2019年9月21日土曜日

意味調べる曽呂利惣八

新規更新September 21, 2019 at 01:58PM
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曽呂利惣八


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曽呂利惣八は、[[愛知県]][[春日井市]]から[[小牧市]]にかけて語り継がれている、[[盗賊]]の伝承である。
== 縁記 ==
戦国時代半ばを過ぎたころ、篠木荘の[[関田]]から[[出川]]までの地方を拠点にした曽呂利という族に、惣八(宗八)という親分がいた。その族はその地の大きな勢力となっていた。惣八は野党の大親分であり、一般にスッパと呼ばれる忍者の類でもあった。逸話では出川と[[大泉寺]]の間の、街道を通る旅人に、土をかつがせ富士塚を作らせたというものがある。延徳元年(1489)に病死したが、そのとき党の者が大草村の[[福厳寺]]にいる[[盛禅和尚]]を呼び引導を頼んだ。すると天が曇りだし、雷鳴が鳴り響く、車軸を流す勢いの大雨となった。その時、黒雲の間から怪物が、口から火を吹きながら棺に襲いかかった。惣八の家来は逃げたが和尚は棺の上に座ったまま身動きもせずお経を唱えた。怪物は、和尚のえらさに驚きどこかえ逃げ去り天は青空になった。関田にある曽呂利塚は、惣八を葬った墓であり、[[円福寺]]にある陣太鼓、[[高蔵寺]]にある太刀は、いずれも惣八の所持していたものであると伝えられている。今でも、雨の降る晩などは、惣八の亡霊が鬼火を灯し、[[内津川]]の堤防を行ったり来たりすることもあり、事実それを見た人もいるという。<ref>『かすがいむかしばなし』p49</ref><ref>『春日井のむかし話下』p28</ref>
== 遺品 ==<ref>『春日井郷土史第4号』</ref>
太刀、書-高蔵寺
太鼓-円福寺
墓-関田、大草(小牧)
墓では、現在も
事件-二重堀、高蔵寺
亡霊-内津川堤防
石碑-出川
== 参考文献 ==
*『春日井の昔話』春日井市教育委員会、1975年
*『春日井のむかし話 下』春日井郷土史研究会、2014年
*『春日井郷土史第4号』春日井郷土史研究会、2018年
*『尾張名所図会』愛知県郷土資料刊行会、1970年
*『尾張徇行記』樋口好古、1792 - 1822年編纂
== 脚注 ==


== 関連項目 ==
[[高蔵寺]]
[[円福寺]]

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