2020年4月22日水曜日

意味調べるヴァシリコ・ヤロポルコヴィチ

新規更新April 22, 2020 at 06:33PM
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ヴァシリコ・ヤロポルコヴィチ


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'''ヴァシリコ・ヤロポルコヴィチ'''(<!--複数の人物の混同?により生没年不明。ロシア語、ウクライナ語版は1170年没としているが、1171年の記事(後述)と矛盾する-->12世紀後半)は[[リューリク朝]]出身の公([[クニャージ]])である。

[[キエフ大公]][[ヤロポルク2世|ヤロポルク]]、[[シュムスク公]][[ヤロポルク・イジャスラヴィチ (シュムスク公)|ヤロポルク]]、また[[ヴォルィーニ公]][[アンドレイ・ウラジミロヴィチ (ヴォルィーニ公)|アンドレイ]]の子の[[ヤロポルク・アンドレエヴィチ|ヤロポルク]]、キエフ大公[[ムスチスラフ1世|ムスチスラフ]](ムスチスラフ1世)の子のヤロポルク[[:ru:Ярополк Мстиславич|(ru)]]らが、ヴァシリコの父として推定されているが、いずれも断定はできない。また、史料上に残るヴァシリコは同名の二人の人物が同一視されているとする説もある。

ヴァシリコに関する史料上の初出は、1151年の[[ヴォルィーニ公]][[イジャスラフ2世|イジャスラフ]]と[[ガーリチ公]][[ウラジーミル・ヴォロダレヴィチ|ウラジーミル]]との闘争(参照:[[ルーシ内戦 (1146年 - 1154年)]])に関する記述である。このとき、イジャスラフは、[[ペレソープヌィツャ|ペレソプニツァ]]に滞陣していたアンドレイ[[:ru:Андрей Юрьевич Боголюбский|(ru)]](ボゴリュブスキー。後の[[ウラジーミル大公]]。)を味方に引き入れる使者として、ヴァシリコを派遣している<ref>中沢(2016.2)P351</ref>。

1165年、ヴァシリコは[[ローシ川]]で[[ポロヴェツ族]]を破った<ref name="中沢(2017.2.P248)">中沢(2017.2)P248</ref>。なお、このヴァシリコに関しては、[[シュムスク公]][[ヤロポルク・イジャスラヴィチ (シュムスク公)|ヤロポルク]]の一人目の妻の子とする説がある<ref name="中沢(2017.2.P248)"></ref>。また、1167年春には、キエフ大公[[ムスチスラフ2世|ムスチスラフ]](ムスチスラフ2世。ヴァシリコがシュムスク公ヤロポルクの子であるならば、ムスチスラフの甥となる。)の命によって、キエフの管理についている<ref>中沢(2017.2)P262</ref>。しかし1171年には[[キエフ大公]][[グレプ (キエフ大公)|グレプ]]と、グレプと結んだポロヴェツ族に敗れた。このときヴァシリコが所領としていたミハイロフ<!-- 「ミハイロフ」 (Михайлов)は,ロシ川左岸支流カメンカ(Каменка)川沿岸の城市で,現在の,マーラ・ ミハイリフカ村(Мала Михайлівка)に相当。中沢(2017.2)P289-->は焼かれ、ヴァシリコは[[チェルニゴフ]]へと追いやられた<ref>中沢(2017.2)P289</ref>。なお、V.タチシチェフ[[:ru:Татищев, Василий Никитич|(ru)]]の説では、その後ヴァシリコは[[ブレスト (ベラルーシ)|ベレスチエ]]とドロギチン[[:ru:Дрохичин|(ru)]]を受領したとされる。また、L.ヴォイトヴィチの説では、ヴァシリコは1168 - 1180年間に[[シュムスク公]]位、1180 - 1182年間にドロギチン公位にあったとしている。

妻子に関しても諸説あるが、詳細は不確定である。例えば、N.バウムガルテン[[:ru:Баумгартен, Николай Александрович|(ru)]]、L.ヴォイトヴィチ等は、[[ポーランド大公]][[ボレスワフ4世]]の娘を妻としたとみなしているが、D.ドンブロフスキはこの説を否定している。

==出典==
<references />
==参考文献==
*Литвина А. Ф., Успенский Ф. Б. Выбор имени у русских князей в X—XVI вв. Династическая история сквозь призму антропонимики. — М.: Индрик, 2006. — С. 109—110.
*Домбровский Д. Генеалогия Мстиславичей. Первые поколения (до начала XIV в.) / Пер. с польского и вступ. слово к рус. изд. К. Ю. Ерусалимского и О. А. Остапчук. — СПб.: ДМИТРИЙ БУЛАНИН, 2015. — С. 702—710.
*中沢敦夫,吉田俊則,藤田英実香 「『イパーチイ年代記』翻訳と注釈(4) ―『キエフ年代記集成』(1149~1151年)」、富山大学人文学部紀要第64号、2016年2月
*中沢敦夫,吉田俊則,藤田英実香 「『イパーチイ年代記』翻訳と注釈(6) ―『キエフ年代記集成』(1159~1172年)」、富山大学人文学部紀要第66号、2017年2月


[[Category:シュムスク公]]
<!--[[Category:ドロギチン公]]-->
[[Category:生没年不詳]]

[[ru:Василько Ярополкович]]

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