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カプレーティとモンテッキ
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『カプレーティとモンテッキ』()は[[ヴィンチェンツォ・ベッリーニ]]作曲の「トラジェーディア・リーリカ」との副題のある2幕の[[オペラ]]。[[1830年]][[ヴェネツィア]]で初演。台本は[[フェルッチオ・ロマーニ]]による。
==創作と初演の経緯==
===作曲のきっかけ===
[[1826年]]に[[ナポリ]]で第2作『ビアンカとジェルナンド』を初演し、その独創性を[[ミラノ・スカラ座]]に認められたベッリーニは、その後[[1827年]]に『海賊』、[[1828年]]には改訂の手を加えた『ビアンカとジェルナンド』、[[1829年]]に『異国の女』を初演してキャリアを積み重ねた。ロッシーニの代役として急遽作曲し、1829年に[[パルマ]]で初演した第5作『ザイーラ』こそ失敗の憂き目を見たものの、すぐに[[ヴェネツィア]]の[[フェニーチェ劇場]]から『海賊』の上演と新作の提供を求められた。ベッリーニはそれに応えて1829年の[[12月]]からヴェネツィアに滞在し、『海賊』の同地での初演となった上演を監修したのだったが、これが好評で迎えられたことが劇場側に好印象を与えたか、新作の提供を約束しておきながらその後誠意ある対応を示そうとしない、ある別の作曲家の代わりに新作を書きおろすことも求められた。すでに日時の決められていた初演に間に合わせるべく、ベッリーニは翌1830年の1月からその作曲に着手、「これで病気にならなかったら奇跡」と友人への手紙に書き送るほど仕事に励む。作品中には1825年作の、音楽院時代の第1作『アデルソンとサルディーニ』に登場する1つの旋律、『ザイーラ』の10の旋律が練り直されて転用された。
===台本とその原典===
台本を担当したフェルッチオ・ロマーニは、1825年にニコラ・ヴァッカーイのオペラのために書いた台本『ジュリエッタとロメオ』を手直しして用いた。これはルイージ・シェヴォーラの1818年作の同名の戯曲を種本としたものであるが、アイデアの源泉となっているのはイタリアに広く流布していた伝承『バルトロメオ・スカラ公の御代、[[ヴェローナ]]の街に起こりし、いとも哀れなる物語の言い伝え』やルイージ・ダ・ポルトの『ジュリエッタ』などとされる。
===初演===
初演は1830年[[3月11日]]ヴェネツィア・フェニーチェ劇場において、ロメオ役にジュディッタ・グリージ、ジュリエッタにマリア・カラドーリ=アラン、テバルドにロレンツォ・ボンフィーリ、ロレンツォにラニエーリ・ポッキーニ・カヴァリエーリを配して実現した。ベッリーニ自身が「これ以上の優れた歌、演技は想像できない」と褒めたたえたほどの出来であったといい、その後の11日間に8回の上演が行われた。
[[category:ベッリーニのオペラ]]
[[category:19世紀のオペラ]]
[[category:1830年の楽曲]]
==創作と初演の経緯==
===作曲のきっかけ===
[[1826年]]に[[ナポリ]]で第2作『ビアンカとジェルナンド』を初演し、その独創性を[[ミラノ・スカラ座]]に認められたベッリーニは、その後[[1827年]]に『海賊』、[[1828年]]には改訂の手を加えた『ビアンカとジェルナンド』、[[1829年]]に『異国の女』を初演してキャリアを積み重ねた。ロッシーニの代役として急遽作曲し、1829年に[[パルマ]]で初演した第5作『ザイーラ』こそ失敗の憂き目を見たものの、すぐに[[ヴェネツィア]]の[[フェニーチェ劇場]]から『海賊』の上演と新作の提供を求められた。ベッリーニはそれに応えて1829年の[[12月]]からヴェネツィアに滞在し、『海賊』の同地での初演となった上演を監修したのだったが、これが好評で迎えられたことが劇場側に好印象を与えたか、新作の提供を約束しておきながらその後誠意ある対応を示そうとしない、ある別の作曲家の代わりに新作を書きおろすことも求められた。すでに日時の決められていた初演に間に合わせるべく、ベッリーニは翌1830年の1月からその作曲に着手、「これで病気にならなかったら奇跡」と友人への手紙に書き送るほど仕事に励む。作品中には1825年作の、音楽院時代の第1作『アデルソンとサルディーニ』に登場する1つの旋律、『ザイーラ』の10の旋律が練り直されて転用された。
===台本とその原典===
台本を担当したフェルッチオ・ロマーニは、1825年にニコラ・ヴァッカーイのオペラのために書いた台本『ジュリエッタとロメオ』を手直しして用いた。これはルイージ・シェヴォーラの1818年作の同名の戯曲を種本としたものであるが、アイデアの源泉となっているのはイタリアに広く流布していた伝承『バルトロメオ・スカラ公の御代、[[ヴェローナ]]の街に起こりし、いとも哀れなる物語の言い伝え』やルイージ・ダ・ポルトの『ジュリエッタ』などとされる。
===初演===
初演は1830年[[3月11日]]ヴェネツィア・フェニーチェ劇場において、ロメオ役にジュディッタ・グリージ、ジュリエッタにマリア・カラドーリ=アラン、テバルドにロレンツォ・ボンフィーリ、ロレンツォにラニエーリ・ポッキーニ・カヴァリエーリを配して実現した。ベッリーニ自身が「これ以上の優れた歌、演技は想像できない」と褒めたたえたほどの出来であったといい、その後の11日間に8回の上演が行われた。
[[category:ベッリーニのオペラ]]
[[category:19世紀のオペラ]]
[[category:1830年の楽曲]]
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