2018年12月25日火曜日

意味調べるシャーム自由人イスラム運動

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シャーム自由人イスラム運動


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'''シャーム自由人イスラム運動'''(シャームじゆうじんイスラムうんどう、Movement of the Free People of Islamic Syria, Battalions of the Free People of Syria, Kataib Ahrar al-Sham)は、[[シリア]]で活動する[[スンニ派]][[反体制派 (シリア 2011-)|反政府武装組織]]。アハラール・アル・シャーム・イスラム運動(Harakat Ahrar al Sham al Islamiya)、アハラール・アル・シャーム(Ahrar al Sham)とも呼ばれる<ref name=koan>[http://bit.ly/2gNFD6l アハラール・アル・シャーム・イスラム運動](2018年12月25日閲覧)</ref>。

== 概要 ==
シャーム自由人イスラム運動(以下「運動」)は、[[バッシャール・アル=アサド]]政権の打倒、イスラム国家の樹立などを目標として、主にシリア北部から中部で活動する。勢力は[[アレッポ県]]だけで5000人を擁すると自称する。戦闘員の大多数はシリア人だが、ロシア・[[コーカサス]]北部、[[リビア]]、[[チュニジア]]など外国出身者もいる。中東・湾岸諸国などで個人・非政府組織などから寄附を得て活動資金にしているとされる<ref name=koan/>。

「運動」はアルカイダの系譜を汲むが、創設メンバーでアルカイダ出身のアブー・ハーリド・スーリーの死後はアルカイダとの関係が薄まった。2015年以降、アルカイダとの関係を否定し、「独裁」打倒をめざす「フリーダム・ファイター」とアピールするようになった<ref name=aoyama180315/><ref name=koan/>。

「運動」は支配地内で[[シャリーア]](イスラム法)による厳しい統治を行い、検察局・警察・拘置所を設置している。裁判官もいるが、中にはシャリーアの知識が不十分な者もいる。容疑者には拷問・虐待に相当する処罰を科している<ref>[http://bit.ly/2Q0Mc6d シリア:北部で横行する武装勢力の暴虐](2018年12月25日閲覧)</ref>。

== 沿革 ==
「運動」は、[[ダマスカス郊外県]]の[[サイドナヤ刑務所]]で収監経験を持つハッサーン・アッブードを初代指導者として、アフガンやイラクでの戦闘経験を持ち、「シリアにおける[[アルカイダ]]の代理人」と呼ばれたアブー・ハーリド・スーリーらによって建設された。結成当初はシリア軍の車列などに対する小規模な襲撃を繰り返していたが、他組織と連携して軍や政府の施設を攻撃・占拠するなど、反体制派内でも有力組織の一つになったとされる<ref name=koan/><ref name=aoyama180315>[https://news.yahoo.co.jp/byline/aoyamahiroyuki/20180315-00082727/ 混濁続く「反体制派のスペクトラ」/シリア情勢2017:「終わらない人道危機」のその後(13)]2018年3月15日(2018年12月25日閲覧)</ref>。

=== IF結成 ===
2013年11月、「運動」は他の[[イスラム主義]]組織と共に組織連合・[[イスラム戦線]](IF)を結成し、アブードがIF政治部門の指導者に就任したとされる<ref name=koan/>。

2014年1月、IFに所属していたイスラム軍、タウヒード旅団、シャームの鷹旅団から、他の反体制派に対して攻撃的なISILに制裁を課そうとする声が上がった。「運動」はこれに消極的だったが<ref>[[青山弘之#ウェブサイト|青山弘之]]『[http://bit.ly/2V8kGaP 2013年12月31日のシリア情勢]』(2018年12月25日閲覧)</ref>、最終的にIFとしてISILと戦うことを発表した。これと前後して、ISILとIF・[[ヌスラ戦線]]・[[自由シリア軍]]などが[[アレッポ]]・[[ラッカ]]・[[マンビジ]]などで戦闘を繰り広げた<ref>前掲青山『[[http://bit.ly/2PZ4IMp 2014年1月5日のシリア情勢]』(2018年12月25日閲覧)</ref>。

程なく各地で「運動」とISILの間で講和が結ばれた<ref>前掲青山『[http://bit.ly/2V8kF6L 2014年1月15日のシリア情勢]』(2018年12月25日閲覧)</ref>。しかし、2月にはいると「運動」はISILから襲撃を受けたとして、「裏切り集団」ISILとの停戦合意を破棄すると宣言した<ref>前掲青山『[http://bit.ly/2Q1Wwej 2014年2月7日のシリア情勢:反体制勢力の動き(追記)]』(2018年12月25日閲覧)</ref>。これに対してISILはIFの司令部・メンバーに背教宣告を下した<ref>前掲青山『[http://bit.ly/2Va8zKg 2014年2月8日のシリア情勢:反体制勢力の動き]』(2018年12月25日閲覧)</ref>。その後、アブー・ハーリド・スーリーはアルカイダ指導者[[アイマン・ザワーヒリー]]から、関係が悪化していた[[アル=ヌスラ戦線]]と[[ISIL]]の仲裁役に任じられたが、ISILと思われる組織がアレッポの「運動」本部に対して自爆攻撃を行い、アブー・ハーリド・スーリーら6人が殺された<ref>前掲青山『[http://bit.ly/2PZLcPV 2014年2月23日のシリア情勢:国内の暴力]』(2018年12月25日閲覧)</ref>。ただし、ISILはスーリー殺害を否定した<ref>前掲青山『[http://bit.ly/2VaapuD 2014年3月2日のシリア情勢:反体制勢力の動き]』(2018年12月25日閲覧)</ref>。

このようにISILとの戦闘を繰り返した結果、IFは弱体化した<ref>[http://bit.ly/2Q1vIuC イスラム戦線(IF)](2018年12月25日閲覧)</ref>。

=== ファトフ軍結成 ===
2015年3月、「運動」はシャームの鷹旅団との合併組織として'''シャーム自由人イスラム戦線'''を結成した<ref>前掲青山『[http://bit.ly/2V7Z8Lv イドリブ県、ハマー県のジハード主義武装集団、「自由シリア軍」の糾合進む]』(2018年12月25日閲覧)</ref>。

2015年3月、ヌスラ戦線を含む複数のスンニ派武装組織と共に[[ファトフ軍]]を結成した。

イドリブ県の県都[[イドリブ]]は、2015年3月に「運動」とヌスラ戦線を中心としたファトフ軍に支配された([[イドリブの戦い (シリア内戦)|イドリブの戦い]])<ref>[http://bit.ly/2PZXasY 次はイドリブか ―「野外刑務所」の恐怖におびえるシリア避難民](2018年12月25日閲覧)</ref>。

4月頃に「闘いの勝利連合」を、さらに7月には「アンサール・アル・シャリーア」なる連合体をそれぞれ結成し、[[イドリブ県]]・アレッポ県・[[ハマー県]]などで政府軍などに対する攻撃を実行した<ref name=koan/>。

10月、[[ロシア連邦航空宇宙軍によるシリア空爆]]が行われると、「運動」の支配地域も空爆に晒された<ref>[http://bit.ly/1LVSAa5 ロシアのシリア空爆、対象は全ての反体制派 専門家ら指摘](2018年12月25日閲覧)</ref>。

指導者オマルは12月に声明を出し、反体制派間の争いや支援の減少などによって革命が弱まっているとし、全反体制派勢力や市民の団結を訴えるなどした<ref name=koan/>。

2016年1月、ヌスラ戦線を中心にファトフ軍加盟組織の完全統合に向け協議が行われたが、「運動」はヌスラ戦線とアルカイダの関係性を理由に反対したとされる。ヌスラ戦線は同年7月にアルカイダ離脱とシリア征服戦線(JFS、旧ヌスラ戦線)設立を表明した際、「運動」はこれを祝福する一方で、アルカイダ離脱を証明するよう求めたとされる<ref name=koan/>。

ヌスラ戦線の分派、ジュンド・アクサー機構はIS共鳴者も多く、「運動」と度々衝突した。2016年9月に「運動」がジュンド・アクサー機構を破ると、同機構はJFSに吸収統合された<ref name=aoyama180315/>

12月、「運動」は他の反体制派とともに包囲下の[[アレッポ]]から撤退し、[[アレッポの戦い (2012-2016)|アレッポの戦い]]で敗北を喫した<ref>[http://bit.ly/2PZLdDt シリア政府軍、アレッポ奪還を宣言 反体制派の撤退完了](2018年12月25日閲覧)</ref>。

[[アメリカ合衆国]]の[[バラク・オバマ]]政権末期、アメリカ空軍がヌスラ戦線に空爆を行うようになった。これはピンポイントにJFS幹部の所在地を叩くもので、あまりの正確さに「運動」が情報を漏らしているのではないかとの疑念が生まれた<ref name=aoyama180315/>。

こうした背景をもとに2017年1月、シリア征服戦線の旧ジュンド・アクサー機構メンバーらがイドリブ県ザーウィヤ山地方一帯の「運動」拠点を襲撃した。JFSは旧ジュンド・アクサー機構メンバーの破門で事態収拾を図ったが、戦闘は拡大した。「運動」はイスラム軍、ムジャーヒディーン軍、「命じられるまま正しく進め」連合とともに、旧ジュンド・アクサー機構掃討を本格化させた。旧ジュンド・アクサー機構の反「運動」派はJFSから分裂し、その一部は[[東トルキスタンイスラム運動]]の仲介でISに加わるために[[ラッカ]]方面へと移動した<ref name=aoyama180315/>。

=== HTSとの勢力争い ===
アレッポの戦いでは、アレッポ・ファトフ軍(2015年5月結成)、新生ファトフ軍(2016年5月)、アレッポ軍(同年12月)をはじめとする連合体を結成が形成され、反体制派同士の連携を強化した。しかし、シリア政府軍との停戦が実現すると、反体制派同士は自らの支配地拡大をめぐって、内部分裂が再燃した<ref name=aoyama180315/>。

2017年1月、JFSが他の反体制派拠点を襲撃したことで、ムジャーヒディーン軍、シャームの鷹旅団、シャーム戦線、イスラム軍、シャーム戦線、「命じられるまま正しく進め」連合、シャーム革命家大隊が「運動」に忠誠を誓い、イブン・タイミーヤ大隊、ミクダード・ブン・アムル旅団が「運動」に合流した<ref name=aoyama180315/>。

一方でJFSはヌールッディーン・ザンキー運動、ハック旅団、アンサールッディーン戦線、スンナ軍と共に新組織[[タハリール・アル=シャーム]](HTS)へと完全統合し、反体制派の武力統合を目指すことを宣言した<ref name=aoyama180315/>

こうして始まった「運動」とHTSの拡大競争では、HTSが圧倒的に優位な立場に立った。HTSに忠誠を誓った組織には「運動」傘下の組織が連合したハマー軍もあった<ref name=aoyama180315/>。「運動」やHTSの軍門に降った組織のほとんどは、かつて[[自由シリア軍]]や「穏健な反体制派」として活動していた<ref name=aoyama180315/>。

「運動」とHTSは3月初めの和解合意で勢力拡大競争を収束させたが、両者の散発的衝突は続いた。7月下旬には、HTSが「運動」の戦略拠点、イドリブ県バーブ・ハワー国境通行所に進軍し、周辺地域を制圧した。「運動」はバーブ・ハワー国境通行所から撤退し、通行所管理を文民に任せることで停戦した<ref name=aoyama180315/>。

12月、シリア政府軍がISとの戦いをひと段落させると、イドリブ県一帯やダマスカス郊外県東[[グータ]]の反体制派に戦力が向けられた。そこで、「運動」最高司令官ハサン・スーファーンはHTS指導者[[アブー・ムハンマド・ジャウラーニー]]、[[サウジアラビア人]]説教師[[アウドゥッラー・ムハイスィニー]]らとファトフ軍再興に向けた協議を行った。そしてイドリブ県一帯で反体制派がシリア政府軍に対して大規模な一斉反抗が試みられた<ref name=aoyama180315/>。

=== 国民解放戦線の結成 ===
2018年8月、「運動」はイドリブ県一帯で活動する国民解放戦線に加盟した。国民解放戦線はトルコが支援する武装連合体で5月に結成された<ref>前掲青山『[http://bit.ly/2V5kdpU イドリブ県で活動する国民解放戦線にアル=カーイダ系組織や旧「穏健な反体制派」が新たに加入(2018年8月1日)]』(2018年12月25日閲覧)</ref>。

== 指導者 ==
# ハッサーン・アッブード(別名:アブ・アブドラ・アル・ハマウィ) - 2014年9月死亡<ref name=koan/>。
# アリ・アル・オマル(別名:アブ・アンマール・アル・オマル) - 2016年11月就任<ref name=koan/>。

==脚注==





[[Category:シリアの歴史]]
[[Category:アラブの春]]
[[Category:民兵]]

http://bit.ly/2Cz9NHT

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