊
|-
| rowspan="2" | 第15野戦砲兵旅団
| 第59野戦砲兵連隊
|-
| 第83野戦砲兵連隊
|-
| rowspan="5" |
| 第8胸甲騎兵連隊
|-
| 第8工兵大隊第1中隊
|-
| 第15師団架橋隊
|-
| 第1医療中隊
|-
| 第3医療中隊
|-
| rowspan="11" | 第16師団
| rowspan="2" | 第30歩兵旅団
| 第28歩兵連隊
|-
| 第68フュージリアー連隊
|-
| rowspan="2" | 第31歩兵旅団
| 第29歩兵連隊
|-
| 第69歩兵連隊
|-
| rowspan="2" | 第16野戦砲兵旅団
| 第23野戦砲兵連隊
|-
| 第44野戦砲兵連隊
|-
| rowspan="5" |
| 第7軽騎兵連隊
|-
| 第8工兵大隊第2中隊
|-
| 第8工兵大隊第3中隊
|-
| 第16師団架橋隊
|-
| 第2医療中隊
|-
| rowspan="6" | 軍団直属
| rowspan="6" |
| 第9牽引砲兵連隊第3大隊<ref> 4個の重砲バッテリー(16個の重フィールド榴弾砲) </ref>
|-
| 第10航空分遣隊
|-
| 第8軍団架橋隊
|-
| 第8通信分遣隊
|-
| 第8工兵大隊サーチライト分隊
|-
| 第2段列大隊
|}

=== 戦史 ===
第一次世界大戦開戦に伴う動員により第8軍団は第4軍隷下となり、1914年8月の [[シュリーフェン・プラン]]に基づく攻勢では中核部隊となった。第8軍団は終戦まで存続した<ref></ref>。

== 司令官一覧 ==
第8軍団の歴代司令官を下表に示す<ref>アクセスされた[http://bit.ly/2mo5byi ドイツ連邦共和国の歴史] :2012年5月26日</ref><ref>アクセスされた[http://bit.ly/2mo5jhg ドイツ戦争の歴史] :2012年5月26日</ref><ref> [http://bit.ly/2OZW01P プロイセンマシン]アクセス:2012年5月26日</ref>。
{| class="wikitable"
! 着任日
! ランク
! 名
|-
| 1815年6月21日
| [[歩兵大将 (ドイツ)|歩兵大将]]
| [[アウグスト・フォン・グナイゼナウ]]
|-
| 1816年5月20日
| 中将
| エルンスト・フォン・ハーケ
|-
| 1820年4月3日
| [[騎兵大将 (ドイツ)|騎兵大将]]
| ヨハン・アドルフ・フライヘア・フォン・ティールマン
|-
| 1825年6月18日
| [[騎兵大将 (ドイツ)|騎兵大将]]
| ルートヴィヒ・フォン・ボルステル
|-
| 1840年5月9日
| 中将
| アドルフ・エドゥアルド・フォン・ティール
|-
| 1848年5月5日
| [[騎兵大将 (ドイツ)|騎兵大将]]
| [[フリードリヒ・ヴィルヘルム・フォン・ブランデンブルク]]
|-
| 1849年5月15日
| [[歩兵大将 (ドイツ)|歩兵大将]]
| カール・フリードリヒ・フォン・ヒルシュフェルト
|-
| 1859年11月27日
| [[歩兵大将 (ドイツ)|歩兵大将]]
| エドゥアール・フォン・ボニン
|-
| 1865年6月29日
| [[歩兵大将 (ドイツ)|歩兵大将]]
| [[カール・エーベルハルト・ヘルヴァルト・フォン・ビッテンフェルト]]
|-
| 1870年7月18日
| [[歩兵大将 (ドイツ)|歩兵大将]]
| アウグストカール・フォン・ゲーベン
|-
| 1880年12月11日
| 中将
| ルートヴィヒ・フォン・ティール
|-
| 1884年1月12日
| [[騎兵大将 (ドイツ)|騎兵大将]]
| ヴァルター・フライヘア・フォン・ローエ
|-
| 1895年1月27日
| [[騎兵大将 (ドイツ)|騎兵大将]]
| アドルフ・フォン・ビューロウ
|-
| 1896年1月2日
| [[歩兵大将 (ドイツ)|歩兵大将]]
| マクシミリアン・フォーゲル・フォン・ファルケンシュタイン
|-
| 1897年1月27日
| [[歩兵大将 (ドイツ)|歩兵大将]]
| [[フリードリヒ2世 (バーデン大公)|バーデン大公フリードリヒ2世]]
|-
| 1902年10月18日
| [[騎兵大将 (ドイツ)|騎兵大将]]
| アドルフ・フォン・ダイネス
|-
| 1906年10月2日
| [[歩兵大将 (ドイツ)|歩兵大将]]
| パウル・フォン・プロッツ
|-
| 1912年1月27日
| 中将
| [[エーリヒ・テュルフ・フォン・チェーペ・ウント・ヴァイデンバッハ]]
|-
| 1914年10月5日
| [[歩兵大将 (ドイツ)|歩兵連隊]]
| ユリウス・リーマン
|-
| 1916年12月18日
| 中将
| カール・ディーフェンバッハ
|-
| 1917年3月12日
| [[歩兵大将 (ドイツ)|歩兵大将]]
| オットー・フォン・プリュスコウ
|-
| 1917年5月11日
| 中将
| ローデリヒ・フォン・シェーラー
|}

*

== 参考文献 ==
<references group="" responsive=""></references>

== 書誌 ==

*
*
*
* }}
* }}
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