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袋屋美術館
黒崎一男:
'''袋屋美術館'''(ふくろやびじゅつかん)は[[長野県]][[中野市]]にある[[美術館]]。俳人[[小林一茶]]が晩年逗留した袋屋清左衛門邸に、一茶ゆかりの品や歴史ある[[美術品]]が展示されている<ref>[https://ift.tt/3bU2Ukd 袋屋美術館(信州なかの産業・観光公社)]</ref>。
== 概要 ==
小林一茶は1822年(文政5年)頃から、しばしば信州中野の袋屋を訪れた。一茶の最晩年の頃、漢詩をつくる蘭腸は俳句にも情熱をかたむけ、善光寺俳壇の戸谷猿左が主宰する「俳譜発句帖」に梅堂の俳号で作品を発表した。六代袋屋清左衛門こと梅堂とその息子七代目梅塵は一茶と急速に親しくなり、一茶の袋屋への出入りも頻繁になった。一茶が眺めたといわれる庭園は、今もゆったりとした雰囲気が残っている。今は、「袋屋清左衛門邸」と「清左衛門醸造」として受け継がれている。<ref>[https://ift.tt/2uguPcS ふくろや]</ref>
== 袋屋清左衛門邸 ==
小林一茶が袋屋清左衛門邸を訪れたのは、文化文政期。門人たちが集まり、歌仙が行われた。歌仙は三、四人で行うが、俳句が三十六できると終わりとなる。本来即興でつくるが、なかなかすぐに出ないのであらかじめ用意した自分の秀作を出すならわしだった。一茶は晩年、しだいに袋屋に寝泊まりして、長逗留することが多くなった。<ref>[https://ift.tt/2uguPcS ふくろや]</ref>
== 清左衛門醸造 ==
「陣屋みそ」を製造。江戸時代、信州中野は上州草津方面から善光寺へ、あるいは越後方面への交通の要所であった。北信濃の政治・経済の中心地として栄えた町だった。屋号を「袋屋」といい、味噌・醤油の醸造などを営む商家。<ref>[https://ift.tt/2uguPcS ふくろや]</ref>
== 小林一茶 ==
一茶(1763年~1827年)が故郷柏原(現信濃町)に帰り、居を構えたのは、1813年(文化九年)の暮れも押し迫った12月、一茶52歳の時だった。 一茶にとって流浪に等しい江戸での生活と違って、故郷での暮らしはそれなりに充実していた。すでに晩年を迎えている一茶は、江戸仕込みの俳諧師として有名で、北信濃の俳壇に歓迎され、しだいに多くの人々との交流が盛んになっていた。小布施・六川の梅松寺住職知洞や陣屋の椎谷藩士大綾、湯田中(山ノ内町)の門人湯本希杖・其秋父子、夜間瀬(山ノ内町)の四人衆、坂口楚江、中島雲里、柳沢貞淳、小林邑雪らがその頃の一茶の交友たちで、一茶は谷街道や草津街道を行き来して、小布施や湯田中で盛んに句会を催していた。<ref>[https://ift.tt/2uguPcS ふくろや]</ref>
== 信州中野 ==
当時の信州中野では漢詩創作活動が盛んで袋屋の当主蘭腸を中心に、晩晴吟社を結成し、中野草堂というサロンで、漂白の詩人柏木如亭の指導を得て、蘭腸をはじめ畔上聖誕、山田松斉、鎮目潮生、木舗百年らが盛んに詩壇活動を行った。晩晴吟社の活動が江戸に知られるようになると、頼山陽をはじめたくさんの名士が中野を訪れた。<ref>[https://ift.tt/2uguPcS ふくろや]</ref>
== 陣屋みそ ==
陣屋とは天領に置かれた代官所。中野陣屋が置かれていたこの地には江戸時代、文化・文政年間に天領文化と呼ばれた創造性に富んだ文化が開花。清左衛門醸造の味噌もこの文化を背景にして生まれた。「清左衛門醸造」として受け継がれた味は、何時の頃からか「陣屋みそ」の名で人々に親しまれ、「信州みそ」の特色をよく伝えてきた。土用前後の信州は昼夜の温度差が大きく、味噌の成熟には願ってもない風土に恵まれている。「陣屋みそ」はこの熟成させる(寝かせる)前の段階、つぶした大豆と麹をあわせる工程を機械によらず、あえて手作業で行っている。これは塩のばらつきを生じさせるためで、こうすることにより熟成中に多くの乳酸が出て、いわゆる"塩のカド"をとり、まろやかな味わいとなる。伝統を守り、素朴な手造り生産のため量産は不可能だが、蔵出しのほんものの味噌で逸品である。<ref>[https://ift.tt/2uguPcS ふくろや]</ref>
== 一茶の年譜 ==
{| class="wikitable"
|<center>西暦</center>
|<center>和暦</center>
|<center>数え歳</center>
|<center>主 な 出 来 事</center>
|-
|<center>1763</center>
|<center>宝暦13</center>
|<center>1</center>
|一茶、信州長野の柏原村で百姓の長男として生まれる。 名は弥太郎。
|-
|<center>1765</center>
|<center>明和2</center>
|<center>3</center>
|母くにが死ぬ。
|-
|<center>1777</center>
|<center>安永6</center>
|<center>15</center>
|一茶、江戸へ出る。出郷後の消息は20歳ごろまで全く不明。
|-
|<center>1782</center>
|<center>天明2</center>
|<center>19</center>
|この頃、下総馬橋の俳人大川立砂(油屋)に奉公していた という伝承がある。
|-
|<center>1792</center>
|<center>寛政4</center>
|<center>30</center>
|江戸を出て、西国へ行く。
|-
|<center>1792~1796</center>
|<center>寛政4</center>
|<center>30</center>
|一茶が江戸の俳人・二六庵竹阿について俳句を学んだ時、共に弟子だった専念寺の住職性誉和尚(俳号五梅)の縁で四国の香川県、観音寺市にある専念寺に滞在。
|-
|<center>1801</center>
|<center>亨和1</center>
|<center>39</center>
|一茶の父弥五兵衛(69歳)が死ぬ。遺産相続をめぐり、 継母・弟専六との対立がはげしくなる。
|-
|<center>1803</center>
|<center>亨和3</center>
|<center>41</center>
|この頃は江戸に住み、房総方面への行脚が しきりとなる。流山の秋元双樹と知り合い、いくたびも双樹のもとを訪れる。「享和句帖」を記す。
|-
|<center>1804</center>
|<center>亨和4(文化1)</center>
|<center>42</center>
|「文化句帖」を記す。
|-
|<center>1808</center>
|<center>文化5</center>
|<center>46</center>
|弟専六と亡父の遺産を折半する約束する。
|}
{| class="wikitable"
|<center>1812</center>
|<center>文化9</center>
|<center>50</center>
|双樹が死ぬ。その葬儀に参列。故郷柏原へ帰り、居を構える。
|-
|<center>1814</center>
|<center>文化11</center>
|<center>52</center>
|常田久右衛門の娘きく(28歳)と結婚する。
|-
|<center>1816</center>
|<center>文化13</center>
|<center>54</center>
|長男千太郎が誕生するが、まもなく死亡。
|-
|<center>1818</center>
|<center>文政1</center>
|<center>56</center>
|長女さと生まれる。
|-
|<center>1819</center>
|<center>文政2</center>
|<center>57</center>
|句日記「おらが春」成る。
|-
|<center>1820</center>
|<center>文政3</center>
|<center>58</center>
|二男が生まれ、石太郎と名づける。 一茶雪道でころび、ひょうしに中風がおこる。
|-
|<center>1821</center>
|<center>文政4</center>
|<center>59</center>
|石太郎が母の背中で窒息死する。
|-
|<center>1822</center>
|<center>文政5</center>
|<center>60</center>
|三男金三郎生まれる。この頃から、袋屋へ訪れるようになる。
|-
|<center>1823</center>
|<center>文政6</center>
|<center>61</center>
|きくが死亡(37歳)。金三郎も死亡する。
|-
|<center>1824</center>
|<center>文政7</center>
|<center>62</center>
|ゆき(38歳)と結婚するが、ほどなく離縁する。 中風が再発して言語不自由になる。
|-
|<center>1826</center>
|<center>文政9</center>
|<center>64</center>
|宮下やを(32歳)と結婚する。
|-
|<center>1827</center>
|<center>文政10</center>
|<center>65</center>
|柏原に大火があり、一茶の家も類焼する。 一茶、土蔵の仮住まいで死ぬ。
|-
|<center>1828</center>
|<center>文政11</center>
|<center>…</center>
|一茶未亡人やをに、やたが生まれる。
|}
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[[ファイル:袋屋美術館展示室(2020-2-21).jpg|サムネイル|304x304ピクセル]]
== 営業時間 ==
:: 午前10時~午後5時 (4時30分までに入館)
== 定休日(現在は冬季休館中-詳しくは袋屋美術館に問い合わせ) ==
:: 毎週月曜日休館 祭日の翌日は休館 (翌日が土・日の場合は開館)
== 入館料 ==
:: 一般 400円、学生 300円 小学生以下は無料(父兄同伴) 団体割引あります。<ref>[https://ift.tt/2uguPcS ふくろや]</ref>
== 交通アクセス ==
: [[上信越自動車道]][[信州中野インターチェンジ|信州中野IC]]から車で約15分
: [[長野電鉄]][[信州中野駅]]から徒歩約15分
== 脚注 ==
[[Category:中野市の建築物]]
[[Category:美術館]]
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