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日本とペルーの関係
Newkaisoku1995: 残骸が残っていたので除去
本稿では、'''日本とペルーの関係'''(英語:'''Japan–Peru relations''')について述べる。
両国は共に[[アジア太平洋経済協力]](APEC)及び(FEALAC)に加盟している。
== 歴史 ==
=== 初期の関係 ===
日本とペルーの知識はスペインがペルーを統治していた時代に始まる。スペインの商人や宣教師が[[メキシコ]]の[[アカプルコ]]や[[フィリピン]]の[[マニラ]]から[[マニラ・ガレオン]]を用いた取引を介して知られていた。
マニラでは、スペイン人商人が日本人商人と取引し商品を当時の[[イスパノアメリカ|スペイン領アメリカ]](当時ペルーはスペインの一部であった)に輸送していた。1821年、ペルーは[[スペイン]]からの独立を宣言し、また1868年10月には何十年もの孤立をしていた日本が[[明治]]時代となりいくつかの国と外交関係を持つようになった。
正式な外交関係の樹立に先立って1872年6月、[[マカオ]]から[[カヤオ]]へ向かう232人の中国人苦力を載せたペルーの船「[[マリア・ルス号事件|マリア・ルス号]]」が寄港した。船がペルーに向かう途中に深刻な暴風雨に見舞われ、船にダメージを与え、日本の[[横浜港]]で修理を求めた。港では、ある中国人労働者が逃げ出して岸に飛び乗った。岸に着くと、労働者は重度の虐待について不平を言い、保護と船上での仲間の労働者の救助を求めた
2人目の労働者が船から脱出した後、日本の当局は船に乗り込み、中国国民が非人道的な状況下で彼らの意思に反して拘束されていることを発見した。多くの人が誘拐され、ほとんどの人は最終目的地の場所を知らなかった。
日本の裁判所は「マリア・ルス号」の船長、リチャード・ヘレーラを不正行為で国際法に違反したとして告発し、中国国民を解放した。<ref>[https://www.academia.edu/1110706/El_Perú_contra_el_Imperio_del_Sol_Naciente_Conflicto_diplomático_por_la_barca_Mar%C3%ADa_Luz_y_la_Inmigración_china_al_Perú El Perú contra el Imperío del Sol Naciente (in Spanish)]</ref>1873年に入り、日本とペルーは修好通商条約に調印して外交関係を正式に締結した。<ref name=Visits>[https://ift.tt/2YzIb0W Reseña Histórica: Japón-Perú (in Spanish)]</ref>
1899年、790人の日本人移民がさくら丸でペルーへと渡った。ほとんどの移住者はさまざまな農園で働くためにこの国にやってきた<ref name=Visits /><ref name=Migrants>[https://ift.tt/2SMCIi4 Japanese-Peruvians-Reviled and Respected: The Paradoxial Place of Peru's Nikkei]</ref>。 1936年までに、 23000人の日本人移民がペルーに移住した<ref name=Migrants />。[[第二次世界大戦]]中、ペルー人はリマで600人以上の日本人が住む家や企業を攻撃し、10人の日本人を殺害し数十人を負傷させた<ref name=Migrants />。 1942年1月には、日本の[[真珠湾攻撃]]を受けて国交を断絶した。
その後まもなく、[[アメリカ合衆国]]からの圧力が強まったためペルーは「危険な敵国人」からラテンアメリカを守るため<ref name=Migrants /> 、1700人の[[日系ペルー人]]をアメリカに国外追放し、[[日系人の強制収容|アメリカの収容所]]へと送った。戦後、ペルーは日本との国交を回復し、1959年には[[岸信介]]首相が職員をペルーに派遣した<ref name=Visits />。 1961年には、ペルーの大統領[[マヌエル・カルロス・プラド・イ・ウガルテチェ]]がラテンアメリカの首脳で初めて日本を訪問した。<ref>[https://ift.tt/2YpcV4X Reseña Histórica (in Spanish)]</ref>
=== マチュピチュ ===
[[福島県]][[大玉村]]出身の農民だった[[野内与吉]]は1917年にペルーに移民として渡ると、マチュピチュまでの鉄道建設に携わったのを契機にマチュピチュに移住し、マチュピチュの発展に貢献した<ref>[https://ift.tt/1LvXMQe マチュピチュと福島県大玉村、世界初の友好都市協定を締結]THE PAGE</ref><ref name="asahi">[https://ift.tt/2YxDUey マチュピチュ村、福島の恩忘れず 大玉村と友好都市に]朝日新聞</ref>。これを契機として、野内の出身である大玉村とマチュピチュ村は姉妹都市提携を結んでいる。
=== アルベルト・フジモリ大統領 ===
[[File:Réplica embajada Japón.jpg|thumb|right|リマにある在ペルー日本大使公邸占拠事件のモニュメント]]
1990年7月に、[[アルベルト・フジモリ]]は日系の人物で初めてペルーの大統領になった。
フジモリ大統領が選挙で選ばれた数か月後、何人かの日本人と日系ペルー人が攻撃され、[[センデロ・ルミノソ]]と[[トゥパク・アマル革命運動]]という2つのゲリラグループによって誘拐または殺害された。<ref>[https://ift.tt/2SLTzS6 80,000 Uneasy People, All Prisoners of Peru Crisis]</ref> 1992年にはフジモリ大統領が日本を訪問した。<ref>[https://ift.tt/2YtfGCh Japon Fujimori, de Visita (in Spanish)]</ref>
1996年12月27日、14人のトゥパク・アマル革命運動のメンバーがリマの日本大使公邸を襲撃し、[[明仁|今上天皇]](当時)の63歳の誕生日を祝っていた400人以上の外交官僚及び軍関係者を人質に取った。
彼らはフジモリ大統領がパーティーに出席すると思っていた<ref>[https://ift.tt/2SQjmJ1 How Peruvian Hostage Crisis Became Trip Into the Surreal]</ref>が、大統領が出席していないと気づいた時、彼らはペルー政府に投獄されていた300人の同志の釈放を要求した。<ref>[https://ift.tt/2YDp4U5 Peru officially silent on hostage crisis]</ref> この事件は''[[在ペルー日本大使公邸占拠事件]]'' として知られるようになり、1997年4月22日にペルーの部隊が大使公邸に入り、14人のメンバー全員を殺害するまで続いた。
この包囲の間に、最高裁判所裁判官のカルロス・ジュスティが作戦で死亡し、また2人の兵士が殺された。日本の首相[[橋本龍太郎]]は人質の解放についてペルーに感謝した<ref>[https://ift.tt/2SXctpv Hostages freed as troops storm Lima embassy]</ref>
2000年11月、フジモリ大統領は[[ブルネイ]]で開催される第12回[[アジア太平洋経済協力|APEC]]のサミットに参加した。サミット後、彼は日本に移動し、腐敗スキャンダル問題で政治が混乱していたため東京から大統領職辞任の意をファックスで送信した。[[日本国政府|日本政府]]は、フジモリ元大統領は日本国籍保持者であるため、日本滞在には何の問題もないとした。
ペルー政府は、 [[アレハンドロ・トレド]]大統領のもとでフジモリに20件の刑事訴訟を提起することを撤回するよう日本に要求したが、日本は両国間の関係を毀損した市民を引き渡すことを拒否した。
2006年、フジモリは日本から出て[[メキシコ]]・[[チリ]]へ向かっていたところを逮捕された。彼はペルーに戻って大統領に立候補することを試みていた<ref>[https://ift.tt/2Yz2Q5e Peru's Fugitive Ex-President Is Arrested in Chile]</ref>。
=== ポスト・フジモリ ===
1990年代、日本は入国管理法を改正し、[[出稼ぎ]](海外生まれの日系人)の帰国・永住権取得を認めた。
約6万人の日系ペルー人が日本へ帰国し、[[ブラジル]]に次ぎラテンアメリカ系で2番目のコミュニティとなった<ref>[https://ift.tt/2STWto8 Los Latinos son el Segundo Grupo más Grande de Immigrantes en Japón (in Spanish)]</ref>2013年、日本・ペルーは140年間の外交関係を祝った。<ref>[https://ift.tt/2Yz2RWQ 日・ペルー首脳会談]</ref>
== 公式訪問 ==
[[File:Foto Oficial APEC 2016 (LIMA PERU).jpg|thumb|right|Japanese Prime Minister [[Shinzō Abe]] attending the 28th APEC Summit in Peru hosted by ペルーの President [[Pedro Pablo Kuczynski]].]]
'''日本の皇族、および首相によるペルー訪問'''<ref name=Visits />
* 皇族[[三笠宮崇仁親王]] (1958)
* 首相[[岸信介]] (1959)
* 皇太子[[明仁]] (1963, 1967)
* 首相[[鈴木善幸]] (1982)
* 首相[[橋本龍太郎]] (1996, 1997)
* 首相[[麻生太郎]] (2008)
* 皇族[[常陸宮正仁親王]] (2009)
* 皇族[[秋篠宮文仁親王]] (2014)
* 首相[[安倍晋三]] (2016)
'''ペルーの大統領による日本訪問'''<ref name=Visits />
* 大統領[[マヌエル・プラド・イ・ウガルテチェ]] (1961)
* 大統領[[アルベルト・フジモリ]] (1992, 1995)
* 大統領[[アラン・ガルシア]] (2008, 2009, 2010)
* 大統領[[オジャンタ・ウマラ]] (2012)
== 二国間関係 ==
日本とペルーは貿易金融協定(1949)、ビザの撤廃に関する合意(1971)、技術協力協定(1979)、農業開発に関する協力協定(1987)、投資の促進と保護に関する協定(2008)、ペルーの遺跡保護に関する日本の寄付に関する協定(2016)を結んでいる。<ref>[https://ift.tt/2SLwejH Acuerdos Bilaterales (スペイン語)]</ref>
== 貿易 ==
2013年、日本とペルーの貿易は35億ドルにのぼった。<ref name=Trade>[https://ift.tt/2Yz2U4Y Japan-Peru Relations (Basic Data)]</ref>日本からペルーへは主に自動車、自動車部品、タイヤ、鉄鋼を輸出している。
ペルーから日本へは主に銅、魚粉、銀、亜鉛を輸出している<ref name=Trade />。同年、日本からペルーへの直接投資は2億3,800万ドルであった。
[[本田技研工業]]、[[ソニー]]、[[東芝]]、[[トヨタ自動車]]等の企業がペルーに進出している。
2010年、日本とペルーは経済連携協定に調印した<ref>[https://ift.tt/2SLwgbj Joint Statement on the Conclusion of Negotiations for an Economic Partnership Agreement between Japan and Peru]</ref>。また、両国は[[環太平洋パートナーシップ協定]]に参加している。
== 在外公館 ==
* 在ペルー日本大使館 - [[リマ]]<ref>[https://ift.tt/2mo2Hjr Embassy of Japan in Lima (in Japanese and Spanish)]</ref>
* 在日ペルー大使館 - [[東京]]、また総領事館が[[名古屋]]にある<ref>[https://ift.tt/2SvHH6x Embassy of Peru in Tokyo (in Japanese and Spanish)]</ref>
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File:Embajada de Japón en Lima, Perú.jpg|在ペルー日本大使館
File:Embajada del Perú en Tokio, Japan.jpg|在日ペルー大使館
</gallery>
== 関連項目 ==
*[[在日ペルー人]]
*[[日系ペルー人]]
*[[在ペルー日本大使公邸占拠事件]]
*[[マリア・ルス号事件]]
*[[マチュピチュ]]
== 脚注 ==
[[Category:日秘関係|*]]
[[Category:日本の二国間関係|へるう]]
[[Category:ペルーの二国間関係|にほん]]
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