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【外部リンク】
カンガバ
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[[ファイル:Entrance_to_Kangaba.jpg|右|サムネイル|町の入口]]
'''カンガバ'''(Kangaba)は、[[マリ共和国]][[クリコロ州]][[カンガバ圏|カンガバ地域圏]][[ベンカジ・コミューン]]の中心となる町である。
町の名前の由来は、[[メッカ]]の[[カアバ]](アラビア語で立方体を意味する)が[[マリンケ語]]風に訛ったものである。[[西アフリカ]]の歴史的な地方区分「[[マンデ]]」は、このカンガバの町を中心とした地方である。マンデは[[マリ帝国]]揺籃の地ともなった。カンガバの町は現在のマリ共和国と[[ギニア共和国]]の国境から50キロメートル離れたところに位置している。
== カンガバの聖なる小屋 ==
カンガバにあるカマ・ボロン(''Kama Bolon'')という小屋が聖なる小屋として崇められており、小屋の[[屋根]]が7年ごとに葺きかえられている。この小屋では、ケラ(Kéla)という隣の村に住むジャバテ家(Diabaté)の[[グリオ]]により、[[創世神話]]やケイタ家の事跡を語り歌う[[例大祭]]が行われる。カマ・ボロンは1653年に建てられた。
2011年3月16日、マリ政府は閣議で、7年ごとに行われるカマ・ボロンの屋根の葺き替えを国家的文化遺産に分類する暫定[[デクレ]]を採択した<ref></ref>。
== クルカンの原 ==
1236年に[[スンジャタ・ケイタ]]が[[クルカン・フカ憲章]]を宣言した場所、クルカン・フカ(Kurukan Fuka、クルカンの原)は、このカンガバであったとみなされている。クルカン・フカ憲章は、最初期の[[人権宣言|人権の普遍的な宣言]]であり、マリ帝国のいしずえになった。
== 出典 ==
'''カンガバ'''(Kangaba)は、[[マリ共和国]][[クリコロ州]][[カンガバ圏|カンガバ地域圏]][[ベンカジ・コミューン]]の中心となる町である。
町の名前の由来は、[[メッカ]]の[[カアバ]](アラビア語で立方体を意味する)が[[マリンケ語]]風に訛ったものである。[[西アフリカ]]の歴史的な地方区分「[[マンデ]]」は、このカンガバの町を中心とした地方である。マンデは[[マリ帝国]]揺籃の地ともなった。カンガバの町は現在のマリ共和国と[[ギニア共和国]]の国境から50キロメートル離れたところに位置している。
== カンガバの聖なる小屋 ==
カンガバにあるカマ・ボロン(''Kama Bolon'')という小屋が聖なる小屋として崇められており、小屋の[[屋根]]が7年ごとに葺きかえられている。この小屋では、ケラ(Kéla)という隣の村に住むジャバテ家(Diabaté)の[[グリオ]]により、[[創世神話]]やケイタ家の事跡を語り歌う[[例大祭]]が行われる。カマ・ボロンは1653年に建てられた。
2011年3月16日、マリ政府は閣議で、7年ごとに行われるカマ・ボロンの屋根の葺き替えを国家的文化遺産に分類する暫定[[デクレ]]を採択した<ref></ref>。
== クルカンの原 ==
1236年に[[スンジャタ・ケイタ]]が[[クルカン・フカ憲章]]を宣言した場所、クルカン・フカ(Kurukan Fuka、クルカンの原)は、このカンガバであったとみなされている。クルカン・フカ憲章は、最初期の[[人権宣言|人権の普遍的な宣言]]であり、マリ帝国のいしずえになった。
== 出典 ==
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