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ロシアのアルメニア人
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—2,500,000''' (推定)<ref>Liquid error: wrong number of arguments (1 for 2)</ref><br /><small> '''ロシアの人口の''''''0.8%'''-'''1.7%'''</small>|total_year=<!-- year of total population -->|total_source=<!-- source of total population; may be ''census'' or ''estimate'' -->|total_ref=<!-- references supporting total population -->|genealogy=|regions=[[モスクワ]], [[クラスノダール地方]], [[スタヴロポリ地方]], [[ロストフ州]]|languages=[[ロシア語]]、アルメニア語(主に[[東アルメニア語]])|religions=[[キリスト教]] (主に [[アルメニア使徒教会|アルメニア教会]])<ref name="ArenaAtlas">[https://ift.tt/1pEBOUe Arena - Atlas of Religions and Nationalities in Russia]. Sreda.org</ref><ref>Liquid error: wrong number of arguments (1 for 2)</ref>|related_groups=|footnotes=}}'''ロシアのアルメニア人'''または'''ロシア系アルメニア人''' はロシア最大の[[少数民族]]の一つであり、[[アルメニア]]国外で最大のアルメニア人[[ディアスポラ]]である。2010年のロシアの国勢調査では1,182,388人のアルメニア人がロシアに存在する。ロシアでアルメニアに出自のある者は、実際には2,000,000人以上いることが様々な統計から推測される。アルメニア人は[[モスクワ]]、[[サンクトペテルブルク]]、北カフカスの[[クラスノダール地方]]、極東の[[ウラジオストク]]を含む幅広い地域に居住している。
== 歴史 ==
=== 中世以前 ===
様々な職人・商人・貿易商が交易ルート確立と商業活動のために、アルメニアから見て北にある[[クリミア]]から[[北コーカサス|北カフカス]]に乗り出した中世後期から、ロシアにはアルメニア人がいた。
=== ロシア帝国時代 ===
[[ファイル:Madatov.jpg|サムネイル|ロシア系アルメニア人の将軍 [[Valerian Madatov|ヴァレリアン・マダトフ]]]]
1820年代以前にかなりのアルメニア人がすでにロシアに居住していた。中世末期にアルメニア王国が滅亡すると、貴族は衰退し、小作農の多くと職人や商人を含む中間層の社会は崩壊した。このようなアルメニア人は南コーカサスのほとんどの街で見ることができた。実際、19世紀初頭には都市(例えば[[トビリシ]])で彼らは多数派であった。アルメニア人商人は世界を股にかけて交易を行い、多くはロシア国内に拠点を置いた。1778年に[[エカチェリーナ2世]]はアルメニア人商人をクリミアからロシアに招致し、[[ロストフ・ナ・ドヌ|ロストフ・ナ・ ドヌ]]付近の街ナヒチェヴァニ=ナ=ドヌに定着させた。<ref>Suny. ''Armenian People'', p. 110</ref> ロシアの支配階級は、アルメニア人の起業家としての技術を、経済を発展させる手段として歓迎した。しかし彼らは同時にアルメニア人商人に対して疑念を抱いた。「狡猾な商人」というアルメニア人のイメージは既に広く浸透していた。ロシアの貴族は[[ロシアの農奴制|農奴]]を働かせることで収入を得ていたが、同時に貴族がビジネスに関わることへの嫌悪感があった。そのためアルメニア人商人の生計の立て方への理解や共感は薄かった。
それにも関わらず、アルメニア人中間層はロシアの支配の下で成功し、19世紀半ばに南カフカスに資本主義と産業化の波が押し寄せると、裕福なブルジョワになる機会を初めて掴んだ。アルメニア人は、南カフカスにいたジョージア人やアゼルバイジャン人と比べ、新たな経済の情勢に適応するのにとても長けていた。彼らはトビリシの自治において最も強い勢力となり、トビリシがジョージア人によって首都とされた19世紀後期には、農奴解放で力の衰えていたジョージア人貴族から土地を買い上げ始めた。アルメニア人起業家は1870年代に南カフカスで起きたオイルブームを利用して、アゼルバイジャンのバクーの油田と黒海沿岸のバトゥミの精製所に大規模な投資を行った。南カフカスにおけるアルメニア人、ジョージア人、アゼルバイジャン人の間の緊張は単に民族的かつ宗教的なものだけでなく、こうした社会的かつ経済的なことも原因である。それにも関わらず、成功したビジネスマンという典型的アルメニア人のイメージに反して、19世紀末のロシア系アルメニア人の八割が未だ小作農であった。<ref>See Suny Chapter 2 "Images of Armenians in the Russian Empire" in ''Looking Toward Ararat: Armenia in Modern History''. Bloomington: Indiana University Press, 1993 </ref>
=== ソ連時代 ===
[[ファイル:Armenian_Genocide_events_2012_2.JPG|サムネイル|2012年のヴォルゴグラードでの[[アルメニア人虐殺]]の追悼祭]]
ロシア系アルメニア人連合によると、現在ロシアには250万人のアルメニア人が居住している。約85万人がアルメニアからの移民で、35万人がアゼルバイジャンから、25万人がジョージアからの移民であり、10万人はアブハジア、18万人は中央アジア(タジキスタンとトルクメニスタン)からである。<ref></ref>
ロシア政府はアルメニア人のロシアへの移民と定着を奨励しており、金銭的援助によって移民を支援している。<ref></ref>
ロシアのアルメニア人は教育水準の割合が高い。2002年の国勢調査によると、21.4%が高等教育を受けており、31.8%が職業教育を、46.1%が中等教育を受けている。<ref></ref>
== 人口分布 ==
[[ファイル:Armenians_by_federal_subject_2010.svg|右|サムネイル|200x200ピクセル|2010年のロシアでのアルメニア人人口の分布]]
[[ファイル:Protest_aganist_pardon_of_Safarov_in_Moscow_Sept_14_2012-61.jpg|サムネイル|200x200ピクセル|2012年の[[ラミル・サファロフ]]の恩赦を求めるモスクワでの抗議]]
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!順位
![[ロシア連邦の地方区分|連邦構成主体]]
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|[[クラスノダール地方]]
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|98,589
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|274,566
|281,680
|-
|2
|[[スタヴロポリ地方]]
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|25,618
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|-
|3
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|18,379
|25,584
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|-
|4
|[[ロストフ州]]
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|49,305
|53,620
|56,902
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|110,727
|-
|5
|[[モスクワ州]]||
|5,353
|5,683
|7,549
|9,245
|39,660
|63,306
|-
|6
|[[ヴォルゴグラード州]]|| ||
|2,898
|4,229
|6,784
|26,974
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|-
|7
|[[サラトフ州]]
|<ref> [https://ift.tt/2LAwrRx Саратовская губерния]</ref>
|1,046
|1,815
|3,531
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|24,976
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|-
|8
|[[サマラ州]]||
|1,027
|1,629
|2,216
|4,162
|21,566
|22,981
|-
|9
|[[サンクトペテルブルク|サンクトペテルブルク市]]
|<ref> [https://ift.tt/2PNhD55 г. Санкт-Петербург]</ref>
|4,897
|6,628
|7,995
|12,070
|19,164
|19,971
|-
|10
|[[北オセチア共和国]]
|<ref> [https://ift.tt/2LAD2LO Терская область - Владикавказский округ]</ref>
|12,012
|13,355
|12,912
|13,619
|17,147
|16,235
|-
|11
|[[アディゲ共和国]]||
|3,013
|5,217
|6,359
|10,460
|15,268
|15,561
|}
=== モスクワ ===
[[ファイル:Armenian_Cathedral_Moscow_January_2012.jpg|サムネイル|200x200ピクセル|2011年に完成したアルメニア使徒教会のモスクワ大聖堂]]
2010年のロシアの国勢調査ではモスクワのアルメニア人は106,466人だった。他方で63,306人がモスクワ州に居住していた。モスクワのアルメニア人の推定人口は400,000人、<ref> [https://ift.tt/2PKWQ2h В России армян "обласкали и дали им охоту"]</ref> 600,000人、<ref> [https://ift.tt/2ww84yD В России проживает более 2,5 млн армян]</ref> 1,000,000人<ref> [https://ift.tt/2qmlusQ Сколько русских осталось в Москве?]</ref><ref name="armeniadiaspora">[https://ift.tt/2wzou9Q Armenian population in the world] </ref> である。モスクワはしばしばアルメニア国外で最大のアルメニア人コミュニティだとされる。
[[ファイル:Армянская_церковь_св._Екатерины,_2010.jpg|サムネイル|200x200ピクセル|サンクトペテルブルクの聖カタリナ教会]]
=== サンクトペテルブルク ===
1708人に初めてアルメニア人がサンクトペテルブルクを訪れ、1710年には既に「アルメニア大使館」があった。 1730年には、司祭のイヴァン・シェリスタノヴァの指導の下、初めてのアルメニア使徒教会の教区が設けられた。 20世紀を通してずっと、サンクトペテルブルクのアルメニア人人口は安定して増加している。1926年には1,759人だったが、 2002年には19,164人<ref name="ReferenceA" /> になっている。
1989年のソ連の国勢調査 によれば47%のアルメニア人がアルメニア語を母語として話しており、52%はロシア語を母語としている。この時ほとんど多くの人がロシア語が流暢であった。約半分が高等教育を受け、その結果高い社会的地位にある。<ref></ref>
サンクトペテルブルクのアルメニア人コミュニティの長のカレン・ムクルチャンによると、最近約10万人のアルメニア人がサンクトペテルブルク地域で暮らしているという。ここには二つのアルメニア教会、一つの日曜学校、「ハヴァタムク」というアルメニア語の月刊誌、そして印刷工場がある。<ref>Տերտերյանը "վերադարձավ" Հայրավանք // [[Havatamk]], #8, 2015, p. 6, by Samvel Danielyan</ref>
=== クラスノダール地方 ===
クラスノダール地方は最も大きなアルメニア人ディアスポラの一つである。<ref>Liquid error: wrong number of arguments (1 for 2)</ref> 2002年のロシアの国勢調査によると、274,566人のアルメニア人がおり、211,397人がアルメニア語を母語として話しており、6,948人がアルメニア国籍を持つ。
推定アルメニア人人口は500,000人、<ref></ref><ref>Liquid error: wrong number of arguments (1 for 2)</ref> 700,000人、<ref>Liquid error: wrong number of arguments (1 for 2)</ref> 1,000,000人<ref name="ria">Liquid error: wrong number of arguments (1 for 2)</ref>である。
彼らは[[ソチ|ソチ地域]](80,045人<ref></ref>–125,000人、<ref>Liquid error: wrong number of arguments (1 for 2)</ref> [[クラスノダール]](28,022人 [https://ift.tt/2PKWR6l НАСЕЛЕНИЕ КРАСНОДАРСКОГО КРАЯ]</ref>|group=n}}–70,000人)、<ref></ref> [[アルマヴィル (ロシア)|アルマヴィル]] (18,262人<ref name="krasnodar" />–50,000人)、<ref></ref> [[トゥアプセ]](18,194人)、[[ノヴォロシースク]] (12,092人<ref name="krasnodar" />–40,000人)、<ref> Армянское культурное общество «Луйс»</ref>アプシェロン (10,659人)、<ref name="krasnodar" /> [[アナパ]] (8,201人)。<ref name="krasnodar" />
=== ロストフ・ナ・ ドヌ ===
歴史的に、ドン地域は現代のロシア連邦で最も大きなアルメニア人コミュニティの故郷である。アルメニア人は1779年にクリミア・ハン国からエカチェリーナ2世の命でクリミア・ハン国から移住させられ、居住区をロストフ・ナ・ドヌにいくつか置いた。彼らの多くは、1928年にロストフ市と合併するナヒチェヴァニ=ナ=ドヌに住んだ。アルメニア人は未だにミャスニコフスキー地区(ロストフ市内の地区)では多数派である。2010年、ロストフ・ナ・ドヌはモスクワ、ソチに次ぐ三番目にアルメニア人人口の多い都市となった。
== 有名なアルメニア系ロシア人 ==<!--only those people who merit articles should be included in this list-->
[[ファイル:Margarita_Simonyan_14_April_2010.jpg|サムネイル|''[[ロシア・トゥデイ|RT]]と[[スプートニク (通信社)|Sputnik]]の編集長''[[マルガリータ・シモニャン]]]]
=== 芸術とエンターテイメント ===
* [[イヴァン・アイヴァゾフスキー]]
* [[Irina Allegrova|イリーナ・アレグロヴァ]]
* [[Artsvik|アルトスヴィク]]
* [[アルノ・ババジャニアン]]
* [[Armen Dzhigarkhanyan|アルメン・ドジガルハニャン]]
* [[Sergey Galoyan|セルゲイ・ガロヤン]]
* [[Mikhail Galustyan|ミハイル・ガルスチャン]]
* [[Armen Grigoryan|アルメン・グリゴリヤン]]
* [[Luara Hayrapetyan|ルアーラ・ハイラペチアン]]
* [[Artur Janibekyan|アルチュア・ジャニベクヤン]]
* [[Edmond Keosayan|エドモンド・ケオサヤン]]
* [[アラム・ハチャトゥリアン]]
* [[Dmitry Kharatyan|ドミトリー・ハラチュアン]]
[[ファイル:Club4.jpg|サムネイル|コメディアンで''[[Comedy Club (Russia)|Comedy Club]]の''プロデューサー [[Garik Martirosyan|ガリク・マルチロスヤン]]]]
* [[Garik Martirosyan|ガリク・マルチロスヤン]]
* [[Frunzik Mkrtchyan|フルンジク・ムクルチャン]]
* [[Stas Namin|スタス・ナミン]]
* [[レヴォン・オガネゾフ]]
* [[セルゲイ・パラジャーノフ]]
* [[Yevgeny Petrosyan|エフゲニー・ペトロシャン]]
* [[エバ・リヴァス]]
* [[アバン・ルッソ]]
* [[Igor Sarukhanov|イゴル・サルハノフ]]
* [[マトリオス・サリヤン]]
* [[カレン・シャフナザーロフ]]
* [[ミカエル・タリヴェルディエフ]]
* [[アグリッピナ・ワガノワ]]
* [[イェヴゲニー・ヴァフタンゴフ]]
* [[ロウシーネ・ゲヴォルクヤン]]
=== 政治と軍事 ===
[[ファイル:Russian_Foreign_Minister_Lavrov_as_Secretary_Kerry_Addresses_Reporters_in_Geneva_(29281851130).jpg|サムネイル|ロシアの外務大臣[[セルゲイ・ラブロフ]]]]
[[ファイル:Sergey_Avakyants.jpg|サムネイル|太平洋艦隊司令官[[Sergei Avakyants|セルゲイ・アヴァクヤンツ]]]]
* [[Sergei Avakyants|セルゲイ・アヴァクヤンツ]]
* [[アマザスプ・ババジャニャン]]
* [[イワン・バグラミャン]]
* [[Vasili Bebutov|ヴァシリー・ベブトフ]]
* [[イワン・イサコフ]]
* [[セルゲイ・フジャコフ]]
* [[イヴァン・ラザレフ]]
* [[セルゲイ・ラブロフ]]
* [[ミハイル・ロリス=メリコフ]]
* [[ヴァレリアン・マダトフ]]
* [[アナスタス・ミコヤン]]
* [[アルテム・ミコヤン]]
* モフセス・シリクヤン
* [[ネルソン・ステッパンヤン]]
=== Scientists ===
* [[セルゲイ・アディアン]] <ref>https://ift.tt/2wyePA4>
* [[タテオス・アゲキアン]]
* [[アブラム・アリハノフ]]
* [[グルゲン・アスカリアン]]
* [[ボリス・ババヤン]]
* [[ミハイル・チャイラハヤン]]
* [[アルトゥール・チリンガーロフ]]
* [[アンドロニク・ロシフヤン]]
* [[アレクサンドル・ケムルジャン]]
* [[セムヨン・キルリアン]]
* [[イヴァン・クヌニアンツ]]
* [[ユーリイ・オガネシアン]]
* [[レオン・オルベリ]]
* [[ノライラ・シサキアン]]
=== スポーツ ===
[[ファイル:Yana_Egorian_2014_European_Championships_SFS-EQ_t200022.jpg|サムネイル|オリンピック金メダリストのフェンシング選手[[ヤナ・イグリアン]]]]
* [[グリゴリー・ムクルチャン]]
* [[アルチュア・ダラロヤン]]
* [[アルセン・ガルスチャン]]
* [[マルガリータ・ガスパリアン]]
* [[カレン・ハチャノフ]]
* [[エフゲニア・メドベージェワ]]
* [[ニキータ・シモニャン]]
* [[セダ・トゥトカリアン]]
* [[ヤナ・イグリアン]]
* [[アルチュア・ダニエリアン]]
=== 多方面 ===
* [[アラ・アブラミアン]]
* [[ルーベン・ディシュディシャン]]
* [[ガルリ・カスパロフ]]
* [[マルガリータ・シモニャン]]
* [[ルーベン・ヴァルダニアン]]
== 関連 ==
* [[ロシアのアルメニア教会の一覧]]
*[[アルメニア人のディアスポラ]]
== 注釈 ==
; 注釈
; 出典
== 文献 ==
* Liquid error: wrong number of arguments (1 for 2)
== 外部リンク ==
* [https://ift.tt/2okrh2R 在ロシアアルメニア大使館]
* [http://www.spbarm.ru ペテルブルクのアルメニア人機関紙]
* [http://www.armawir.ru/ ロシアの都市、アルマヴィルの公式サイト]
* [[Armenian Cemetery (Moscow)|モスクワのアルメニア人墓地]]
[[Category:ロシア]]
[[Category:ロシアの民族]]
[[Category:アルメニア]]
[[Category:ディアスポラ]]
[[Category:アルメニア系人]]
== 歴史 ==
=== 中世以前 ===
様々な職人・商人・貿易商が交易ルート確立と商業活動のために、アルメニアから見て北にある[[クリミア]]から[[北コーカサス|北カフカス]]に乗り出した中世後期から、ロシアにはアルメニア人がいた。
=== ロシア帝国時代 ===
[[ファイル:Madatov.jpg|サムネイル|ロシア系アルメニア人の将軍 [[Valerian Madatov|ヴァレリアン・マダトフ]]]]
1820年代以前にかなりのアルメニア人がすでにロシアに居住していた。中世末期にアルメニア王国が滅亡すると、貴族は衰退し、小作農の多くと職人や商人を含む中間層の社会は崩壊した。このようなアルメニア人は南コーカサスのほとんどの街で見ることができた。実際、19世紀初頭には都市(例えば[[トビリシ]])で彼らは多数派であった。アルメニア人商人は世界を股にかけて交易を行い、多くはロシア国内に拠点を置いた。1778年に[[エカチェリーナ2世]]はアルメニア人商人をクリミアからロシアに招致し、[[ロストフ・ナ・ドヌ|ロストフ・ナ・ ドヌ]]付近の街ナヒチェヴァニ=ナ=ドヌに定着させた。<ref>Suny. ''Armenian People'', p. 110</ref> ロシアの支配階級は、アルメニア人の起業家としての技術を、経済を発展させる手段として歓迎した。しかし彼らは同時にアルメニア人商人に対して疑念を抱いた。「狡猾な商人」というアルメニア人のイメージは既に広く浸透していた。ロシアの貴族は[[ロシアの農奴制|農奴]]を働かせることで収入を得ていたが、同時に貴族がビジネスに関わることへの嫌悪感があった。そのためアルメニア人商人の生計の立て方への理解や共感は薄かった。
それにも関わらず、アルメニア人中間層はロシアの支配の下で成功し、19世紀半ばに南カフカスに資本主義と産業化の波が押し寄せると、裕福なブルジョワになる機会を初めて掴んだ。アルメニア人は、南カフカスにいたジョージア人やアゼルバイジャン人と比べ、新たな経済の情勢に適応するのにとても長けていた。彼らはトビリシの自治において最も強い勢力となり、トビリシがジョージア人によって首都とされた19世紀後期には、農奴解放で力の衰えていたジョージア人貴族から土地を買い上げ始めた。アルメニア人起業家は1870年代に南カフカスで起きたオイルブームを利用して、アゼルバイジャンのバクーの油田と黒海沿岸のバトゥミの精製所に大規模な投資を行った。南カフカスにおけるアルメニア人、ジョージア人、アゼルバイジャン人の間の緊張は単に民族的かつ宗教的なものだけでなく、こうした社会的かつ経済的なことも原因である。それにも関わらず、成功したビジネスマンという典型的アルメニア人のイメージに反して、19世紀末のロシア系アルメニア人の八割が未だ小作農であった。<ref>See Suny Chapter 2 "Images of Armenians in the Russian Empire" in ''Looking Toward Ararat: Armenia in Modern History''. Bloomington: Indiana University Press, 1993 </ref>
=== ソ連時代 ===
[[ファイル:Armenian_Genocide_events_2012_2.JPG|サムネイル|2012年のヴォルゴグラードでの[[アルメニア人虐殺]]の追悼祭]]
ロシア系アルメニア人連合によると、現在ロシアには250万人のアルメニア人が居住している。約85万人がアルメニアからの移民で、35万人がアゼルバイジャンから、25万人がジョージアからの移民であり、10万人はアブハジア、18万人は中央アジア(タジキスタンとトルクメニスタン)からである。<ref></ref>
ロシア政府はアルメニア人のロシアへの移民と定着を奨励しており、金銭的援助によって移民を支援している。<ref></ref>
ロシアのアルメニア人は教育水準の割合が高い。2002年の国勢調査によると、21.4%が高等教育を受けており、31.8%が職業教育を、46.1%が中等教育を受けている。<ref></ref>
== 人口分布 ==
[[ファイル:Armenians_by_federal_subject_2010.svg|右|サムネイル|200x200ピクセル|2010年のロシアでのアルメニア人人口の分布]]
[[ファイル:Protest_aganist_pardon_of_Safarov_in_Moscow_Sept_14_2012-61.jpg|サムネイル|200x200ピクセル|2012年の[[ラミル・サファロフ]]の恩赦を求めるモスクワでの抗議]]
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!順位
![[ロシア連邦の地方区分|連邦構成主体]]
!1897
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=== モスクワ ===
[[ファイル:Armenian_Cathedral_Moscow_January_2012.jpg|サムネイル|200x200ピクセル|2011年に完成したアルメニア使徒教会のモスクワ大聖堂]]
2010年のロシアの国勢調査ではモスクワのアルメニア人は106,466人だった。他方で63,306人がモスクワ州に居住していた。モスクワのアルメニア人の推定人口は400,000人、<ref> [https://ift.tt/2PKWQ2h В России армян "обласкали и дали им охоту"]</ref> 600,000人、<ref> [https://ift.tt/2ww84yD В России проживает более 2,5 млн армян]</ref> 1,000,000人<ref> [https://ift.tt/2qmlusQ Сколько русских осталось в Москве?]</ref><ref name="armeniadiaspora">[https://ift.tt/2wzou9Q Armenian population in the world] </ref> である。モスクワはしばしばアルメニア国外で最大のアルメニア人コミュニティだとされる。
[[ファイル:Армянская_церковь_св._Екатерины,_2010.jpg|サムネイル|200x200ピクセル|サンクトペテルブルクの聖カタリナ教会]]
=== サンクトペテルブルク ===
1708人に初めてアルメニア人がサンクトペテルブルクを訪れ、1710年には既に「アルメニア大使館」があった。 1730年には、司祭のイヴァン・シェリスタノヴァの指導の下、初めてのアルメニア使徒教会の教区が設けられた。 20世紀を通してずっと、サンクトペテルブルクのアルメニア人人口は安定して増加している。1926年には1,759人だったが、 2002年には19,164人<ref name="ReferenceA" /> になっている。
1989年のソ連の国勢調査 によれば47%のアルメニア人がアルメニア語を母語として話しており、52%はロシア語を母語としている。この時ほとんど多くの人がロシア語が流暢であった。約半分が高等教育を受け、その結果高い社会的地位にある。<ref></ref>
サンクトペテルブルクのアルメニア人コミュニティの長のカレン・ムクルチャンによると、最近約10万人のアルメニア人がサンクトペテルブルク地域で暮らしているという。ここには二つのアルメニア教会、一つの日曜学校、「ハヴァタムク」というアルメニア語の月刊誌、そして印刷工場がある。<ref>Տերտերյանը "վերադարձավ" Հայրավանք // [[Havatamk]], #8, 2015, p. 6, by Samvel Danielyan</ref>
=== クラスノダール地方 ===
クラスノダール地方は最も大きなアルメニア人ディアスポラの一つである。<ref>Liquid error: wrong number of arguments (1 for 2)</ref> 2002年のロシアの国勢調査によると、274,566人のアルメニア人がおり、211,397人がアルメニア語を母語として話しており、6,948人がアルメニア国籍を持つ。
推定アルメニア人人口は500,000人、<ref></ref><ref>Liquid error: wrong number of arguments (1 for 2)</ref> 700,000人、<ref>Liquid error: wrong number of arguments (1 for 2)</ref> 1,000,000人<ref name="ria">Liquid error: wrong number of arguments (1 for 2)</ref>である。
彼らは[[ソチ|ソチ地域]](80,045人<ref></ref>–125,000人、<ref>Liquid error: wrong number of arguments (1 for 2)</ref> [[クラスノダール]](28,022人 [https://ift.tt/2PKWR6l НАСЕЛЕНИЕ КРАСНОДАРСКОГО КРАЯ]</ref>|group=n}}–70,000人)、<ref></ref> [[アルマヴィル (ロシア)|アルマヴィル]] (18,262人<ref name="krasnodar" />–50,000人)、<ref></ref> [[トゥアプセ]](18,194人)、[[ノヴォロシースク]] (12,092人<ref name="krasnodar" />–40,000人)、<ref> Армянское культурное общество «Луйс»</ref>アプシェロン (10,659人)、<ref name="krasnodar" /> [[アナパ]] (8,201人)。<ref name="krasnodar" />
=== ロストフ・ナ・ ドヌ ===
歴史的に、ドン地域は現代のロシア連邦で最も大きなアルメニア人コミュニティの故郷である。アルメニア人は1779年にクリミア・ハン国からエカチェリーナ2世の命でクリミア・ハン国から移住させられ、居住区をロストフ・ナ・ドヌにいくつか置いた。彼らの多くは、1928年にロストフ市と合併するナヒチェヴァニ=ナ=ドヌに住んだ。アルメニア人は未だにミャスニコフスキー地区(ロストフ市内の地区)では多数派である。2010年、ロストフ・ナ・ドヌはモスクワ、ソチに次ぐ三番目にアルメニア人人口の多い都市となった。
== 有名なアルメニア系ロシア人 ==<!--only those people who merit articles should be included in this list-->
[[ファイル:Margarita_Simonyan_14_April_2010.jpg|サムネイル|''[[ロシア・トゥデイ|RT]]と[[スプートニク (通信社)|Sputnik]]の編集長''[[マルガリータ・シモニャン]]]]
=== 芸術とエンターテイメント ===
* [[イヴァン・アイヴァゾフスキー]]
* [[Irina Allegrova|イリーナ・アレグロヴァ]]
* [[Artsvik|アルトスヴィク]]
* [[アルノ・ババジャニアン]]
* [[Armen Dzhigarkhanyan|アルメン・ドジガルハニャン]]
* [[Sergey Galoyan|セルゲイ・ガロヤン]]
* [[Mikhail Galustyan|ミハイル・ガルスチャン]]
* [[Armen Grigoryan|アルメン・グリゴリヤン]]
* [[Luara Hayrapetyan|ルアーラ・ハイラペチアン]]
* [[Artur Janibekyan|アルチュア・ジャニベクヤン]]
* [[Edmond Keosayan|エドモンド・ケオサヤン]]
* [[アラム・ハチャトゥリアン]]
* [[Dmitry Kharatyan|ドミトリー・ハラチュアン]]
[[ファイル:Club4.jpg|サムネイル|コメディアンで''[[Comedy Club (Russia)|Comedy Club]]の''プロデューサー [[Garik Martirosyan|ガリク・マルチロスヤン]]]]
* [[Garik Martirosyan|ガリク・マルチロスヤン]]
* [[Frunzik Mkrtchyan|フルンジク・ムクルチャン]]
* [[Stas Namin|スタス・ナミン]]
* [[レヴォン・オガネゾフ]]
* [[セルゲイ・パラジャーノフ]]
* [[Yevgeny Petrosyan|エフゲニー・ペトロシャン]]
* [[エバ・リヴァス]]
* [[アバン・ルッソ]]
* [[Igor Sarukhanov|イゴル・サルハノフ]]
* [[マトリオス・サリヤン]]
* [[カレン・シャフナザーロフ]]
* [[ミカエル・タリヴェルディエフ]]
* [[アグリッピナ・ワガノワ]]
* [[イェヴゲニー・ヴァフタンゴフ]]
* [[ロウシーネ・ゲヴォルクヤン]]
=== 政治と軍事 ===
[[ファイル:Russian_Foreign_Minister_Lavrov_as_Secretary_Kerry_Addresses_Reporters_in_Geneva_(29281851130).jpg|サムネイル|ロシアの外務大臣[[セルゲイ・ラブロフ]]]]
[[ファイル:Sergey_Avakyants.jpg|サムネイル|太平洋艦隊司令官[[Sergei Avakyants|セルゲイ・アヴァクヤンツ]]]]
* [[Sergei Avakyants|セルゲイ・アヴァクヤンツ]]
* [[アマザスプ・ババジャニャン]]
* [[イワン・バグラミャン]]
* [[Vasili Bebutov|ヴァシリー・ベブトフ]]
* [[イワン・イサコフ]]
* [[セルゲイ・フジャコフ]]
* [[イヴァン・ラザレフ]]
* [[セルゲイ・ラブロフ]]
* [[ミハイル・ロリス=メリコフ]]
* [[ヴァレリアン・マダトフ]]
* [[アナスタス・ミコヤン]]
* [[アルテム・ミコヤン]]
* モフセス・シリクヤン
* [[ネルソン・ステッパンヤン]]
=== Scientists ===
* [[セルゲイ・アディアン]] <ref>https://ift.tt/2wyePA4>
* [[タテオス・アゲキアン]]
* [[アブラム・アリハノフ]]
* [[グルゲン・アスカリアン]]
* [[ボリス・ババヤン]]
* [[ミハイル・チャイラハヤン]]
* [[アルトゥール・チリンガーロフ]]
* [[アンドロニク・ロシフヤン]]
* [[アレクサンドル・ケムルジャン]]
* [[セムヨン・キルリアン]]
* [[イヴァン・クヌニアンツ]]
* [[ユーリイ・オガネシアン]]
* [[レオン・オルベリ]]
* [[ノライラ・シサキアン]]
=== スポーツ ===
[[ファイル:Yana_Egorian_2014_European_Championships_SFS-EQ_t200022.jpg|サムネイル|オリンピック金メダリストのフェンシング選手[[ヤナ・イグリアン]]]]
* [[グリゴリー・ムクルチャン]]
* [[アルチュア・ダラロヤン]]
* [[アルセン・ガルスチャン]]
* [[マルガリータ・ガスパリアン]]
* [[カレン・ハチャノフ]]
* [[エフゲニア・メドベージェワ]]
* [[ニキータ・シモニャン]]
* [[セダ・トゥトカリアン]]
* [[ヤナ・イグリアン]]
* [[アルチュア・ダニエリアン]]
=== 多方面 ===
* [[アラ・アブラミアン]]
* [[ルーベン・ディシュディシャン]]
* [[ガルリ・カスパロフ]]
* [[マルガリータ・シモニャン]]
* [[ルーベン・ヴァルダニアン]]
== 関連 ==
* [[ロシアのアルメニア教会の一覧]]
*[[アルメニア人のディアスポラ]]
== 注釈 ==
; 注釈
; 出典
== 文献 ==
* Liquid error: wrong number of arguments (1 for 2)
== 外部リンク ==
* [https://ift.tt/2okrh2R 在ロシアアルメニア大使館]
* [http://www.spbarm.ru ペテルブルクのアルメニア人機関紙]
* [http://www.armawir.ru/ ロシアの都市、アルマヴィルの公式サイト]
* [[Armenian Cemetery (Moscow)|モスクワのアルメニア人墓地]]
[[Category:ロシア]]
[[Category:ロシアの民族]]
[[Category:アルメニア]]
[[Category:ディアスポラ]]
[[Category:アルメニア系人]]
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