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佐藤定幸
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'''佐藤 定幸'''(さとう さだゆき、[[1925年]] - [[2015年]]<ref>[[加藤幹雄]] 如水会会員(昭36経)、元[[住友金属工業]]副社長[https://ift.tt/2GSLWpz 「60年安保闘争と高度成長時代の幕開け 」]一橋大学の歴史</ref>)は[[日本]]の[[経済学者]]。[[一橋大学]]名誉教授。[[一橋大学経済研究所]]長や、[[大東文化大学]]学長等を歴任。専門は[[多国籍企業]]論、[[アメリカ経済]]論で、日本で先駆け的に多国籍企業の研究を行うなどした。多国籍企業学会名誉会員。
== 人物・経歴 ==
[[東京]]生まれ<ref name="kang"/>。[[芝中学校]]を経て<ref name="shiba"/>、1943年旧制[[東京商科大学]](現[[一橋大学]])[[予科]]入学<ref name="kang"/>。1945年[[陸軍機甲整備学校]]に特甲幹として入学<ref name="shiba">[https://ift.tt/2GzQs94 「生きてる友と亡くなった友へ」]芝学園同窓会</ref>。終戦後復学し、1948年同大学学部卒業<ref name="kang">[https://ift.tt/2GSClin 「一橋大学経済研究所の国際経済研究活動」]一般社団法人[[如水会]]</ref>。[[高橋泰蔵]]ゼミ出身。大学在学中は[[日本共産党]]シンパの学生らで組織された民主主義科学研究会(民研)に、[[岡稔]](のちに一橋大学教授)、[[本間要一郎]](のちに[[横浜国立大学]]名誉教授)、[[韮沢忠雄]](のちに日本共産党[[しんぶん赤旗|赤旗]]編集局長)などとともに主要メンバーとして参加<ref>[https://ift.tt/2GAZcMl 「「戦争末期から戦後初期の東京商科大学」」]第 9 回福田徳三研究会 </ref>。
1948年有限会社世界経済研究所入所。1954年から[[小原敬士]]の下で[[一橋大学経済研究所]]アメリカ経済研究部門助手を務める。1969年同教授<ref name="kang"/>。1976年、[[伊東政吉]]の後任として第17代一橋大学経済研究所所長に就任<ref>[https://ift.tt/2GPMMn5 「歴代所長」]一橋大学経済研究所</ref>。1989年一橋大学定年退職、名誉教授<ref>[https://ift.tt/2IoEH5R 「名誉教授 」]一橋大学</ref>、[[大東文化大学]]経済学部教授<ref>[https://ift.tt/2GTOBiM 「第23回国際学生シンポジウム 」]</ref>。1991年から1993年まで第2代大東文化大学経済研究所所長<ref>[https://ift.tt/2IofZCs 「沿革」]大東文化大学経済研究所</ref>。1993年から1996年まで第10代大東文化大学[[学長]]<ref>[http://www.jpsa-web.org/doc/newsletter/Newsletter26.pdf]</ref>。専門は[[多国籍企業]]論、[[アメリカ経済]]論で、日本で先駆け的に多国籍企業の研究を行い<ref name="kang"/>、のちに[[小島清]]らとともに多国籍企業学会名誉会員に推挙された<ref>[https://ift.tt/2GSM7RL 「会員および規約」]多国籍企業学会</ref>。
== 著書 ==
*『戦後世界の景気循環』[[三一書房]] 1959年
*『世界の大企業』[[岩波新書]] 1964年
*『国際資本戦争 : 砲火なき闘い』日本経営出版協会 1967年
*『 米国アルミニウム産業 : 競争と独占』[[岩波書店]] 1967年
*『コングロマリット : アメリカの新しいビッグ・ビジネス』[[毎日新聞社]] 1969年
*『多国籍企業の政治経済学』[[有斐閣]] 1984年
*『日米経済摩擦の構図』(編)有斐閣 1987年
*『20世紀末のアメリカ資本主義』[[新日本出版社]] 1993年
== 脚注 ==
[[Category:日本の大学学長]]
[[Category:日本の経済学者]]
[[Category:大東文化大学の教員]]
[[Category:一橋大学経済研究所の人物]]
[[Category:一橋大学の教員]]
[[Category:一橋大学出身の人物]]
[[Category:東京都出身の人物]]
[[Category:1925年生]]
[[Category:2015年没]]
== 人物・経歴 ==
[[東京]]生まれ<ref name="kang"/>。[[芝中学校]]を経て<ref name="shiba"/>、1943年旧制[[東京商科大学]](現[[一橋大学]])[[予科]]入学<ref name="kang"/>。1945年[[陸軍機甲整備学校]]に特甲幹として入学<ref name="shiba">[https://ift.tt/2GzQs94 「生きてる友と亡くなった友へ」]芝学園同窓会</ref>。終戦後復学し、1948年同大学学部卒業<ref name="kang">[https://ift.tt/2GSClin 「一橋大学経済研究所の国際経済研究活動」]一般社団法人[[如水会]]</ref>。[[高橋泰蔵]]ゼミ出身。大学在学中は[[日本共産党]]シンパの学生らで組織された民主主義科学研究会(民研)に、[[岡稔]](のちに一橋大学教授)、[[本間要一郎]](のちに[[横浜国立大学]]名誉教授)、[[韮沢忠雄]](のちに日本共産党[[しんぶん赤旗|赤旗]]編集局長)などとともに主要メンバーとして参加<ref>[https://ift.tt/2GAZcMl 「「戦争末期から戦後初期の東京商科大学」」]第 9 回福田徳三研究会 </ref>。
1948年有限会社世界経済研究所入所。1954年から[[小原敬士]]の下で[[一橋大学経済研究所]]アメリカ経済研究部門助手を務める。1969年同教授<ref name="kang"/>。1976年、[[伊東政吉]]の後任として第17代一橋大学経済研究所所長に就任<ref>[https://ift.tt/2GPMMn5 「歴代所長」]一橋大学経済研究所</ref>。1989年一橋大学定年退職、名誉教授<ref>[https://ift.tt/2IoEH5R 「名誉教授 」]一橋大学</ref>、[[大東文化大学]]経済学部教授<ref>[https://ift.tt/2GTOBiM 「第23回国際学生シンポジウム 」]</ref>。1991年から1993年まで第2代大東文化大学経済研究所所長<ref>[https://ift.tt/2IofZCs 「沿革」]大東文化大学経済研究所</ref>。1993年から1996年まで第10代大東文化大学[[学長]]<ref>[http://www.jpsa-web.org/doc/newsletter/Newsletter26.pdf]</ref>。専門は[[多国籍企業]]論、[[アメリカ経済]]論で、日本で先駆け的に多国籍企業の研究を行い<ref name="kang"/>、のちに[[小島清]]らとともに多国籍企業学会名誉会員に推挙された<ref>[https://ift.tt/2GSM7RL 「会員および規約」]多国籍企業学会</ref>。
== 著書 ==
*『戦後世界の景気循環』[[三一書房]] 1959年
*『世界の大企業』[[岩波新書]] 1964年
*『国際資本戦争 : 砲火なき闘い』日本経営出版協会 1967年
*『 米国アルミニウム産業 : 競争と独占』[[岩波書店]] 1967年
*『コングロマリット : アメリカの新しいビッグ・ビジネス』[[毎日新聞社]] 1969年
*『多国籍企業の政治経済学』[[有斐閣]] 1984年
*『日米経済摩擦の構図』(編)有斐閣 1987年
*『20世紀末のアメリカ資本主義』[[新日本出版社]] 1993年
== 脚注 ==
[[Category:日本の大学学長]]
[[Category:日本の経済学者]]
[[Category:大東文化大学の教員]]
[[Category:一橋大学経済研究所の人物]]
[[Category:一橋大学の教員]]
[[Category:一橋大学出身の人物]]
[[Category:東京都出身の人物]]
[[Category:1925年生]]
[[Category:2015年没]]
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